第14話_ラッキースケベ術師と森の隠れ家
月明かりだけが照らす暗闇の中、幸運たちは南の湖へと向かって走り続けていた。背後からは村での騒ぎが聞こえてくる。教会の騎士団による捜索が始まっているのだろう。
「はぁ…はぁ…」セシリアが息を切らし、一瞬足を止めた。
「大丈夫か?」リーザが彼女を支える。
「ええ…でも…」
「無理するな」幸運が言った。「エリザベス、傷の状態は?」
エリザベスが心配そうにセシリアの右足を確認する。「完全には治っていないわ。急いで移動するのは良くない」
四人はようやく湖の岸辺に到着した。月の光が湖面を銀色に染め、その向こう岸には暗い森が広がっていた。
「あそこまで行けば、騎士団からは一時的に逃れられるだろう」リーザが言った。
「でも、どうやって渡るの?」エリザベスが尋ねる。
湖は泳いで渡れるほど小さくはなかった。四人は岸辺を歩き、打開策を探した。そのとき、幸運が小さな入り江を見つけた。
「あそこに何かある」
近づいてみると、それは漁師の小屋だった。小屋の横には一艘の小舟が係留されている。
「こ、これは…」幸運が小舟を見つめる。
リーザは小屋を覗き込んだ。「誰もいないな…」
「小舟を借りるしかない」セシリアが言った。皆が彼女を見つめる。「他に方法はないでしょう?」
「でも、それは…」エリザベスが躊躇した。「盗みになるわ」
リーザは考え込んだ表情をしていたが、やがて決断したように荷物から小さな革袋を取り出した。「報酬で得た金貨がまだ少し残っている。これを置いていこう」
「それでも借りることには変わりないわ」エリザベスが罪悪感を隠さずに言った。
「命に関わる」リーザは正当化しようとしたが、その表情からも罪の意識が伝わってきた。
幸運が小舟を調べる。「使えそうだな。でも…」彼は立ち止まり、「漁師さんの生活道具だ。これがなくなったら困るだろうな…」
「だからこそ金貨を」リーザが言いつつも、皆の心にある罪悪感は消えなかった。
「メモを残そう」幸運が提案した。「謝罪と、いつか必ず返すという約束を」
「駄目よ」セシリアが静かに言った。「それは私たちの痕跡になる。教会の騎士団はその手がかりを見逃さない」
全員が沈黙した。命を守るための選択と、道徳的な罪の間で揺れる四人。
「決めた」リーザが言った。「金貨を置いていく。必ず、いつか恩返しをする」
誰も完全には納得していない表情だったが、他に選択肢はなかった。リーザは革袋から金貨を取り出し、小屋の入り口近くに置いた。
四人は小舟に乗り込み、リーザと幸運がオールを握った。岸を離れるとき、皆の心には重い沈黙があった。
「漁師さん、ごめんなさい…」エリザベスが小さく呟いた。
湖を渡る間、誰も多くを語らなかった。月明かりの下、静かにオールを漕ぐ音だけが響いていた。小舟は少し水漏れがあり、エリザベスとセシリアが交代で水を汲み出す作業を続けた。
幸運はオールを漕ぎながら、時折後ろを振り返った。村からの騎士団の追跡はまだ見えない。彼らはまだ村を捜索しているのだろう。
「ちょっと休憩…」リーザが額の汗を拭った。湖の中央まで来たが、向こう岸はまだ遠い。
「替わろうか?」セシリアが申し出た。
「大丈夫、まだ行ける」リーザは再びオールを握った。
湖面は思いのほか穏やかで、四人の小舟はゆっくりと、しかし確実に対岸に近づいていった。
「リーザ」幸運が静かに言った。「小舟のこと…」
「わかってる」リーザはオールを漕ぎながら答えた。「いつか必ず返す。でも今は…」
「ええ」セシリアが言った。「生きることが先決よ」
エリザベスは黙ったまま水を汲み続けていたが、ふと顔を上げた。「あそこ、対岸よ!」
月明かりに照らされた浅瀬が見えてきた。四人は最後の力を振り絞ってオールを漕いだ。ついに小舟は対岸に到達し、砂浜に軽く擦れる音を立てた。
「やった…」幸運は安堵のため息をついた。
全員が小舟から降り、砂浜に立つ。リーザは小舟を岸に引き上げた。
「これからどうする?」エリザベスが尋ねた。
「森に入って隠れるしかない」リーザが答えた。「でももう真夜中だ。今は休むべきだろう」
四人は湖岸から少し離れた木々の間に簡易的な野営地を作った。セシリアの怪我を再度確認し、エリザベスが残りわずかなマナで治療を施す。
「完治するには時間がかかるわ」エリザベスは言った。「でも歩けるようになるはずよ」
「ありがとう」セシリアは彼女に感謝の笑顔を送った。
夜の見張りを交代で行うことになり、最初はリーザが担当した。他の三人は疲れた体を休め、すぐに眠りについた。
リーザは湖を見つめながら考え込んでいた。自分たちの行為は正しかったのか。盗みと言えるかもしれないが、命を守るためだった。それでも心に重さが残る。
「眠れないの?」
振り返ると、幸運が目を覚まして座っていた。
「あんたこそ」リーザは小さく笑った。
「漁師さんのこと考えてた」幸運が言った。「俺たちがやったことは…」
「わかってる」リーザは空を見上げた。「でも選択肢がなかった。それでも…」
「うん、後味が悪い」幸運は膝を抱え込んだ。「いつか返せるといいな」
「ああ」
二人は静かに夜空を見上げた。星々が無数に瞬いている。
***
朝が来た。四人は村から持ち出した非常食を取り出した。リーザの荷袋からは干し肉と固くなったパン、エリザベスのポーチからはナッツ類が出てきた。決して満足できる量ではなかったが、今は贅沢を言っている場合ではない。
「食料は少ないな」リーザが言った。「早めに狩りをしないと」
質素な朝食を済ませ、四人は森の中へと進み始めた。セシリアの足は少し良くなっており、ゆっくりとなら自分で歩けるようになっていた。
「森の中なら騎士団の目も届きにくいだろう」リーザが言った。「しばらくはこの森に身を隠そう」
森の中は湖岸よりも涼しく、木々の間から差し込む光が美しい陰影を作っていた。鳥のさえずりや、小動物が動く音が聞こえる。
「こんなに平和な場所なのに、私たちは逃亡者…」エリザベスが呟いた。
「教会の教義が絶対という考え方自体がおかしいのよ」セシリアが言った。「ラッキースケベの剣も、おっぱい地動説も、教会が恐れているのは真実」
「でも、なぜ教会はそこまで?」幸運が尋ねた。
セシリアは少し考え、答えた。「権力よ。真実が広まれば、教会の絶対性が揺らぐ。それを恐れているの」
四人は森の中を歩き続けた。時折休憩を取りながら、深い森の奥へと進んでいく。周囲には人の気配はなく、ただ自然の音だけが響いていた。
「あれは…」幸運が前方を指差した。
木々の間から小さな建物が見えた。近づいてみると、それは古い廃屋だった。かつては猟師か山番の家だったのだろう。
「中を調べてみよう」リーザが言った。
四人は慎重に廃屋に近づいた。ドアは半ば壊れていたが、内部は予想以上に保存状態が良かった。
「誰も住んでいないみたいね」エリザベスが部屋を見回した。
「かなり前から使われていないようだ」リーザが埃を指で払った。
廃屋は一階建てで、主室と小さな寝室があった。暖炉や簡単な調理道具も残されている。
「ここを拠点にしませんか?」セシリアが提案した。「私の足も完全には治っていないし、しばらく休息が必要」
全員が同意した。しかし、また人の物を無断で使うことへの罪悪感も感じていた。
「でも…またここも勝手に使うことになる」エリザベスが心配そうに言った。
「使うなら、きちんと手入れして、むしろ良くしておこう」幸運が提案した。「借りるなら、きれいにして返すものだろ?」
リーザも頷いた。「そうだな。ここを一時的に借りる代わりに、できる限り修繕して、むしろ良い状態にしておく」
そうして四人は廃屋の掃除と修繕を始めた。幸運とリーザは壊れた窓や扉を直し、エリザベスは内部を掃除した。セシリアは足を庇いながらも、できる範囲で手伝った。
「気持ちがいいわね」エリザベスが汗を拭いながら言った。「きれいになってきた」
「家はいつも清潔に保つものよ」セシリアも満足そうに微笑んだ。
修繕が一段落すると、次は食料の確保が課題となった。リーザは狩りに行くことになった。
「小動物なら捕まえられるだろう」彼女は剣を確認しながら言った。「幸運、水を汲んでくるのを手伝ってくれ」
「了解」
エリザベスは森の中で薬草を集めることになった。彼女は植物の知識が豊富で、食用になるものや薬効のあるものを見分けることができた。
セシリアは足を休めながら、廃屋の周りを整理した。彼女は教会で身につけた知識を活かし、安全に火を起こす方法などを教えてくれた。
夕方、全員が廃屋に戻ってきた。リーザは小ぶりの兎を二匹捕まえていた。エリザベスは様々な薬草と、食べられる果実や根菜を集めていた。幸運は近くの小川から水を運んできた。
「いい収穫だな」リーザが獲物を示した。「焼いて食べよう」
幸運が料理を担当することになったが、彼の料理の腕前は決して良くなかった。兎は外側が焦げ、内側が生焼けという状態になった。
「う…うまくいかなかった」幸運は恥ずかしそうに頭を掻いた。
「まったく…」リーザは呆れた表情で言ったが、微笑みも浮かべた。「こっちは私が焼き直す」
「申し訳ない」
「いいのよ」エリザベスが優しく言った。「誰でも最初は下手なものよ」
セシリアはその様子を見て、少し驚いた表情を浮かべていた。「あなたたち、本当に仲がいいのね」
「え?」幸運が首を傾げた。
「教会では失敗は厳しく罰せられるの。でもあなたたちは…違う」
リーザは料理をしながら答えた。「失敗は誰にでもある。大事なのは、次に活かすことだ」
セシリアはその言葉に何か深く考え込むような表情をした。
夕食後、四人は暖炉の火を囲んで座った。外は既に暗くなり、森の中は静寂に包まれていた。
「明日からの生活のことを話し合おう」リーザが言った。「まず、この廃屋での役割分担だ」
リーザは狩りと防衛、エリザベスは薬草収集と治療、セシリアは廃屋の管理と火の番、幸運は水汲みと周辺の偵察を担当することになった。
「料理は私が担当するわ」エリザベスが笑いながら言った。幸運は恥ずかしそうに頷いた。
「もう一つ、我々は『借りた』ものへの返礼も考えておきたい」リーザが真剣な表情で言った。「小舟の件も、この廃屋の件も」
「狩りの獲物の一部を、廃屋の周りに置いておくのはどうだろう?」幸運が提案した。「いわば『家賃』みたいなもので」
「いい考えね」セシリアが頷いた。「廃屋を以前より良い状態にしておくことも」
エリザベスも同意した。「こうすれば、少しは罪悪感も和らぐわ」
四人はそうして、森の廃屋での生活を始めた。日々の役割分担をこなしながら、少しずつ生活のリズムを作っていった。
リーザは狩りの技術を磨き、より効率的に獲物を捕まえられるようになった。エリザベスは森の中で様々な薬草を見つけ出し、セシリアの足の治療に役立てた。セシリアは廃屋の環境を整え、暮らしやすく改善していった。幸運は水汲みと偵察を続け、森の地理に詳しくなっていった。
「幸運は意外と偵察が得意なんだな」ある日、リーザが言った。
「まあな」幸運は照れくさそうに笑った。「前世では…」
「また始まった」リーザは呆れたように言ったが、以前ほど否定的ではなかった。
セシリアの足は日に日に良くなり、やがて普通に歩けるようになった。彼女も少しずつ狩りを手伝うようになり、剣術の心得を活かして小動物を捕まえた。
「剣の腕前はなかなかね」リーザが感心した。
「教会での訓練よ」セシリアは少し誇らしげに答えた。「でも、あなたほどではないわ」
四人の間には、徐々に信頼関係が築かれていった。最初は緊張感があった関係も、日々の共同生活の中で自然な絆へと変わっていった。
そして、廃屋での生活が一週間ほど経ったある日。
幸運は朝の水汲みに出かけた。いつものように小川に向かい、水筒に水を満たしていた。そのとき、彼は遠くから人の声を聞いた。
「…探せ!この森のどこかに隠れているはずだ!」
幸運は身を低くし、声のする方向を見た。森の向こう、湖の方向から人の集団が近づいてきているようだった。木々の間から見える黒い装束——教会の騎士団だ。
「しまった…」幸運は急いで水筒を持ち、廃屋へと戻り始めた。
彼が廃屋に戻ると、リーザたちはちょうど朝食の準備をしていた。
「騎士団が来ている!」幸運は息を切らして告げた。「湖の方から森に入ってきた」
「まさか…」セシリアの顔から血の気が引いた。
「距離は?」リーザが冷静に尋ねた。
「まだ遠い。でも、この森を捜索しているようだ」
四人は急いで荷物をまとめ始めた。一週間の生活で集めた必要な物だけを持ち、廃屋を出る準備を始めた。
「せっかく居心地が良くなってきたのに…」エリザベスが残念そうに言った。
「ここにいれば見つかる」リーザが言った。「移動するしかない」
「でも、どこへ?」幸運が尋ねた。
セシリアが考え込む表情をした後、言った。「北の山岳地帯には古い神殿があるわ。昔、審問官の訓練で行ったことがある。人里離れた場所で、教会もあまり関心を持っていない」
「神殿?」エリザベスが興味を示した。
「ええ。かなり古い時代のものよ。教会が成立する前からあったとされている」
リーザは窓から外を見た。「選択肢はなさそうだな。北の山岳地帯を目指そう」
四人は急いで準備を終え、廃屋を出る前に最後の掃除をした。
「いつか、この場所に恩返しができれば…」エリザベスが呟いた。
幸運は水筒に残った水で床を拭き、リーザは暖炉の火を完全に消した。セシリアは獲物の一部を「家賃」として置いておいた。
「行こう」リーザが言った。
四人は廃屋を後にし、北の方角へと向かって森の中を進み始めた。先頭を行くリーザ、彼女に続くエリザベスとセシリア、そして最後尾を幸運が警戒しながら歩いた。
森の奥から、かすかに人の声と馬の鳴き声が聞こえてくる。教会の騎士団の捜索が近づいているようだった。
「急ごう」リーザが言った。「山岳地帯までの道のりは長い」
四人は森の中を北へと進んでいった。背後には追っ手、前方には未知の山岳地帯。逃避行はまだ続く。
幸運は時折振り返りながら考えていた。この旅は自分を何処へ連れて行くのだろう。「真のラッキースケベ」とは何なのか。「不完全な魂」とは何を意味するのか。
答えはまだ見つからない。ただ、今はこの仲間たちと共にこの危機を乗り越えることだけを考えよう。
北の山岳地帯に向かって進む四人の姿が、森の中に溶け込んでいった。