一章 王太子の溺愛とか要らないってば!
(はいはい……今度は誰)
扉を開けると青い外套が見えた。
陽を吸った琥珀の瞳が、まっすぐこちらを見つめている。
「ご機嫌よう、アウラ。――王太子、セドリック参りました」
「ちょ、ちょっと、護衛もなしに一人でいらしたの?!……外套かけますわ」
「ありがとう」
軽く笑って外套を差し出しついでにこちらの右手を当然のように取る。手袋を外した指先が腕をとった。
「王命を携えて参りました。
『魔女アウラの呪いを、解呪せよ』
私に一任、とのことです」
「え、は、え?」
言葉より先に、至近距離の金髪が気になる。
(近い。近いってば)
「書類の確認なさいます?」
封書を差し出しながら手は離れない。
「見るけど手は離して」
「診察したいので」
悪びれず、手首に少しだけ圧をかける。
「脈が速いね……緊張してる?」
「あなたの、無駄に美しい顔面のせいでしょ!」
「……文字通り脈はあるのですね、光栄」
「……そう言う意味じゃないし、なかったら死んでおります」
「…幼馴染で弟子の私に随分冷たいじゃないか。そんなところも好きだよ!」
無視して封蝋を割る。確かに「王太子セドリック、国の至宝魔法使いアウラの解呪をせよ」とある。
(王命で“解呪”。――確かにセドリック以上の治癒力と治癒の研究者はこの国にいないわ。でも、こんな命に別状のない呪いなのに…。
これ、わざわざ自分で大義名分をとってきたのかしら…)
なんだか本当に頭痛がする気がした。私はもう考えるのをやめる。
「……帰ってくれない?私は静かに隠居中よ」
「公務ですから」
にっこりセドリックは笑う。
「それに――個人的にも、放っておけない」
「…個人的な興味は要らないわ。公務は?」
「“要らない”って言われると余計に欲しくなるって知ってる?…公務は3年分前倒した」
「…貴方って嫌味なくらい優秀ね、自分でどうにかするから王太子さまは帰って」
「褒めてくれてありがとう!…お茶をご馳走になれれないかな?一杯だけでいいから、ね?」
「王太子がねだらないで」
「では、ディナーで」
「…要望が大きくなってるじゃない」
「…腕が鈍ってないか、手合わせしたいのです」
「…そう言われると断れないのわかっているわよね?」
「師の貴方しか手合わせしてくれませんから」
仕方なく踵を返すと、彼は当然の顔で台所までついてくる。
「包丁は持たないで」
「心配?」
「落としてまた足でも切られたら面倒だから」
「治せます」
「貴方って…。はあ、最初から切らないでって言ってるの」
「はい」
素直に従う“ふり”をしながら、肩越しに身を屈める。低い声が耳のすぐ近くに落ちた。
「少し凝ってる?」
「…そんなことないわ」
「…素直に受け取ってください」
彼の指がそっと肩に触れる。布の下、微かな暖かさが走って、首筋のこわばりが緩んだ。
「そんなことで貴重な治癒を使わないで!」
「診察の一環だよ。私の治癒力多いし」
「…今はどこも痛くない」
「“今は”?」
揚げ足取りの調子で、目だけが真面目に光った。
「うるさい」
湯が沸き茶葉を落とし、盆に二人分の茶を載せる。居間に戻ると、彼は向かいではなく、斜め隣に座った。肘がかすかに触れる距離。
「近い」
「対象から離れすぎない――王命です」
「そんな王命はない」
「今、制定しました」
「勝手に増やさない」
「では私的な感情で」
「なおさら駄目」
私が茶碗を置くと、彼が本題に戻す。
「呪いの兆候を確認したい。――恋でときめくと激痛、と聞いていますが、詳細は?」
「症状は激痛に近い頭痛と気絶みたい。頻度は今のところ全くなし。誘因は――」
セドリックの手が私の頭に触れ、厚さと重みに胸がわずかに跳ねた。
ズキン。
針が内側を突くみたいな頭の痛み。
セドリックが目を細めて、こめかみに触れると柔らかな光が見え、嘘のように痛みは消えた。
「今のは?」
「……王太子の襲来で過労」
「嘘ですね」
「うるさい」
「…心配しているのです」
触れた手が離れない。視線も。
声がわずかに低くなる。
「――ときめき、ありました?」
「…診察の質問が無神経よ」
「あなたの命に関わる」
「……ほんの少しだけ」
目尻に小さな笑みが灯る。
「初見、陽性」
「医者ぶるのやめて」
「治癒者です」
そのまま私の手の甲へ視線を落とす。
「誘因を避けるのが最短だが――いずれ避けられないなら、私が治癒すればいい」
「…はい?」
「…そばにいれば安心だよ」
外で荷車の音がして止まった。門の方が少し騒がしい。
「まさか……え?」
「荷物が届いたみたいだね」
にっこり笑った目がこわい。
「診療の道具と着替え、書籍など」
「勝手に…!!」
「滞在は王命の範囲内」
セドリックが書類を指差す。小さく『必要であれば対象者と同居を許可する』とある。
「……必要ないっ!」
「治癒者としてあなたのそばに居る必要がある」
指先を唇に重ねられ文句を遮られる。
「……解呪させてください。どうか。心配なのです、貴方が」
落ち着くために茶を飲む。喉を通る温度がさっきより高く感じられた。
セドリックはいつになく真剣な顔でこちらを見る。これはもう絶対に曲げないだろう。長年の付き合いで分かってしまう。
「……滞在は、離れの客間。夜は来ないこと」
「必要時は行きます」
「……外に追いやるわよ」
「王太子が身ぐるみ剥がされても心は痛みません?」
こちらの眉が跳ねるのを、愉快そうに見た。
しかし突然、彼はまた真剣な眼差しに戻る。
「アウラ。倒れる前に、いつでも抱きとめます。私は…」
「…それ以上口を開くと、逃げるわ」
「…では、今日はこの辺りで」
扉の外で荷のやり取りが一段落した気配。彼は立ち上がり軽く会釈した。
「荷は私の部下が運びます」
扉の方へ二歩下がり、彼はふいに振り返る。
「お茶が美味しかった。またお願いします」
「“また”って……」
「診察の度に頼むよ。二人きりっていうのが美味しさの秘密かな?」
「…普通のお茶よ!」
思わず声が上ずる。彼は満足げに微笑んだ。
扉が閉まる。居間に静けさが戻る。
……はずなのに、心音は静かにならない。
(王命も、診察も、要らない。――恋愛も。ただ、静かに暮らしたいだけ)
そう念じながら、手首の熱をさすった。
また鈴が一度、控えめに鳴った。
(今度は誰!?もはや騒がしいくらいね)
私は深く息を吐き、隠居という単語の意味を、脳内でそっと確かめた。




