第二話 事の始まり
心なしか大きめの月が浮かぶ空。森の中にそびえ立つ謎の廃墟。肌に触れる生暖かくて気持ち悪いそよ風。人一人いない静寂すぎる周囲。
突如現れた目の前の光景に、時無はしばし呆然とする。
確かつい先ほどまではとある用事を済ませ、帰路についていたはずだ。しかしその道中、頭に機械のような声が喋りかけてきたかと思ったら、次の瞬間これである。
物心ついた頃から日常生活の延長として魔術師と戦ってきたからか、唐突に起こる不条理な事態にも慣れていた時無であったが、これにはさすがに面食らった。
しかしこうしていつまでも時間を浪費することは実に惜しい。これまで培ってきた経験を生かし即座に気持ちを切り替えた時無は、冷静に状況分析をする。
まずは自身の状態。
間接部分など痛み及び違和感のある部位の有無を確認、特になし。
履き慣らされた軽めの靴に、全身を覆う漆黒のコート。着ている衣服も先ほどまでと同様、礼装のままだった。
五感にもなにか異常はあるか調べてみるが、特になにも変化は見られない。
身体の安全を確認した時無は、続いてもっとも不可思議要素である周囲を探索する。
事態の奇怪さから推測するに、これは魔術が関係していると見てまず間違いはないだろう。しかしなんの情報ももっていない現状では、これ以上何もわからない。
つかの間思考した末、時無はひとまず目の前の廃墟へと足を向けた。
ガラス張りの扉を押し、音をたてず静かに入る。
建物内の電気は機能していないのか、月の光が申し訳程度に中を照らしているだけだった。
どこまでも広がる暗闇に、時無は一瞬魔力で灯りをともそうと考えたが、万が一敵がいる場合を考慮し断念する。
しばらく壁伝いに歩み、廃墟の中枢あたりにきたところで通路の一点からわずかな光が零れていることに気がついた。
「……人の、声」
耳を澄ませばかろうじて人の声が聞こえる。それも複数の声だ。
時無は警戒の色を強めながら素早く光の下へと向かった。
辿り着くと眼前にはおおっぴらに開かれた扉があり、光はそこから溢れていた。声も今ははっきりと聞こえている。
さてどうしたものかと逡巡していると、ここに転送される前に聞いたあの機械音声が唐突に話しかけてきた。
『お待ちしておりました《魔術狩り》。ここは戦闘になることはないですのでご安心を。今だけここは魔術は全て無効になる故に』
「……まるで俺がここに来ることが分かっていたかのような物言いだな」
自分の心の内を読み透かしたような言葉に、時無はなんとも言えない薄気味悪さを覚える。念のため試しに灯りをともそうと魔術を行使したが、確かに魔術は顕在されなかった。
『これで納得してくれましたね。さぁ、入ってください。大丈夫、顔も今は全員見られませんよ。あなたが最後の一人です』
「…………」
自分を転送したであろうやつの言葉を信じていいものだろうか。しかしここで“声”の指示を無視したところで状況は進展しない。
結局時無は“声”の導くがまま、扉の向こうへ足を踏み入れた。
奥に壇上があるだけの特色のない素朴な大広間にいた五人の先客たちは、時無が入ってくるなり一斉に振り返った。
なるほど確かに“声”の言った通り全員の顔はモザイクが掛かったように見ることができず、男女の判別もままならない。
しかし彼らが纏っている魔力の気配から察するに、全員相当の手練の魔術師たちだろう。
「……おい、人数が揃ったぞ」
五人の内の一人の男が待ちくたびれた様子で無人の壇上を睨む。果たしてそこには、どこともなく新調したてのスーツを着た青年が立っていた。
そして朗らかな笑みを浮かべながら、先ほど聞いたあの抑揚のない機械音声で語りかけてきた。
『皆様、大変長らくお待たせしました。六人の選ばれし魔術師たち――報われぬ願望を持つ者よ』
単調な声音で話す青年の言葉に、六人の魔術師たちは黙って耳を傾ける
『なに、そんな気難しい顔をなさらないでください。むしろあなた方はかなり幸運な方たちなのですよ。……さて、長々と話すのも芸がないですし、単刀直入に申し上げさせてもらいます。これから私の言うゲームをあなた方にはやってもらいます。そして勝ち残った勝者には、“どんな願いでも叶えてあげましょう”』
どんな願いでも叶える。
現実味のない声音で告げられた聞き捨てならないフレーズに、皆一様に理解できないという反応を示した。
「……ばかにしているのか。貴様は自分を神だとでも言うつもりか」
時無も理解に苦しむ、と言った声音で詰問する。
『多少語弊がありますが……然り。私は我が主である《神》の魔法によって顕在られ、《神》の命を受け、この異空間を構築し、《神》の代行者としてここにいます。故に、私は《神》の代わりと言ってもいいはずです』
「神だと? 馬鹿な」
先ほど壇上を睨んでいた男の言葉に、青年はイントネーションの乏しい声で答える。
『あなた方のいう神が、何を基準にしてそう呼ぶのかは知りません。が、もしこの世で唯一魔術より高位なる力、“魔法”を扱える者がいて、それを名付けるとするならば、それは神と呼ぶ以外に相応しい言葉はないと思いますが。現に魔術までしか扱えないあなた方にこのような異世界を創ることは不可能ですし、先に申したとおり私もヒトではなく《神》の魔法によって顕在られた魔力の塊ですから』
《神》という者の魔法が顕在した形であると主張する者の言葉に、室内が静まり返る。
それは返す言葉がないというにはいささか程遠く、ただ彼の青年の言葉に圧倒されていると言っていいだろう。
常識を覆す力を魔術と言うのならば、魔法はさらにその上、物事の条理や道理の一切を無視し不可能を可能にする奇跡の力だ。即ち魔法を扱える者は神に等しい権限を持ったと言える。
そんな魔法ならば、今自分たちがいるこの異空間のようなものも創りだせているのだ、確かに人一人の願いを叶えることくらい造作もないだろう。
ただそうなると一つだけ大きな疑問が残る。
感情の乏しい虚ろな瞳で、時無は少しでも多くの情報を得ようと青年の話に耳を傾ける。
『さて今宵は、火・水・雷・土・風・木――現代の魔力の基礎となる六つの属性を参考に、本来決して成し遂げることはできない強い願望を持った、それぞれの属性の魔術師たちを集めさせていただきました』
どこか愉しげに喋る青年の言葉に、時無は思考を巡らす。
時無の得意とする魔術は炎――即ち、時無は火の属性の魔術師として呼ばれたことになる。
そうするとここにいる他の五人が残る属性の使い手たちとなる。
そこで思考は再び先の残る一つの疑問に戻る。
なぜわざわざ六人も集めたのか。いや、もっと言うならば《神》とかいう者はなんのためにそんな“お人好し”な魔法をしたのか。無償で願いを叶えてくれるなどという、都合のいい話はあるわけがない。
青年を顕在させた《神》とやらには間違いなく何か別の目的があるはずだ。それも勝者の願いを叶えさせても損にならないほど。
時無がそう確信したとき、さらにそれを裏付ける言葉があの機械音声から発せられた。
『そしてここにいる六人の中から願いを叶える一人を決める方法ですが……。なに、簡単なバトル・ロイヤル形式の《デスゲーム》です。これからあなた方には己の願いを叶えるため、これまで錬成してきた魔術を駆使し、最後の一人になるまで、互いに殺し合ってもらいます』
「――ッ!?」
あまりにも予想外の言葉に、魔術師たちは思わず息を呑んだ。