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無計画な転職  作者:
3/4

3

しかしそんなエリーゼに、おじさんははっきりと口にした。


「あるよ。」


 一瞬の沈黙。おじさんが、くしゃくしゃと、読んでいた新聞をたたむ音がやけに大きく響いていた。


「え、あるんですか。」


 自分で聞いておきながら、意外すぎて頭がついていかなかった。嘘だろ、と思わなくもないがそんな事を言っている場合でもない。


 しかし、なんと言っても、もう、小躍りする程度には嬉しかった。


「だからって、もう、庭でかくれんぼはしないでね。」


 おじさんは、ぼそりとエリーゼに釘を刺した。





 すぐに、と言われたのでいつもの厳つい鞄片手に新しい勤め先へ向かった。足取りも軽やかに。

 今度の仕事は、家庭教師ではなく普通の侍女の仕事らしい。なんでも、数週間前にこのあたりに越してきた若い貴族の家だという。エリーゼはほんの少しほっとした。多少の変装は続けるが、もう不自然なまでに年を食った振りはしなくて良い。

 もと来た道を戻り少し進むと、高級住宅街へと足を踏み入れた。大きな楓の葉が、石畳の上を覆っている。赤、黄色、茶。紅葉の様子が色鮮やかだ。

 高級住宅街をすすんでいく。やがて見えてきた、一際目をひくゴシック様式の邸宅。高くそびえる尖塔と、それを支えるフライングバットレスが見事だ。軒下では、ガーゴイルの彫刻がこちらを睨み、庭の東屋ではカリアティッドが軽やかにその屋根を支えている。東屋の周りに広がるフランス式庭園は美しく、丁寧に刈り込まれて行儀よくそこに在った。


 ここか・・・


 斡旋所で聞いた、住所と屋敷の外観を再度確認する。随分と立派な邸宅である。


 今度の仕事はあたりかもしれない。


「新しく侍女として参りました。マリア・スミスです。」


 門の脇に控える警備のお仕着せを纏った青年に紹介状を見せる。そして出来うる限り優雅に礼をとると、彼はにっこりと微笑んだ。私の顔と紹介状を確認すると、あっけないほどすんなりと門を通された。


「確かに承りました。このまま玄関まで、どうぞ。」


 指さされた玄関へのアプローチを進む。良く手入れされた庭の様子から、この屋敷の主人や庭師の趣味の良さを感じる。品よく、丁寧に整えられた庭園と言った佇まい。綺麗に掃き清められた庭園の落葉広葉樹。美しく刈り込まれた常緑樹。赤く色づいた、美しいりんごの木。シーズンになれば、色鮮やかに、馥郁たる薫りを放つであろう薔薇の蕾が行儀よく並んでいる。


 春が、楽しみね。

 春まで、首にならなければの話だが。


エリーゼは目を細める。


 その一角に、丈の低い植物を植え付けた花壇があった。球根、茎、葉の様子から、時期的に植えられているのはスノゥ・ドロップだろう。


 ・・・本当に、嫌味な程に良い趣味ね。


 スノゥ・ドロップは、エリーゼの大好きな花だった。それと同時に複雑な気分になるのではあるが。

 それは、恋人と分たれたあの日。王宮の朝まだき庭園の情景。その思い出の中で足下を可憐に、白く、清く彩っていた。彼はそこで、待っていてくれと私に懇願したのだ。そっと、私の掌にスノゥ・ドロップの花を摘んで。

 私はそれを胸押し抱いて、絶対に、お待ちしております。そんな約束をしたのだった。なんて素敵な思いで。なんて初で可憐な私。

 鼻の奥がつーん、としてきた。


 感傷なんて、いらない。思い出じゃ、腹一杯にならない。がんばって働くんだ。


 鼻の奥の痛みを、そんな言葉でかき消す。

 心の中での決意も新たに、重厚そうな造りの扉の前に立つと、深呼吸を一つ。

 そうして、よしっと気合いを入れると、精一杯もったいぶった動作で扉を叩いた。

 

「斡旋所からの紹介で参りました、マリア・スミスです。よろしくお願いします。」


 よし、今度こそ、がんばろう。というよりむしろ今度こそ首にされて堪るか。そんな思いをこめて。

 エリーゼは勢い良く、頭を下げた。






 出てきたのは恰幅の良い老齢の侍女頭だった。彼女は、ソフィアと名乗った。

 ソフィアに案内され、屋敷の主人の部屋へ出向く。


「旦那様、失礼致します。」


 ソフィアは折り目正しく、頭を下げると扉に声をかけた。彼女は入って、といういらえを受けて、扉を開く。旦那様、と呼ばれた人物は机について執務中だったようだ。せわしなく、手元が動いている。


「新しい、侍女?」

「はい、旦那様。マリアと申すものです。」

「ふぅん・・・もう少し、若い子が良かったんだけどな。」

「そんなことを言われても、若い侍女を、浮ついているから、という理由で解雇なさったばかりではありませんか。」

「だって、気がついたら僕の寝台の中にいたんだもの。ああいう子が嫌だっただけで、なにも若い子が嫌だって言ったんじゃないよ。」


 部屋へ足を踏み入れると、下げた頭上で行き交う会話。ちょっと失礼だ。これでもまだ19ですが、なにか。


「若い女の子がいると、何となく華やぐしね。」

「そんな事をおっしゃるのなら、はやく結婚なさってくださいまし。

 また、お父上からお手紙が届いておりますよ。」

「またか・・・父上も相も変わらずしつこい。

 結婚相手くらい、自分で見つけるって何度言ったらわかってくれるのかなぁ」


 全くもって、その通りだ。なんてすばらしい雇い主。気が合いそうだ。声も落ち着いていて、いい感じ。

 いい感じ・・・?



「それから叔母上様からも、お手紙が届いております。」

「叔母上からも?

 釣書は、もう見飽きたんだけどなぁ。」


 え、この声・・・

 聞き覚えのある声に、よく似ている。

『待っていてくださいね。』

 懐かしい情景が、走馬灯のように蘇ってきた。


「・・・。

 まだ、中身は確認しておりません。

 ですがみなさん、心配なさっておいでなのですよ。」

「でも、僕も子どもじゃないんだからほっといてよ。」


 いやいや、そんな偶然ある訳ないよね。

 そう思いつつ、冷たい汗が背中を伝うのを感じた。

 顔が、あげられない。


「ねぇ、君もそう思うでしょ?」

 

 旦那様はそう言うと、さわやかにこちらに目をくれた。

 まずい。間違いない。


「はいもちろんでございますだんなさま」


 エリーゼは、顔を上げる事もできずにいらえた。


「顔、あげて」


 主人は、そんなエリーゼに不思議そうに声をかける。

 しかし、顔を、あげられる訳がなかった。

 それでも・・・

 ・・・ここまでか。

 エリーゼは腹をくくると、のろのろと顔をあげた。視線が、ぶつかる。

 三年前よりも、少し逞しくなったその顔。しかし、三年前と変わらぬ、涼しげな目元。


 ああ、間違いない。

 クラウス・・・

 

 新しい雇用主もとい元恋人は、ほんの少し片方の眉をあげ、


「あぁ、きみ思ったより若いんだ。」


 思っても見なかった事を宣った。

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