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無計画な転職  作者:
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次の日。

 憎らしいほどの快晴だった。

 布団がよく干せそうだから、というわかったようなわからないような理由で、宿の主人に暖かなベッドの中からたたき出された。冬の朝の町に。全く理不尽な話である。そんなそっちの都合知った事か、と言い返したかったが、そんな根性も気力もなかったので、言われるがままに早朝の町に飛び出した。

 泣きはらした目に、なんと朝日がしみることか。どんよりとした空気を纏っているのが自分でもよくわかる。泣いたところで、何も解決はしないのだ。

 さわやかな新聞配達の少年がまぶしくて仕方なかった。

 街角のパン屋からは、信じられないほどに、焼きたてのいい匂いがする。花屋では小さな少女が、花の入ったバケツを並べる手伝いをしている。店先に並んだ、鮮やかな花々。朝露をたたえた、その瑞々しい花びら。葉。そして何より、楽しげに手伝いをする少女の太陽のような笑顔。

 なんと清々しい朝だろう。そしてなんと、この朝の似合わぬ自分。ぜひとも私も爽やかな人間になりたい。

 しかし、いくらすばらしい快晴とはいえ今は冬。自分は昨日、ほとんど着の身着のまま状態で解雇された身。寒くて仕方ない。


 もう、いっそ世を儚んで出家するか入水するか・・・


 木枯らしに身を任せながら感傷的な気持ちになってくるのはもはや仕方ないのではないだろうか。

 出家と入水。

 試しに想像を巡らせてみる。幼い頃、慈善活動訪れた田舎の修道院。北の地で見かけた水凍る大河。つまり、寒風吹きすさぶ修道院と、凍り付く川。

 どちらも寒いに変わりないことに気がつく。それだったら、暖かい実家に帰って婿取りでもなんでもした方がましだ。信心などあったって暖をとる何の役にも立たない。

 

 ・・・。


 ここへきて、当初の目的を思い出す。


 そのすべての可能性を回避する為に、私はいま、この早朝の冬の町を歩いているのだ。

 なんて、崇高な志。


 すばらしい。

 意気込みも新たに、職業斡旋所への道のりを急いだ。両方の手をすりあわせ、息を吹きかけながら歩む。白い息が手のひらを包んでは消える。お金も、職業も、恋人もないけれど、私にはこの崇高な志がある。そう思えば世界も体も心無しか暖かく感じられた。自然、足取りも軽くなってくる。

 石畳の街道に、エリーゼの軽やかな靴音が響いた。




 職業斡旋所は町の南側にある。割と治安の良い地区なので、歩いていて楽しかった。市場のある川沿いの大通りを進んだ先を右に曲がる。樫の木の通りをまっすぐと歩くと役所が見えてくる。役所のある区画の裏通りに入った広場に面した小さな建物がそれだった。

 広場にはまわりの商店が商品の陳列棚や客席を思い思いに持ち出している。いつも活気と美味しい匂いにあふれている。

 なかでも3面を囲むアーチのストアの下にはラスクの屋台があって、そこはエリーゼの大のお気に入りだった。仕事が上手く見つかったときや良い事があったときにはついつい、たくさん買ってしまう。お店のおばさんは気さくで楽しい人で、いつもいろんな事を話し込んでしまっていた。

 しかし、今日はそのお店も開いていない様だ。


 あれ、どうしたんだろう・・・?


 あとで、寄ろうと思っていたのに。そんな事を考えながら職業斡旋所の前に立つ。

 もはや見慣れたチョコレート色の古びた扉。ここを訪れる誰もが、期待と不安を胸に叩いたに違いない。真鍮のドアノブの少し上は塗装がはげ、他の部分と違いガサガサと木の素材を露出させていた。

 その扉はぴったりと閉ざされていた。おまけに、大きく、


『closed』


 今日はお休み・・・?なんだか、どこもかしこも閉まっている。

 おかしい。


 ・・・。

 ・・・・・・。

 ・・・しまった。


 広場を仰ぎ見ると、時計の針は午前6時30分すぎを指している。


 ああ、やっぱり・・・


 ただ単に営業時間の問題だった。どうりで、ラスク屋さんもまだ開いていないはずで。

 開業時刻は午前8時。つまり職業斡旋所が開くのは今から一時間半後。


 自分を宿からたたき出した宿屋の主人が、心の底から憎かった。





———そして、一時間後。


「あのう、侍女か、家庭教師の募集、ありませんか・・・。」


 斡旋してもらうたびに首になり、斡旋所のおじさんに会わせる顔なんてない。

 まさか、あるわけ、ありませんよね?

 そんな、控えめな声でないと話しかけられるはずがなかった。しかし、厚顔無恥と知りつつもエリーゼにはそれを実行するより他に術などない。

 もはや見慣れたカウンターとその奥の、大きなイスに腰掛ける店主。栗色の艶やかな、しかしし随分と年季の入ったカウンター。その上には、たくさんのメモ用紙や契約書、手紙のたぐいが散乱している。

 一瞬の沈黙の後、おじさんはぎょろりとした眼鏡でエリーゼのほうを見やった。また、あんたか。そんなおじさんの心の声が聞こえた気がした。そうです、またあんたです。

 もちろん、被害妄想だ。

 彼はこちらを一瞥すると、大きくため息を一つ。


 ああ、今度こそだめか・・・。

 その様子に、エリーゼはごくりとつばを飲み込んだ。


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