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急遽窮鼠が救世します。  作者: 狐路ゆかり
第二章 王都アロガンツィア
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第8話

 マルタンはカーテンの隙間から射す朝日で目を覚ました。いつものように、くあっ、とあくびをして、それから四つ這いになって前足を伸ばす――。


(あれ?)


 そこで、自分の身体が人間の女性であることを思い出した。


(そっか、いけないいけない)


 慌てて居住まいを正し、ベッドの端で備え付けのブラシを使って髪を整え始めた。洗面所では、勇が水を使っている。早起きの勇と対照的に、アドラはまだ布団の中だ。


「アドラ、起きて」

「んん~……」

「じゃないと、わたし変化解けちゃうし……あ!」


 見ると、アドラの耳が羽根に戻りかけている。


「アドラ! アドラの変化ちょっと解けてるよ」

 軽く揺すると、やっとアドラが目を覚ました。

「ん、マル……おあよ」

「おあよ、じゃないよ、アドラ、もう一度変化しなくちゃ」


 ずい、と手鏡を差し出すと、アドラはぼさぼさの髪のまま、目を擦り、「ほいほい」と気だるげに耳に手をかざした。見る見るうちにそれは人間の形に戻っていく。


「どうだ?」

「うん、大丈夫そう」


 はい、とブラシを手渡すと、アドラも髪を梳きはじめる。何度かブラシを通すだけで、アドラの髪はすぐに昨日と変わらないきれいなストレートに戻った。


「マルは? 顔洗った?」

「今イサミさんが使ってるから」

「ん、じゃ、あたしはマルの次な」


 それまで二度寝しよ……だなんて恐ろしいことをつぶやいて布団に沈もうとするアドラをマルタンは引き戻す。


「あ、二人とも起こしちゃった?」

 勇が洗面所からこちらを見る。

「ううん、はやくいかなきゃだし」

 さっと身支度済ませるね、というマルタンに、勇は念のため早めに出ようか、とタオルを干しながら答えた。その間、アドラの方にはできるだけ視線を向けないようにしている。


「イサミ?」

「ああ、昨日はじっと見て失礼なことしたから、身支度が済むまであんまり見ない方がいいかなと思って」

「……律儀だな」


 アドラは生真面目な勇に笑うと、ベッドから立ち上がり、カーテンを開けた。空はまだ朝靄にかすんでいる。窓の下を通っていくのは、牛乳屋と新聞配達員だろうか。きっと、王都はいつもと変わらない光景なのだろう。本来ならば、マルタンとアドラは朝礼で教頭先生の話にあくびをかみ殺していたはずなのに……。



 支度を終え、女将に礼を言って三人は宿を出た。勇はぐっと背伸びをする。

「よく眠れた?」

 マルタンの問いかけに、勇は頷く。前日は洞窟で野宿なんていう人生初の体験をしたが、なんとか柔らかい布団で眠れてよかったよ、という勇に、アドラは笑う。

「こっからの道中そうはいかないかもしれないぜ」

「そうだね、覚悟しておく……」


 雑談をしながら北門へ向かうと、内側には門番はいなかった。早朝のためか閉ざされている扉を、自分たちの力で押して開ける。すると、門の向こうにいた門番がこちらを一瞥した。片方は、昨日宿を勧めてくれた男だ。


「あ、昨日の。本当に早く発つんだなあ」

 ふわあ、とあくびをして、気をつけろよ、と手を振ってくれる。ありがとうございますと答えて、足早に通過した。もう一人の方は交代で入ったのだろう、特に何を言うわけでもなく、眠たそうにそこに座っているだけだった。


(平和だなあ)


 マルタンは、拍子抜けするほどのんびりした門番をちらと振り返ったあと、すぐに前方にある人影に気づいた。


「クラウスさん」

「やあ、おはよう」


 門から見える大きな木の下で、リュックを背負ったクラウスが待っていたのだ。


「おはようございます」


 よく見てみると、クラウスは目の下にクマを作っていた。昨晩眠れなかったのだろうか? マルタンが心配して、顔色があまりよくないと指摘すると、クラウスは鼻息荒く答えた。

「ああ! 聞いてくれたまえ、昨日貰った薬瓶からね、成分を探ってみたのだよ、これがなかなかまあ、複雑だったんだがね!」


 アドラがリュック越しにクラウスの背を押す。

「歩きながら聞いてやるからとりあえず行くぞ」


 あまりここに長居していては、マルタンの変化が解けてしまう。まだ日は昇ったばかりだが、油断はできないとばかりに一行は歩みを進めた。



「へあ……」


 勇から情けない声が上がる。数時間は歩いて、太陽が大分高くなってきた頃だった。


「イサミさん大丈夫?」

 マルタンは勇を振り返る。勇はというと、ぜえぜえと息を切らして、すっかりバテてしまっていた。情けないなあ、というアドラだったが、無理もない。転生前の勇は現代っ子のステレオタイプ。外で遊ぶよりもゲーム、家の中でだらだらと動画を見たり本を読むのが好きな彼はアウトドア派からは程遠い。

「だいじょう、ぶ……」

 全然大丈夫そうではない勇を気遣い、マルタンは少し休もう、と倒木を指さした。確かに何時間も続けて歩いていたことで、勇以外にも疲労の色が見られる。倒木をベンチ代わりに座った勇に、クラウスはリュックから水を取り出して勧めた。


「これは普通の水ですから」

「うん、ありがとう……」


 ボトルの水を飲みながら、地図を開く。勇のいた世界と違って、測量の技術も発達していないこの世界では、地図だっておおざっぱなものなのだろう。エニレヨの村にもどれくらいかかるのかよくわからない。クラウスの話では昼過ぎには着くだろうとのことだったが……。それは休みなしの健脚に限る話なのではないだろうか。


「あ」


 ぼふん、とマルタンの身体から煙が出た。


「え!? マルタン!?」

 もくもくと煙が立ち込めるなか、けほけほとせき込みながら、もふもふのハムスターが顔を見せる。


「大丈夫、元に戻ったの」


 戻るときこんな感じなんだ、と勇は胸をなでおろす。

「どこも痛くはない?」

「うん、大丈夫。この姿の方が歩きやすいかも」


 そっかよかった、と言った後で、勇ははたと気づく。このまま村に入るのは……。


「そう! そこでこの薬だ!」

 クラウスが誇らしげに胸を逸らしてリュックの中から取り出したのは、どぶの様な液体が入った小瓶だった。


「おい待てそれ飲ませるのか」


 アドラがクラウスの手首をつかんで止める。


「でもマルタンさんは変化できないのであればこれを使うしかないでしょう」


 安全性については、エビルシルキーマウス種の方でも飲めるようアレルゲンを排除していますよ、と続けてにこにこしている。道中で草を摘んだり魔法生物を捕まえたりしていたが、これに使っていたんだな、とアドラは頭を抱えた。


「確かにね、それに頼るしかなさそう……」


 村まではまだ距離がありそうだ。村の近くまで温存しては、という勇の言葉にクラウスは一度薬を引っ込める。各々回復アイテムであるナッツを数粒食べると、立ち上がった。


「いや、待て」


 アドラが三人を止めるように左手を伸ばした。マルタンの耳が、ぴこぴこ、と動く。クラウスは、手のひらから長いワンドを取り出し、握った。


「えっ、何……」


 進行方向の草むらが揺れた。


「来る!」

「!?」


 目にもとまらぬ速さで、前方から勇に向かって何かが咆哮を上げながら突っ込んできた。アドラは咄嗟に勇を突き飛ばす。バチン! と音を立て、アドラの太ももにその何かが掠めた。


「クッソ……!」


「おい、マルタン!」


 その『何か』はマルタンの名を呼んだ。マルタンは慌てて『何か』の前に躍り出る。対峙した相手は、勇から見れば雄牛の角を持つ巨大な二足歩行のサイだった。身体も角も傷だらけにして、こちらを睨みつけている。マルタンはそれの前に立ち、震えながらも叫んだ。


「ベビモ先輩、やめてください!」


 ぐるるるる、と『ベビモ先輩』の唸りが響く。勇は転んだ態勢のまま、怯えた顔でアドラを見上げた。アドラは勇を背にかばったまま言った。


「あれはベヒーモスだ。あたしと同期だったやつだよ」


 ベヒーモス!? と思わず声を上げる。ゲームの中では中盤を超えるまで出てこない所謂中堅モンスターだ。勇は足がすくんで立てない。情けないことに、震えが止まらないのだ。『ベビモ先輩』とやらは、体長が2メートルはありそうだった。がっしりとした丸太のような足に、鋭い爪、吼えた際に見えた牙が恐ろしかった。


「……お前……人間なんかとつるんでどういうつもりだ!?」


 地鳴りのような声、怒気を帯びた顔、じりじりと詰める距離。怯える勇に、アドラは耳打ちをする。


「イサミ、落ち着け。こいつはまだ成熟したベヒーモスじゃない。手に負えないような相手じゃねえ」


 ベヒーモスが怒鳴る。


「何こそこそ話してやがる!」

「うるっせぇな! バカでかい声あげんなや!」


 ずい、とアドラは歩み出て、変化を解いた。


「えっ、おま……アドラ!?」

「気づかなかったのかよ」


 ベヒーモスは頭に血が上っていたらしく、アドラが人間に化けているということに気づけなかった。彼女の太ももにできたかすり傷から血がにじんでいるのを見て、一瞬ためらうような顔をする。


「なんだって、変化なんて……」

「昨日は王都にいたんだよ」


 ベヒーモスはアドラの顔と勇とを交互に見て、それから眉間のしわを深くした。


「お前、まさか人間に与するつもりか?」


 それならば容赦はしない、とベヒーモスは右足を後ろにゆっくりと下げ、姿勢を落とした。勇はなんとか声を振り絞る。


「あの! やめっ……」

「あぁ!?」


 ぎろり、とベヒーモスの赤い瞳が勇を捉えた。上ずった声だけでも情けないのに、その眼光に勇は「ヒッ」と小さく悲鳴を上げる。なんて、情けない。なんて格好悪い。勇は自分の不甲斐なさに唇を噛む。


「わたしは魔族を裏切る気はありません」

 マルタンはベヒーモスを見据えてきっぱりと言い放った。それじゃあ、その人間は潰すんだな? とベヒーモスは一歩前へ踏み出した。


「殺すのなら手伝うぞ」

「人間も、殺しません」


 自分よりもはるかに背が高いベヒーモスに顔を近づけられたマルタンは、目に涙を溜めながら、それでも気丈に告げる。マルタンの胸倉をベヒーモスのごつごつした大きな手が掴んだ。


「お前、何言ってんのかわかってんのか!」

 瞬間、ごん! と鈍い音がして、ベヒーモスの視界にチカチカと星が飛んだ。クラウスのワンドがその脳天目掛けて振り下ろされたのである。


「はい、そこまでですよ」


 ベヒーモスの手はマルタンを離し、だらりと前に投げ出される。どすん、と上半身が地に落ちる前に、マルタンはそこを避けた。


「て、てめえ……」

「ベビモくんねぇ、君少し疲れてるんですね、まず落ち着きましょうか」

 クラウスは言いながら、リュックから取り出した何やら青い液体をドボドボとベビモの頭にぶちまける。


「んがっ、なにするんがごぼ」

「あ、それ被るだけでもいいけど飲用にも適してるんでどうぞ」


 小さな瓶に入っていたそれは、どこから湧いてくるのかというほどの量になってベヒーモスの頭に滝行よろしく注がれていく。数秒後、ぐったりとしたベヒーモスが出来上がった。


「ねえ、これ命に別状ないんですよね!?」


 マルタンがクラウスを揺する。


「あはは大丈夫大丈夫、少ししたら完全回復しますよ」

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