第15話_ラッキースケベ術師と山岳への道
「もう少し休もうか?」
エリザベスの提案に、リーザは首を横に振った。
「いや、先に進むわ。騎士団が森にまで来ているなら、ここで立ち止まっている場合じゃない」
四人は森を抜け、次第に上り坂になる道を進んでいた。木々は徐々に姿を変え、森の豊かな緑から、より背の低い山の植生へと移り変わっていく。数時間も歩き続けると、道は急に険しくなり、岩だらけの山道へと変わった。
「北の山岳地帯…」セシリアは前方に広がる山々を見上げた。「古代の神殿はずっと奥よ」
幸運は杖を使って岩を踏み越えながら、息を切らせて言った。
「でも、いきなり山を登るのは厳しいかもしれないな。準備も不十分だし…」
「同感ね」エリザベスが周囲を見回した。「食料も少ないし、山の気候に対応する装備もないわ」
リーザは少し考え、頷いた。「そうね。情報も必要だわ。神殿への正確な道筋も知らないし」
四人が立ち止まって次の行動を考えていると、近くから声が聞こえてきた。
「おや、旅人さんかい?」
振り返ると、茶色い革の服を着た中年の男性が立っていた。彼は荷物を背負い、手には山羊を引く綱を持っている。
「こんな山の入り口で立ち止まっていると、日が暮れるぞ」男性は親しげに言った。「村はもう少し先だ。一緒に行くかい?」
四人は顔を見合わせた後、男性についていくことにした。リーザは警戒心を解かず、男性との距離を保ちながら歩いた。
「村?この辺りに村があるんですか?」幸運が尋ねた。
「ああ、山の民の村だよ。昔から山と共に生きてきた我々の集落さ」男性は笑顔で答えた。「私はホルガ。狩人をしている」
セシリアが静かに尋ねた。「この村には…教会の影響は?」
ホルガは首を傾げた。「教会?ああ、あの南の連中か。我々の村には神官は来ないよ。山が高すぎてな」彼は笑った。「山の神だけを信じている」
その言葉にセシリアは明らかに安堵の表情を見せた。
しばらく歩くと、小さな集落が見えてきた。山の斜面に沿って建てられた木造の家々が、縦に何層にも連なっている。家々の間には石畳の階段が続き、各所から煙が立ち上っていた。
「ようこそ、ミザル村へ」ホルガが誇らしげに言った。
村に入ると、人々が忙しそうに働いている様子が見えた。中央の広場では、男女が協力して何かの準備をしていた。
「今日は山の祭りの準備をしているんだ」ホルガが説明した。「年に一度、山の神に感謝を捧げる日さ。運が良かったね、旅人さんたち」
リーザが尋ねた。「一泊させてもらえないでしょうか?」
「もちろん!」ホルガは快く答えた。「旅人の宿があるよ。今夜の祭りに参加してくれれば嬉しいな」
ホルガは四人を村の上部にある小さな宿へと案内した。宿の主人は快く四人を迎え入れ、一部屋を提供してくれた。
宿に荷物を置いた後、四人は村を散策することにした。
「変わった村ね」エリザベスが周りを見回した。「でも、なんだか落ち着くわ」
山の民たちは四人に友好的で、挨拶を交わしながら祭りの準備を続けていた。広場では、若者たちが太鼓や笛の練習をしており、女性たちは色とりどりの花で飾り付けを行っていた。
「長老に会ってみよう」リーザが提案した。「神殿についての情報が得られるかもしれない」
ホルガの案内で、四人は村の最上部にある大きな家へと向かった。そこにはミザル村の長老が住んでいた。
長老は白髪の老人で、顔には深い皺が刻まれていたが、目は鋭く輝いていた。
「よく来たな、旅人たち」長老は温かく四人を迎えた。「ホルガから聞いた。お前たちは北の神殿を目指しているそうだな」
「はい」リーザが答えた。「神殿への道を教えていただけないでしょうか」
「なるほど…」長老は頷いた。「北の神殿は我々の祖先が守ってきた聖地だ。教会が力を持つ以前から、その地には神官たちが住んでいた」
セシリアが興味を示した。「教会以前の神官…?」
「そうだ」長老は続けた。「古の知恵を守る者たちだ。しかし、神殿に辿り着くには試練がある。純粋な心を持つ者だけが通れるのだ」
「どのような神を祀っているのですか?」幸運が尋ねた。
長老は深く息を吸い、ゆっくりと答えた。「北の神殿で信仰されているのは『自然の理』だ。『星樹の教え』と呼ばれる古い信仰でな、万物の調和と均衡を司る『星樹の女神イヴァル』を崇めている」
「星樹の教え…」セシリアが静かに繰り返した。「教会では異端とされている信仰ですね」
「幸運が永久追放された国は聖樹王国ソレイユだが、関係があるのかもな」リーザが笑いながら言った。
「永久追放?一体何をやからしたんだ…?」セシリアが引く。
「俺のラッキースケベ術が…」
「あー、もういい、分かった」セシリアが首を横に振りつつ、頭上に掲げた右手で振り払う素振りをした。
「教会が台頭する前は、この地方の主な信仰だった」長老は窓の外を見た。「イヴァル女神は星と大地の力を結びつけ、生命の循環を司ると言われている。我々山の民の『山の神』も、実はイヴァル女神の一側面なのだ」
「では神殿には神官たちがまだ?」エリザベスが尋ねた。
「今も少数の守護者たちが古の知恵を守り続けている。彼らは『星読み』と呼ばれ、自然の理を読み解く力を持つ」長老は懐かしそうに微笑んだ。「私も若い頃、神殿で修行したことがある」
「試練?」幸運が首を傾げた。
「それは自分で確かめるものだ」長老は微笑んだ。「今夜は祭りを楽しみなさい。明日、神殿への道を教えよう」
長老との会話を終え、四人は宿に戻った。
「試練か…」リーザが呟いた。「なんだかわからないけど、用心したほうがいいわね」
夕方になると、村全体が祭りの準備で賑わいを見せ始めた。四人は山の民から借りた祭り用の衣装に着替え、広場へと向かった。
空には星が瞬き始め、広場は松明の明かりで照らされていた。太鼓の音が鳴り響き、村人たちは輪になって踊り始めた。
「すごい…」エリザベスは目を輝かせた。「こんな祭り、見たことないわ」
四人も村人たちに促されて輪の中に入り、踊りに加わった。単純なステップだったが、幸運は何度も躓き、隣の女性と接触しそうになった。
「気をつけて!」リーザが警告した。「ここでラッキースケベなんて起こしたら…」
「わ、わかってるって!」幸運は必死に注意を払った。
セシリアは輪の外で踊りを見ていたが、ある老婆が彼女に近づいてきた。
「あなた、教会の人だったのね」老婆は静かに言った。
セシリアは驚いた表情を見せた。「どうして…?」
「目に出ているよ」老婆は微笑んだ。「でも心配しないで。山の神はすべての人を受け入れる」
「…」セシリアは複雑な表情を浮かべ、黙って頷いた。
祭りは深夜まで続き、やがてクライマックスを迎えた。村人全員が広場の中央に集まり、長老が祈りの言葉を唱え始めた。その言葉は四人には理解できない古い言語だったが、不思議と心に響くものがあった。
長老の祈りが終わると、村人たちは山の斜面に向かって一斉に頭を下げた。
その瞬間、幸運は奇妙な感覚に襲われた。
「これは…なにか思い出せるような…」
何かを強く思い出しそうになる感覚。既視感とも言える感覚が、彼の心の中を駆け巡った。まるで以前にも同じ光景を見たことがあるような、しかし思い出せない不思議な感覚だった。
「私もよ。私も前世は勇者だった、たぶんね」リーザがケラケラ笑った。
「なんだよ、こっちは真面目なんだぞ!」
「はいはい」
祭りが終わり、四人は宿に戻った。
「みんな、どうだった?」エリザベスが尋ねた。
「楽しかったわ」リーザが意外にも笑顔で答えた。「あの剣の踊りは見事だった。明日、もう少し教えてもらおうかしら」
「私は老婆から薬草の知識を教わったわ」エリザベスが言った。「山の植物は平地とは違うのね。特に大地の力を引き出す呪文が興味深かったわ」
セシリアは黙っていたが、やがて静かに話し始めた。「この村の人たちは…教会の教えにとらわれずに生きている。それなのに、調和を保ち、幸せそうだ」
「幸運は?」リーザが尋ねた。
「なんだか…不思議な感じがした」幸運は曖昧に答えた。「まるで前にも見たことがあるような…」
「疲れているのよ」エリザベスが言った。「さあ、休みましょう」
翌朝、四人は再び長老の家を訪れた。
「祭りは楽しかったか?」長老が笑顔で尋ねた。
「はい、素晴らしい祭りでした」リーザが答えた。「神殿への道を教えていただけますか?」
長老は地図を広げ、山岳地帯の地形を説明した。
「神殿へは二つの道がある。一つは低地を通る道。もう一つは山の稜線を通る道だ」
「どちらが良いでしょうか?」セシリアが尋ねた。
「教会の者たちは低地を好む」長老は意味深に言った。「山の高みに登れば、彼らの追跡から逃れられるだろう」
四人は顔を見合わせ、山の稜線を通る道を選んだ。
「賢明な選択だ」長老は頷いた。「孫のトルクを案内人としてつける。彼は山道に詳しい」
村の人々は四人に食料や防寒具を提供してくれた。特に山の寒さに対応するための厚手の毛皮のマントは貴重な贈り物だった。
「みんな、本当にありがとう」エリザベスは感謝の言葉を述べた。
「旅の無事を祈る」ホルガは四人の肩を叩いた。「山の神の加護があるように」
四人はトルクの案内で村を出発した。トルクは15歳ほどの少年だったが、山道を知り尽くしていた。彼は前を歩きながら、山の植物や動物について説明してくれた。
「この赤い実は食べられますか?」幸運が道端の低木を指さした。
「それは毒があるよ」トルクが答えた。「でも、あそこの青い実は甘くて美味しい」
山道は次第に険しくなり、時に崖っぷちの狭い道を通らなければならないこともあった。そんな危険な道では、四人は慎重に一人ずつ進んだ。
ある特に狭い崖道で、幸運が足を滑らせた。
「うわっ!」
彼は崖下に落ちそうになったが、リーザが素早く手を伸ばして彼の服を掴んだ。しかし、その勢いでリーザも均衡を崩し、二人とも転びそうになった。
「危ない!」
混乱の中、幸運はなぜか回転しながらリーザの体を支え、結果的に二人は安全に立て直すことができた。ただし、その姿勢は…
「な、何してるのよ!」リーザの顔が真っ赤になった。
幸運の手はリーザの胸を支え、もう一方の手は彼女の腰に回り、顔は彼女の首筋に埋まっていた。
「ごめん!これは偶然で…」
「はいはい、いつもの言い訳ね」リーザは幸運を押しのけたが、怒りというより呆れた表情だった。「でも…助かったわ」
「ああ、『ラッキースケベ』の伝説の術師ですね!」トルクが目を輝かせて言った。「村でも噂になってましたよ!」
「噂って…」幸運は頭を抱えた。
「続きは後で」セシリアが介入した。「早く安全な場所に移動しましょう」
一日中歩き続け、太陽が西に傾き始めたころ、トルクは立ち止まった。
「ここまでです」彼は尾根の先を指さした。「あの向こうに見える大きな岩山が神殿のある場所。ここから先は自分たちの力で進むべき道です」
「一人で帰れるの?」エリザベスが心配そうに聞いた。
「大丈夫、何度も来てます」トルクは自信満々に答えた。「それより明日は雪が降るかもしれない。気をつけてください」
トルクと別れ、四人は神殿に向かって歩き続けた。日が落ち、空気が急に冷たくなってきた。
「今日はここで野営しよう」リーザが岩陰を指さした。「風を避けられる」
四人は持参した毛皮のマントを広げ、簡易的な寝床を作った。エリザベスが山の民から教わった薬草で温かいお茶を入れ、四人はそれを飲みながら体を温めた。
「明日は本当に雪が降るのかな」幸運は空を見上げた。
「山の天候は変わりやすい」セシリアが言った。「準備はしておいたほうがいい」
夜が更けると、気温は更に下がり、風が強くなってきた。エリザベスが用意した焚き火も、次第に小さくなっていった。
「寒いわね…」エリザベスが身震いした。
四人は毛皮のマントに包まり、夜を過ごした。
---
翌朝、目を覚ますと、予想通り雪が降り始めていた。
「やっぱり雪か…」リーザは立ち上がり、周囲を見回した。「視界が悪いわね」
雪は次第に強くなり、白い霧のようになっていった。四人は急いで荷物をまとめ、出発した。
「まずいな」リーザが言った。「このままでは道がわからなくなる」
雪と風で視界が極端に悪くなり、四人は前進するのも困難になってきた。手足が冷え切り、特にリーザは剣を持つ手が悴んで(かじかんで)しまっていた。
「幸運、プチファイアで明かりを作って!」リーザが声を上げた。「寒くて指が動かないわ」
「え?俺に?」幸運は驚いた表情を見せた。「でも、俺の魔法はそんなに…」
「いいから!」リーザは強く言った。「何か光がないと道がわからない!」
幸運は杖を取り出し、集中した。「プチファイア…」
杖の先から小さな炎が生まれた。不安定で頼りないものだったが、それでも闇の中では十分な明かりだった。
「これで少しはマシね」リーザはかじかんだ手を炎に近づけた。「意外と熱いじゃない」
「まあ、これくらいは…」幸運は少し誇らしげだった。
四人は幸運の火を頼りに歩き続けた。雪は一向に止む気配がなく、辺りはすっかり白く染まっていた。
「あれは…?」セシリアが前方を指さした。
雪の向こうに、何かの建物のようなシルエットが見えた。
「神殿?」エリザベスが期待を込めて尋ねた。
「まだ遠いはずよ」リーザが答えた。「何か別の建物かもしれない」
四人は慎重に近づいた。それは小さな石造りの祠のようなものだった。
「避難所かしら」エリザベスが言った。
しかし、近づくと、それは祠ではなく、崩れかけた古い塔の残骸だった。
「ここで休もう」リーザが提案した。「少なくとも風は避けられる」
崩れた塔の内部に入ると、外よりはずっと風が弱く、雪も降り込んでいなかった。四人は持参した毛皮マントを広げ、休息を取ることにした。
「幸運、もう少し火を大きくできない?」エリザベスが言った。
「う〜ん…」幸運は集中して杖を構えた。「プチファイア…」
炎は少し大きくなったが、安定せず、ときどき消えそうになった。
「ごめん、これが限界かも」
「まあ、十分よ」リーザは言った。「少なくとも凍え死ぬことはないわ」
四人は火を囲み、持参した干し肉と山の実で簡素な食事をとった。
「さて、この雪が止むのを待つしかないわね」エリザベスが言った。
「でも長引くと食料が…」セシリアが心配そうに言った。
その時、エリザベスが何かに気づいた。「あれは…?」
彼女は塔の奥にある壁を指さした。そこには、幸運の火に照らされて、何かの模様が浮かび上がっていた。
「これは…」セシリアが近づいて見ると、それは壁画だった。「古代の文字…?」
壁画には人々が山を登る様子や、山頂にある大きな建物が描かれていた。
「神殿のことかしら?」エリザベスが尋ねた。
「多分そうね」セシリアは壁画の文字をなぞった。「これは古代教会の文字…一部だけ読めるわ」
「何て書いてあるの?」幸運が近づいた。
「『選ばれし者』『聖なる試練』…そんな内容ね」セシリアは壁画をさらに見ていった。「ここには神殿に至る道が描かれているわ」
四人は壁画を注意深く観察した。すると、セシリアの目が輝いた。
「見て!この塔の下には通路があるみたい…」
「通路?」リーザが疑わしげに言った。
四人は塔の床を調べ始めた。瓦礫や土を取り除いていくと、確かに床下には暗い穴が現れた。
「ここから降りられそうね」セシリアが言った。
「でも真っ暗じゃないか…」幸運は不安そうに穴を覗き込んだ。
「あなたの火があるでしょ?」リーザが言った。「役に立つ時よ、ラッキースケベ術師」
幸運は苦笑いしつつも、杖の炎を維持した。
「私が先に行くわ」リーザが決然と言い、穴に足を入れた。
穴の中は予想外に整備されていた。石で作られた階段が下へと続いていた。
「これは…古代の通路ね」セシリアが言った。「神官たちが使っていたものかもしれない」
四人は慎重に階段を降りていった。幸運の火が通路を照らし、四人の影が壁に揺れていた。
通路は広く、天井は高かった。壁には所々に文字や絵が刻まれていた。特に目を引いたのは、天空に輝く星々と、その星から大地へと伸びる巨大な樹の姿だった。
「これもセシリア、読めるの?」幸運が尋ねた。
「断片的にね…」セシリアが壁をなぞった。「『聖なる神殿』『試練の道』…そして『イヴァルの導き』という言葉が何度も出てくるわ。これは間違いなく星樹の教えの聖地への道だわ」
四人は壁画を注意深く観察しながら、通路をさらに進んでいった。長い下り階段を降りると、ついに一つの大きな扉に辿り着いた。
扉は重厚で、表面には複雑な模様が刻まれていた。中央には巨大な星の紋章があった。
「扉を開けてみましょう」セシリアが言った。
四人は恐る恐る扉を開けた。開いた扉の向こうからは青い光が漏れており、どうやらただの洞窟ではないようだった。
「この先は…」リーザが呟いた。
「神殿への道を守る聖域かもしれない」セシリアが推測した。「伝説によれば、神殿に至るには試練を乗り越えなければならないとも言われています」
幸運は深く息を吸った。「ならば、行くしかないな」
四人は決意を固め、青い光に包まれた扉の向こう側へと足を踏み入れた。