序章 子育てっていつまで続くの!?(…可愛いけど)
荷ほどきを終え、私は机の引き出しに細い金の糸と、使い慣れたルーペと、香草を詰めた小袋を並べた。
(ここは静かね)
15歳で公爵家に嫁ぎ、すぐに夫が儚くなったので、一生懸命歳の近い子供たちの母親役を務めてきた。
机の角に額を押しつけ
「アウラのバカ!字なんて読めない!」
と涙目で言った少年の――コンラッドの指を取って、私は一本ずつ線をなぞらせた。
自分の名を書けたとき、顔を上げた彼の目は、キラキラしていた。
短気だったジャックの頭に拳骨を落として
「強さは守るために使いさい!」と言って泣きながら怒った日。
「私なんて」
と肩を落としたエレナ。
「あなたはとっても可愛い。私はとっても愛してるわ」と慰めた翌日、明るいドレスを着て誇らし気に笑っていた顔。
熱にうなされていたルリアは、手は離すとすぐ私の指を探し、朝が来るまで握っていた時。
魔力暴走を起こして部屋を焦がしたカイルに
「一緒に片付けたらいいの」
と泣いたあの日。
――思い出は宝石のよう今も輝いている。
でも、いつまでも手をひいてあげられない。手は次の何かのために空けておくべきだ。
(あの子たちはもう大きくなった。だからちょうど良かったの)
心の中で繰り返して、私は茶をひと口。
私は長男コンラッドの婚約者から疎まれ、呪いを受けた。
『恋でときめくと、酷い頭痛が起きて倒れる』
とかいう呪いだ。あまりに意味不明すぎてこの国で一番の魔女である私も知らないものだった。そもそも治癒系は専門外だ。
そんなわけで私アウラは長男の元婚約者のお家から慰謝料も貰い、渡りに船とばかりに領地の屋敷に隠居したのであった。
(ちょうど良かったのよね。家は長男が継いだ。
私は27歳だから無駄に縁談はくるけどまた嫁ぐ気はないし。とはいえ血の繋がらないとはいえ、育て上げた愛する子供たちの世話になんかなりたくもないし)
此処は王都近くの公爵家の領地にあるそれなりの大きさの屋敷。
使用人を付けると言われたが断った。魔法研究を思いっきりしたいから。
だから、此処は静かだ。
――からん。
門の方で、小さな鈴が鳴った
(……静かな、はずなんだけど)
私はため息をひとつ、でも少し緩む口元を抑えて立ち上がった。
◇
「お母様!」
「ママ!」
飛びついてきたのはエレナとルリアだった。
扉を開けた瞬間、エレナとルリアが同時に飛びついてくる。
二人とも一緒に雪崩れこんできて、私の腕は自動で受け止めていた。
「ちょ、ちょっと……もう!二人とも大きいんだから、落ち着きなさい」
「心配だったのよ!」
エレナが涙目で胸に顔を押しつける。
「“隠居”なんて!私たちその場にいたらあの女を八つ裂きにしてたわ!」
「そうよそうよ!お兄ちゃんたちってば役立たずだわ!」
私は取り敢えず抱きしめた。
「大丈夫よ、心配してくれたのね?ただ私は静かに研究したいから隠居しただけ」
「でも」
ルリアが腕に絡んで甘える。
「お母様って、放っておくと本当に一人で楽しそうにするから」
「もう、その言い方」
お茶を淹れようとキッチンに向かっていたエレナの叫び声がした。
「なっ!!兄様!?」
ため息をひとつ。奥へ進むと長男コンラッドと長女エレナが睨み合っていた。
――私の来客用机が、完璧に執務机になっている。
「……はあ、お兄ちゃんたち、やっぱりもういたのね」
末娘のルリアが呆れた声で言う。
机には宰相を務める長男コンラッドが書類を積み、騎士団に入った次男ジャックが私を見るや否や兵の揉め事を訴え、宮廷魔法使いの三男カイルは勝手に入ってきて魔法陣を広げている。
私は長女と長男、次女と次男の喧嘩を聞き流しつつ、ひとつひとつに答え、符や薬草を渡し、原因を推測し、さっさと解決してした。
「母さんは俺の女神!」「声がうるさい!お母様、戸締りしっかりしてくださいね」
とジャックが笑い、エレナが肩を叩く。
ルリアがカイルを無理矢理引きずっていきながら扉を引く。
「ママ!次の夜は冷えるって!だから今度毛布を持ってきますわ!」「…母さま先魔法陣完成させないでよ」
コンラッドが少し甘えた声で
「母上、明日また報告に参ります」
と机を片づけもせず出て行った。
賑やかな声が去り、屋敷は再び静かになった。
椅子に腰を下ろしすっかり冷めた茶をひと口。
(これが望んだ暮らし……それなのに“また来る”なんてねえ)
「もう、本当に困った子たち」
呟いたそのとき、鈴がまた鳴った。
落ち着きなく二度、三度。私は小さく肩をすくめ、立ち上がる。
(…なんだか全然静かじゃない気がするわ)