第10話_ラッキースケベ術師と道中の珍道中
「ここを左に曲がって…」
リーザが手に持った地図を真剣な表情で見つめている。道場を出発してから半日が経ち、三人は街道を南へと進んでいた。目的地は南の湖。そこにあるという「ラッキースケベの剣」を求めての旅だ。
「本当にこの道で合ってるの?」
エリザベスが不安そうに周囲を見回す。確かに、人通りが少なくなってきていた。
「もちろん」リーザは自信満々に答えた。「地図をきちんと読めば…あれ?」
彼女が持っていた地図が、上下逆さまになっていることに気づいた。
「リーザさん…」エリザベスが溜息をつく。
「大丈夫よ!方向音痴なんかじゃないから!」
リーザは慌てて地図を正しい向きに直した。その表情には、わずかに赤みが差していた。
「そもそも、俺の顔のせいで目立ちすぎるんだよな…」
幸運が呟いた。彼の顔はまだリーザの鉄拳の痕が残っており、片方の頬が腫れていた。先ほど通り過ぎた村では子供たちに「ブタ男」と呼ばれる始末だ。
「自業自得でしょ」リーザが冷たく言い放つ。「女湯を覗くなんて最低よ」
「だから、あれは実験だって…」
幸運の言い訳は途中で遮られた。
「私なら方角を魔法で調べられるわ!」
エリザベスが自信満々に宣言した。彼女は両手を広げ、魔法を詠唱し始める。
「迷える旅人に、正しき道を示したまえ。指針の魔法!」
魔法陣が彼女の足元に現れ、光の矢が空に向かって放たれた。その矢は弧を描いて地面に刺さる。
「あっちよ!」
エリザベスが指し示した方向は、明らかに彼らが来た方角だった。
「…これは逆じゃない?」幸運が疑問を呈する。
「え?…あ、魔法が反転したのかな?だから、本当は反対…?」
エリザベスが恥ずかしそうに言い訳する中、一台の牛車が彼らの前に停まった。
「お困りのようですね」
車を操っていたのは、白髪の農民だった。穏やかな表情で三人を見ている。
「南の湖へ行く道を探しているんです」リーザが説明した。
「それなら大きく迷っていますよ。この道では西に向かってしまいます」
農民は親切に正しい道を教えてくれた。三人は恥ずかしそうに礼を言い、指示された方向へと進路を変えた。
---
「お昼にしましょう」
日が高く昇った頃、三人は街道脇の小さな空き地で休憩することにした。幸運は荷物から水筒を取り出し、エリザベスは周囲に簡単な警戒の魔法をかけた。
「さて、お弁当の時間ね」
リーザが荷物から包みを取り出した。普段は厳格な彼女だが、この瞬間だけは少し誇らしげな表情を浮かべている。
「リーザが作ったの?」幸運が驚いて尋ねる。
「朝早く起きて作ったのよ。文句ある?」
「いや、ありがとう」
幸運は素直に感謝した。リーザが包みを解くと、中からおにぎりと卵焼き、それに野菜の煮物が現れた。…しかし、その見た目は明らかに「失敗作」だった。おにぎりは形が崩れ、卵焼きは半分が黒焦げ、野菜は煮込みすぎて原形をとどめていない。
「あの…」
幸運とエリザベスは言葉に詰まった。
「見た目はアレだけど、味は…たぶん…」
リーザの声には自信がなかった。彼女の表情には、明らかな恥ずかしさが浮かんでいる。
「料理は苦手なの…」と小さな声で付け加えた。
「大丈夫よ!」エリザベスが明るく言った。「魔法で味を良くすれば!」
彼女は再び詠唱を始める。
「味わいを増し、舌を喜ばせよ。味覚強化の魔法!」
魔法の光がお弁当を包み込んだ。しかし、次の瞬間、弁当箱から煙が上がり始め…
「ちょっと、なんで!?」
エリザベスが驚いた声を上げる間もなく、弁当箱の中身が爆発した。三人の周りには食材が飛び散り、リーザの顔には米粒が付着し、幸運の髪には野菜の破片が絡まっていた。
「ごめんなさい!」エリザベスが慌てて謝る。「詠唱を間違えたみたい…」
「私の料理が爆発するほど酷かったってこと!?」
リーザが半泣きで叫ぶ。
その哀れな光景を目にしたのは、たまたま通りかかった商人の一団だった。
「大丈夫ですか?」
優しい女性の声がした。振り返ると、そこには5台ほどの荷車と十数名の商人たち。声をかけてきたのは、長い黒髪をした美しい娘だった。
「ちょっとした…料理の事故です」
幸運が恥ずかしそうに答える。
「あら、大変ね」
娘は微笑み、荷車から自分たちの食料を取り出した。
「私たちと一緒に食べませんか?ちょうど休憩しようと思っていたところです」
「本当に?」
エリザベスが嬉しそうに尋ねる。娘は頷いた。
「サラと言います。よろしく」
こうして三人は、商人の一団と昼食を共にすることになった。彼らが用意したのは質素ながらも美味しいパンとチーズ、それに干し肉と果物。爆発したリーザの料理と比べれば、天国のような食事だった。
「ありがとうございます」リーザが礼を言った。「恥ずかしいところを見られてしまって…」
「気にしないで」サラは優しく微笑んだ。「旅の出会いは楽しいものよ」
商人たちとの会話が弾む中、幸運はふと質問した。
「皆さんは南の湖に向かっているんですか?」
「ええ」サラが答える。「湖の町で商売を始めるつもりなの」
「もしかして、『ラッキースケベの剣』というものをご存知ですか?」
幸運の質問に、商人たちは首を傾げた。誰も聞いたことがないようだ。しかし、サラだけがわずかに表情を変えた。
「『ラッキースケベの剣』…祖母から何か聞いた気がするわ」
「本当ですか?」幸運の目が輝いた。
「詳しくは覚えていないけど…」サラは言葉を濁した。
昼食を終え、三人と商人の一団は共に南へ向かうことになった。旅は単調になりがちだが、人数が増えれば安全性も高まる。
---
道は次第に起伏が激しくなり、両側には深い森が広がっていた。街道は時に崖沿いに進み、眼下には谷が見える。
「ここは足元に気をつけてね」
サラが一行に声をかけた。しかし、その警告から数分もしないうちに、リーザが小石につまずいた。
「きゃっ!」
彼女のバランスが崩れ、崖から落ちそうになる。
「リーザ!」
幸運は反射的に彼女の手を掴もうとした。しかし、その瞬間、「ラッキースケベ」の力が発動する。幸運の足が滑り、リーザと共に崖下の斜面を転がり落ちる形になった。
「二人とも!」
エリザベスが叫ぶ。幸いにも崖はそれほど高くなく、二人は斜面を転がり落ちるだけで済んだ。しかし、そこは泥がちょうど溜まった場所だった。
「うっ…」
幸運が泥まみれになりながら起き上がる。彼が偶然リーザを抱きかかえるような形になっており、リーザの顔は真っ赤だ。
「は、離して!このスケベ術師!」
リーザは慌てて幸運から離れる。二人はすっかり泥だらけになっていた。
「大丈夫?」
上から覗き込むエリザベスの姿が見える。
「なんとか…」幸運が答える。「怪我はないよ」
「浄化の魔法をかけるわ!」
エリザベスが詠唱を始める。「汚れを落とし、清らかなる姿を取り戻せ…」
しかし、再び魔法が誤作動。光が二人を包み込んだ次の瞬間、彼らの体についた泥の量が倍増していた。
「ごめんなさい!増幅の魔法に…」
崖の上にいた商人たちも、この光景に苦笑い。ロープを下ろして二人を引き上げると、そこには泥人形のような幸運とリーザがいた。
---
日が落ち始め、一行は野営の準備を始めた。谷間の開けた場所で、周囲には樹々が生い茂っている。商人たちは手慣れた様子でテントを立て、焚き火を準備する。
「手伝うよ」
幸運は泥を洗い流した後、テント設営を手伝おうとした。しかし、彼の不器用さが災いして、テントの布に絡まり、最終的には自分自身がテントに巻き込まれるという失態を演じた。
「器用さが足りないわね」リーザが呆れた様子で言う。
「うっ…」幸運はテントから抜け出すのに苦労した。
やがて夜が訪れ、一行は焚き火を囲んで夕食をとった。星空の下、暖かな火の光に照らされた中での食事は格別だ。
「それで、皆さんはどこから来たんですか?」
エリザベスが商人たちに尋ねた。その質問に、場の空気がわずかに変わった。
「私たちは隣国のセントラル出身よ」サラが静かに答えた。「最近、国内で魔物の大量発生があってね…多くの村が襲われたの」
「そういえば、私達がいた商業国家ディーレでもそんな噂を聞いたわ」リーザが頷く。
「私たちの村も被害に遭って…」サラの目が悲しみを湛える。「多くの人が命を落とした。だから私たちは新しい生活を求めて旅をしているの」
「南の湖周辺は比較的安全だって聞いてね。そこで商売を再開しようと思っているんだ」
サラの父親らしき男性が説明した。
会話が続く中、エリザベスが突然周囲を警戒するような素振りを見せた。
「どうしました?」サラが尋ねる。
「なんだか…森が静かすぎるような気がして」
確かに、夜の森にしては不自然なほど音がない。鳥の鳴き声も、虫の音も聞こえない。
「この辺りは蛙魔人が出るという噂を聞いたことがあるわ」サラが小声で言った。
「蛙魔人?」
「カエルのような見た目をした魔物よ。群れで行動して、夜に獲物を襲うの…」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、森の中から不気味な鳴き声が聞こえてきた。
「ゲロゲロ…」
「来た!」リーザが飛び上がる。
森の闇から、次々と蛙魔人たちが姿を現した。両生類のような緑色の体に、異様に長い舌を持つ魔物だ。その数は二十匹以上。
「皆さん、後ろに下がって!」
リーザが剣を抜こうとするが、鞘に引っかかって抜けない。
「くっ…なんでこんな時に!」
彼女が剣と格闘している間に、エリザベスが前に出た。
「光よ、敵を照らし出せ!フラッシュ!」
彼女の詠唱に応じて強烈な光の魔法が放たれた。しかし、その光はあまりに強烈で、蛙魔人だけでなく味方の視界まで奪ってしまった。
「目が…見えない!」
「エリザベス、またやったわね!」
混乱する中、蛙魔人たちが攻撃を開始。幸運は視界が戻りかけたところで商人たちを守ろうと前に出た。
「危ない!下がって!」
しかし、幸運の足が石ころに引っかかり、大きく転倒。その転倒が偶然、蛙魔人の飛び込み攻撃をかわす形になった。
「うわっ!」
転がる勢いがついたまま、幸運は別の蛙魔人にぶつかり、それを倒す。さらに、その蛙魔人が仲間に激突し、連鎖的に数匹が倒れるという状況になった。
「ラッキースケベコンボね!」リーザが感心する。
「スケベ要素が無いじゃないか!!!」幸運が絶叫する。
「すごい…」サラが呆気にとられる。
やっと剣を抜いたリーザが蛙魔人に切りかかる。彼女の素早い動きは、剣術道場で鍛えられた証だった。
「はっ!」
リーザの剣が蛙魔人の体を切り裂く。しかし、別の蛙魔人が彼女に向かって粘液を吐き出した。
「きゃっ!」
リーザの体が粘つく液体で覆われる。
「最悪…!」
彼女は不快感に顔をしかめながらも戦い続けた。エリザベスも魔法を放ち、商人たちも手持ちの武器で応戦する。幸運は相変わらず転げ回りながらも、結果的に多くの蛙魔人を倒していく。
激しい戦いの末、蛙魔人たちは撃退された。
---
「痛かった…」
幸運が体中の打撲箇所を押さえながら呻く。一行は再び焚き火を囲み、戦いの余韻に浸っていた。
「あなたの戦い方は…独特ね」
サラが幸運に近づいてきた。彼女の表情には興味深そうな色が浮かんでいる。
「ああ、あれは『ラッキースケベ』という…」
「知ってるわ」サラが幸運の言葉を遮った。「あなたが探している『ラッキースケベの剣』と関係があるんじゃないかしら」
「え?」
幸運だけでなく、リーザとエリザベスも驚いた表情を浮かべた。
「実は私の家系は、南の湖の祠を訪れる旅人に伝承を伝える役目を持っていたの」
サラは静かに語り始めた。
「『ラッキースケベの剣』は、独特の運を持つ者だけが触れることができると言われているわ。昔、あなたと同じような人がいたの。村では『幸運の道化』として語り継がれているわ」
「『幸運の道化』…?」
「転んだり、ぶつかったりしながらも、不思議と勝利に導かれる人だったって。彼も南の湖の祠を訪れ、剣に触れたと言われているの」
三人は息を呑んでサラの話を聞いた。
「その剣は持ち主を選ぶと言われています」サラは続けた。「選ばれた人は必ず独特の『運』を持っているんですって。もし幸運さんが選ばれたら、どんな姿になるのでしょうね」
「本当にそんな剣があるのかな…」リーザが疑わしげに言う。
「ええ、確かにあるわ」サラは断言した。「私もまだ見たことはないけど、祖母は『確かに存在する』と言っていた」
「じゃあ、明日は近道を教えてもらえますか?」エリザベスが尋ねる。
「もちろん」サラは微笑んだ。「湖までの近道を案内するわ」
焚き火の炎が静かに揺れる中、夜は更けていった。
---
深夜、幸運は一人で小川のほとりに立っていた。皆が寝静まった後、彼は水面に映る自分の姿を見つめていた。
「俺は本当にラッキースケベなのか、それとも…」
自問自答する幸運。サラの話を聞いて、ますます自分の本質について考え込んでいた。
ふと、水面に金色の光が映った。幸運は驚いて振り返る。しかし、そこには何もない。
「勘違いか…」
彼が踵を返そうとした瞬間、足が濡れた石に滑り、小川に転落した。
「うわっ!」
水しぶきを上げて落ちる幸運。冷たい水に全身が浸かった。
「幸運?何やってるの?」
キャンプに戻ると、夜番をしていたリーザが幸運の姿を見て目を丸くした。
「ちょっと、なんで濡れてるの?」
「川に落ちた…」
幸運が恥ずかしそうに答える。リーザは大きく溜息をついた。
「相変わらずね…」
その言葉には呆れの色があったが、同時に少し優しい表情も浮かんでいた。
「乾いた服に着替えなさい。風邪ひくわよ」
彼女が投げてよこした毛布を受け取りながら、幸運は思った。
この旅の先に、ラッキースケベの剣は本当に自分を待っているのだろうか。そして、それは自分の本質を明らかにしてくれるのだろうか。
まだ答えは見えないが、少なくとも歩みを進めることはできる。幸運は南の湖へと続く道を見据えた。