第六話 開幕
拠点が決まり、ひとまず部屋の設備の確認を終えると、壁に立て掛けられた時計の針は気づけば〇時を示そうとしていた。ちなみに洋服などもすべて食料と同じように数日分あった。
「そういえばここの時間は元の世界と同じなのかな」
時計を見た藍花は、先ほど冷蔵庫から取り出した林檎をかじりながらふと思い出したように呟いた。
「……さあな」
同じく冷蔵庫から取り出した栄養ドリンクを飲んでいる時無はさほど興味を示しておらず、気のない返事が返ってきただけだった。
しかしその返答は予測されたものだったので、特に機嫌を損ねることもなく、藍花は何かと新たな話題を見つけては彼に振る。
いくら生きるには困らないといえど、娯楽の要素がどこにもないこの世界は誰かと話していないと素晴らしく暇なのである。
今思うと誰かと手を組もうと思ったのも、それが一つ絡んでいるのかもしれない、そう思えてしまうほどだ。どちらにせよ、予定通り誰かと手を組めたのだから、運がいい。
これで勝率はそれなりに上がったはずだ。
居間の椅座に座っている無愛想な男と一方的なキャッチボールをしながら、藍花は己の武運に思わず頬を緩めそうになるが、慌てて気を引き締めた。
まだ自分の勝利が決まったわけではない。油断は禁物だ。わたしはわたしの願いを叶えるためには、最後にはこの人とも殺しあわなくてはならないのだから。
それには半端じゃない覚悟と、実力と、運が必要になる。そして少なくとも、実力と覚悟は“あの日”を境に、“普通の女の子”の人生を失った代わりとして半ば強制的に手に入れた。
そして運は彼を仲間にできた時点でかなり良いといえる。
だからこの時無という人には申し訳ないが、できるだけ利用して、利用して利用して利用して、最後まで利用しきってから、わたしが止めを刺す。
それがわたしが勝ち残れる、もっとも確率の高い戦術だ。そのためならどんなことでもやってみせる。願いを叶えるためならば――。
決意を新たにした藍花が再度時無に話しかけようとするが、しかしその言葉は喉元で止められた。つい先程聞いた、あの機械音声がどこからともなく聞こえてきたからだ。
『二時間ぶりです、みなさん。満足の行く拠点は見つかりましたでしょうか』
あの青年の姿はなく、まるでこの世界全体がスピーカーになったかのように様々な方角から直接鼓膜に響いてくる。
「やっと始まるのか」
飲み干した缶を無造作に外に放り投げながら時無が呟いた。その顔は依然無表情だが、声はどこか待ちくたびれたかのような調子だった。
もしかして彼は無表情なのではなく、ただ感情の起伏が乏しいだけなのではないか。なぜだろうか、ふとそう思った。
『……さて、どうでもいい話をいつまでも話すのは面白くありませんし、本題に移らせてもらいます』
抑揚のない声の中に、どこか愉快げな調子が混じっているように感じる。
『先ほどの宣言通り、ただいまの時刻午前〇時をもって願いを叶える者を決める《デスゲーム》を開始させていただきます。が、その前に一つ重要なことをご説明いたします。みなさま、まずはご自身の魔術海馬に注目してください』
淡々と告げられていく単調な言葉の波がどういう意図を示しているのか不明だが、ひとまず藍花は言われた通りに魔術海馬へと意識を沈める。
人は物事を記憶する際、まずは海馬という場所で情報を一時保管する。しかしあくまで覚えていられるのは一時的である。
ところが魔術師はこの海馬とはまた別に、“魔術海馬”と呼ばれるものを有している。
それは海馬とは似て非なるものであり、これは魔術の術式などの情報を“意図的に選んで”記憶できるものである。パソコンのハードディスクと同じようなものだ。
新しい魔術を会得する際は、まずはその術式などを魔術海馬に記憶し、ひたすら習練する。そしておよそ無意識レベルでできるようになった頃に、その魔術の情報を意図的に魔術海馬から削除する。
そうすることで魔術海馬の記憶容量に空きができ、また新しい魔術の情報を入れられる。そしてまた新しい魔術を覚え、消し、また覚え……その繰り返しである。
そして今、藍花は自身の魔術海馬に本来有り得ないはずの“見知らぬ情報”があることに気づいた。
それも魔術海馬の残りの容量をすべて喰うほどの大容量だ。それが意味することは何か。
その疑問は当然ながら、あの機械音声によって解消された。
『もう気づいたでしょうが、つい今しがたあなた方の魔術海馬に“ある情報”を埋め込まさせていただきました。それは今後の戦いで必ずやあなたの力になるものです』
いったい何を言っているのだ、と藍花が困惑していると、不意に隣から微量ながらも驚愕を含んだ声が発せられた。
「なんだこれは……。これほどの魔力の消費量も、術式も、今まで見たことがない……」
『そうです。なぜならこれは、魔術など比ではない、神にも匹敵し得る絶対的な力――“魔法”です』
時無の声は聞こえていないはずの青年が、まるで答えるように言い放った。
その言葉に、藍花は驚きのあまり絶句する。
『さすがにあなた方の魔術だけじゃ面白みに欠けますからね。まぁこれはこれから死ぬか生きるかの綱渡りをするあなた方へ、私からのささやかなプレゼントです。あなた方の属性も考慮したうえでもっとも合う魔法ですよ。その魔法を顕在するための術式や、顕在した時の効力などは後ほどゆっくりとご覧ください。……なんせそれは一度しか行使できない仕様ですので』
笑いを含んだ声で喋る青年の説明は、吟味するまでもなく理解できる簡単なものだった。
しかし青年の喋り方から同様に、また別のことも藍花は悟った。
あの青年はわたしたちの殺し合いを見て愉しもうとしているのだ。それもこんな下準備をしてまで。
その事実は藍花のプライドを甚だしく傷つけたが、しかしそれに抵抗することはできない。それはきっと誰もが同じだろう。理由は単純だ。
諦めきれなかった願いを叶えるため。
そのためだからこそ、皆全ての感情を抑え、青年の言葉を無理やり飲み込んでまで事実として認識しようとしている。
しかしどうしても藍花は、自らの置かれている現状に怒りを感じずにはいられなかった。
だがそんな一個人の気持ちなどはお構いなしに、宴の合図は鳴らされる。
『さぁ、もう話すことはありません。あなた方がやるべきことはただ一つ。己の願いを叶えるがために他者を屠る、ただそれだけです。制限時間の一六八時間を存分に使ってもらって結構。……また会えることを、心より祈っておりますよ』
“また会える”などと馬鹿にするのも甚だしい捨て台詞とともに機械音声は消え、代わりに時計には今の時刻とはまた別に、この《デスゲーム》の制限時間であろう数字が書かれていた。
殺し合いという非現実的な状況下のためか、不安で怯える身体を両手で抱きながら、藍花は時無に気取られぬよう気丈に振る舞う。
「さぁ行きましょう。先手必勝よ」
「……無論だ」
一足早く玄関へ向かっている、どこまでも感情表現が希薄な漆黒のコートを追いかけるように、藍花もすぐ後ろに続く。
素っ気ない返事しか返さない時無だが、少なくとも彼と一緒にいる間はこの肌を撫でる得体のしれない死の恐怖を忘れられた。
これから直面するであろう熾烈な戦いへ向け、二人は拠点を背に戦くことなく前へ突き進む。
これから数日間に渡る狂宴の幕が上がった。