旅の魔法使い、はじまりの物語
1人の少女、燃える赤髪に銀の瞳、誰もが惹かれる正義の勇者。
1人の少女、凍える白髪に紅の瞳、誰もがひれ伏す邪悪な魔王。
その顔立ちは、姿は、あまりにも同じで――
暗く淀む空、踏んだ土は赤く濡れる。2人の少女は距離を取り、深く息を繰り返す。
再び剣が交わる。力を振り絞った一撃は受け止められ、火花を散らした。お互いの背には無数の刃が刺さり、その顔には痛みによる苦痛が色濃く出ている。
「くっ……ああ」
どちらの呻きかわからない。もうどれだけ戦ったのか。
とっくに限界など超えていた。膝をつかぬよう剣を杖代わりにし、それでも真っ直ぐに相手を睨む。
空気が揺れる。耳鳴りが止まらない。その視界はぼやけていく。
2人は悟る。もう、終わる。
そう思うと、不思議と笑みが零れた。
………やっと、終わる。
2つの身体はどさりと音を立てて崩れ落ちた。遠くから見知った叫び声が聞こえる。
その魂を拠り所にする世界は―――こわれた。
◇ ◇ ◇
ちちち――さわさわ――
ここは森の中、小さな湖のそば。鳥の鳴き声、木々の揺れる音が耳に心地よい。暖かな日差しが差し込む湖畔には、だれか近くの人間が立ち寄るのだろうか、手入れのされた木の小屋があった。
アリアたち3人は、真剣な顔で水面を見つめている。
「イト! あの一番大きい影、なんとかひきつけなさいよー」
少女は楽し気に弾む声を張り、湖の方へ大きく一歩踏み込んだ。
ふふんと得意げな顔をする少女の名は、ルーナ。燃えるような赤髪を雑に結び、そのまま手を宙に伸ばす。細い指を大きく動かすと何もなかった空間に、光の線が描かれていた。
「いくわよー……ほいっ!」
どっばーん
空中の光の線はそのまま実体を作り、大きな灰色の石になる。ルーナが伸ばした指をふいっと下に振ると、大きな音をたてて湖に落ちた。驚いた魚たちがこちらに移動してくる。
移動した先には、すらりとした長身に白髪の持ち主、イトがいた。
「おおー、やりますねえ。そんじゃこっちもいきますよ、っと」
イトも大層いい笑顔を浮かべながら、その両手を体の前で重ねる。瞬間、イトの周りにぶわっと空気が流れ、その長い絹のような輝く髪は意思を持ったかのように動き出す。
白い髪の束がいくつにも分かれ、水面に見えていた影に向かって勢いよく伸びる。そのまま、くるっと髪の先を巻き付けられた魚たちが……10匹ほどだろうか、空気に触れびちびちと身を震わせる。
素性を知らぬ人が見たら一瞬でひっくり返るようなその光景は、アリアにとっては日常であった。
「アリア、やったよー! 朝ごはんげっと!」
「今日は大漁ですねえ! 俺もうアリアとここで静かに暮らすのもいいかもしれない……」
「なっ……なんで私はいないの! いや違う、アリアと楽しく暮らすのは私なんだから!」
ルーナとイトはこちらに体を向けながら、いつもの言い合いを始めた。大変仲がよろしい。
「2人とも、お疲れさま。いつもありがとう。とりあえずそのお魚、食べちゃわない?」
イトの髪の先には魚たちがまだぐるぐる巻きにされていて、なんとも可笑しな絵面に口角が緩んでしまう。
「そうね、ちょうどお腹もすいたし。私が火の準備をするわ、丸焼きでいいよね?」
「じゃあ俺は下ごしらえですね。ルーナ、先にナイフだけお願いします」
はいはーいと返事をすると、ルーナは先ほどのように指で空中に光のナイフの線を描き……ぼとり、と絵からナイフが落ちてきた。イトが拾い、こちらに背を向け作業を始める。
そのままルーナは火起こしのための黒っぽい金属の板のようなものも出し、アリアの集めた葉っぱや木の上にぽすっと置く。
板に両手を真っ直ぐ伸ばし、ふんっふんっと何度か力を籠める。一瞬光ったかと思えば、すぐに煙が上がり、火が出てきた。魔力を勢いよく板にぶつけることで火花を出すらしい。以前その理屈は教わったが、かなり高度な技なのか、アリアにはできなかった。
「どうっ? アリア、私なかなか火起こし上手じゃない?」
こちらを振り返るルーナの顔はとても誇らしげで、彼女の愛らしさにアリアはにっこりとほほ笑み大きく頷く。
それからルーナはまた空中へ指でおえかきを始め、机、椅子などが作られ、自然豊かな湖畔には楽しいピクニックエリアが完成した。
イトは処理を終えた魚を木の枝に刺し、火にかけた。そのまま湖に向かい髪を少し持ち上げすんすんと匂いを確認し……魚臭かったのだろうか、一生懸命湖で髪をばしゃばしゃ洗っている。
ああ、楽しい。
心地よく吹く風はアリアの黒い髪をなでるように過ぎていき、近くでは2人の楽しそうな笑い声が頻繁にあがる。透き通る湖は柔らかな朝の陽ざしを纏い、輝いて見えた。
この2人がいてくれたら、アリアはどこにだって行ける気がする。
思えば5年前に記憶を失ってから、自分は流されるように生きてきた。ずっと2人には助けられっぱなしというか、そもそも以前の自分を知る2人は今のアリアをどう思っているのだろう、成り行きで共に行動しているが、嫌だったりしないのだろうか――などと考え込んでいると、食欲をそそるいい香りが風に乗ってやってきた。アリアの意識はすぐに焼き魚に染まる。
「はーいみんな座って座って! もう私待ちきれないわ!」
ルーナとアリアが隣合って座る。すぐにイトが魚を持ってきて、手渡してくれた。
まだ表面はしゅーしゅーと音を立てて熱さを教えてくれる。ほんの少し焦げのつく黄みがかった皮は、真ん中で破れて中の白く柔らかな身を覗かせている。ごくり、とアリアの喉が鳴った。
「お待たせしました。それじゃ、食べますよー、いただきます!」
「いただきます!」
いただきます。アリアは真ん中の身にかじりついた。あつい!おいしい!あつい!
「あふっあふっ」
「わ、おいしー! やっぱり、自分たちで作ると一味違うわね。どうアリア……って大丈夫? お水いる?」
「お水どうぞ。火傷したら大変ですよ。魚は逃げないから、ゆっくり食べてくださいね」
心配させてしまった。急いで水を少量口に含むと、これまた香りが広がって幸せな気分になった。かりっとした皮と解けるような淡泊な身が、アリアの咀嚼を加速させる。
両手で魚を持ち、器用に身だけを一心不乱に食べる。ルーナは横で豪快に食べ進め、すでに2匹目に手を伸ばしている。イトは先に慎重に骨だけ外してゆっくりと味わう。三者三様、しかしその目はみなしっかりと喜びの色で染まっていた。
しばらく無言で食べ続け、少しお腹に溜まってきた。一旦休憩を挟もうとその顔を上げ、ふうっと息を吐く。
横のルーナは、まったく勢いを衰えさせずに次々と口に運んでいる。一つに結い上げた赤髪が、頭の上で尻尾のように跳ねている。魚を見つめる目は伏せていて、その長い睫毛は上に上に伸びくるんとカーブを描く。光を集めたかのような銀の瞳は、見ていると吸い込まれそうな不思議な輝きを持っていた。
視線を前に向けると、整った目鼻立ちのイトがいる。白く艶やかな長い髪は、ルーナと同じく後ろで結い上げている。よく『邪魔ですねえ』と言いながら己の髪で髪を結んでしまうのだ。なんとも便利である。伏せた赤く輝く瞳は、ゆっくりと目線を魚からこちらに上げていき、ぱっと目が合った。
「アリア? 俺の顔になにかついてますか?」
「……ううん、イトはとても丁寧に食べるなと思って」
まさか2人に見とれていたなんて、恥ずかしくて言えない。咄嗟に誤魔化す。嘘はついていない。
「う、私もちゃんとしたお食事の時は綺麗に食べるわ。こういうのは勢いも大事、そうでしょう」
「うん、ルーナは見ていて気持ちがいいよ」
少しバツが悪そうなルーナをフォローする。彼女はほっとしたように笑い、再び豪快に食べ始める。実際、外で気兼ねなく食べる時はルーナの食べ方は大正解な気がする。
そこからは3人でゆっくり食事をしつつ、他愛のない話に花を咲かせた。
5年前、大災害が起こった。
大陸の西部を統治する魔王と、王国を筆頭にした東部の連合軍が戦い、魔王が破れたらしい。魔王は死の間際に呪いを放ち、世界の在り様を大きく変えてしまった。
まず、地形が大きく変動した。新たに山や谷や森、湖に川もでき、大陸そのものの形も変わった。魔王城に近づくほど変動は大きくなり、西部の山間にあった小さな村などはその存在ごとはるか東へ移動してしまったようだ。
そして最も不思議なのが、魔法使いの誕生である。アリアたち3人もその当事者であった。老若男女問わず、大陸各地でその存在が報告されている。
心の強き者がなる、神の血を継ぐ者がなるなどさまざまな噂が飛び交っているが、まったくもって真偽不明である。
魔法の種類もさまざまで、多くは遠隔で物を持ち上げたり中空に光の玉を浮かべたりする程度であったが、個人で新たな力を生み出す者も少なくなかった。
ルーナとイトはそれぞれ固有の魔法を持つ。ルーナの『おえかき』、イトの『もさもさ』『どくどく』――アリアの命名であるそれは、戦闘力もさながら、こうして旅をするのにも大いに役立っていた。
魔法使いたちは国ごとに集められ、大災害の復興に向かう者と魔法の研究をする者に大きく二分された。アリアたち3人は前者で、カルディアという国に所属し、各地を巡り人々を助ける旅をしている。
「はあぁぁーーーお腹いっぱい! 美味しかったね、アリア」
「うん、美味しいし楽しかった。2人ともありがとう、またお魚食べよう」
「ええ、喜んでいただけて光栄です。次は海の魚も行ってみたいですねえ」
しばらく食事の余韻に浸った3人は、いそいそと次の村に向かう準備を始めた。
ルーナが出した机などは、イトの『どくどく』により消す。手で触れたものを腐らせ、最後には消してしまう恐ろしい力だが、旅をする上でルーナとの相性は最高だった。
これだけ便利な固有魔法を間近に見て、アリアは少しばかり悔しさを滲ませるのである。
「……私も魔法の研究しようかな」
その呟きは2人の話し声にかき消され、風に乗って飛んでいった。
「よっし、それじゃ、いくわよ!」
「ええ、この調子で行けば昼頃には次の村に着くはずです」
「今回は近いし、こんな素敵なごはんもあるし。いつもこうがいいわね……」
「おや、ルーナはお疲れのようですね。俺がおぶってさしあげましょうか」
「いらないわよ! 歩ける! 超元気! ふんっふんっ」
ルーナはぷりぷりしながら森道へと歩いていく。アリアとイトは苦笑しながら後に続いた。
3人の旅は、始まったばかりである。