‐ 第70話 ‐ 尾澤 寛
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この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。
大鳳教総本部地下一階には、大鳳教団内で違反を犯したものや、被検体にするための人間が監禁されている。現在監禁部屋にはオザワフロンティア取締役社長の尾澤寛と、その部下である井之上という男と、RMSのスパイである岩本が同じ部屋に監禁されていた。
岩本には拷問を受けた痛々しい痕があり、傷口は雑に縫われ、片足は曲がったままだった。痛みと拷問の恐怖が未だに彼を襲い、喋ることはままならなかった。尾澤と井之上にはどうすることもできず、この男のようにされてしまうのではないかと、怯えることしかできなかった。
「社長……あの二人戻ってきませんよ。きっと拷問された挙句、殺されたんだ。若い順に連れて行かれるんだ。だから次は僕だ……」
井之上は蹲って絶望した。この部屋には当初、オザワフロンティアの社員がもう二人いたのだ。その二人は信者に連れて行かれたきり戻ってこなかった。
「まだわからない。この人みたいに戻ってくるかもしれないじゃないか」
尾澤は岩本をちらりと見て井之上を慰めるつもりで云ったが、それは全く希望を持てるものではなかった。
「こんなボロボロになって喋れなくなるまで拷問されてもまた檻に入れられるんですよ! 死んだ方がましかもしれない! 社長のせいですよ! 変な奥さんと結婚してたから! あの二人が連れて行かれる時も、上に立つ人間なら身代わりになったらどうです! もう最悪だ!」
井之上は上下関係を忘れるほど精神的に追い詰められていた。尾澤は云い返す言葉が見つからない。
ふと、微かに笑い声がした。
尾澤と井之上は自分たちの声以外が突然聞こえ、さらに恐怖が増した。
「……君の言う通りだ。死んだ方が断然ましだ。でも奴等、舌を噛みきろうとしても許してくれない……。覚悟しておくんだな……」
笑い声の主は岩本だった。横たわり、死人のようになっている岩本の言葉には信憑性があった。井之上はさらに絶望の形相になる。
「……美鈴が来れば、私が説得してみせる。無理なら君だけは解放するよう私が身代わりになる」
尾澤の言葉が精神不安定な井之上に届いているのかはわからないが、本心からだった。
さらに恐怖を煽るかのように、部屋に近付く足音が聞こえてきた。
「さぁラウラ、ここに入って」
そう云って幼い女の子の背中を押したのは、白装束ではない優男だった。尾澤と井之上には一見、男が女の子の保護者に見えたが、岩本にはそう見えていなかった。
「どうして?」
「どうしてって、どうしてもだよ。ここが君のお家だよ」
「やだ」
「やだじゃない入れ!!」
優男だと思っていた男は突然豹変し、女の子を無理やり檻の中に押し込んだ。
女の子は当然泣き出す。
保護者などではなく、大鳳教の信者だったのだ。女の子は被検体として連れてこられたのだ。
「こんな小さな子まで……。非道が過ぎるぞ! 美鈴を呼んでくれ!」
尾澤は信者の男に向かって訴えた。
「あのねぇ、元旦那さんか知りませんけれど、烏滸がましいですよ。ドクター奈須川を呼べだなんて。あの方は研究でお忙しいんです」
「まだ禄でもない研究を続けているのか! 何故あんな奴を崇拝する!」
「人類を変える素晴らしい研究だからですよ。あなたがわからないだけだ。現に息子さんも、崇拝してるじゃないですか」
尾澤は云い返せなかった。何故慧が歪んでしまったのか、理解にすら及ばなかった。
「ビービーと煩いわねぇ……」
コツコツと、ヒールが床を打ち付ける音が近付いてきた。尾澤はその音と声で、誰だかわかった。
「ドクター奈須川!」
信者の男は奈須川に頭を下げた。
「……もう失敗はしたくないですからね。良い被検体がないか、自分の目で見に来たのよ。その女の子は良いかもね。それくらいの歳の子はまだ試していないから……。あら……? お久し振りね寛さん。そういえば、ここで捕らえてるって、慧さんが言ってたわね。忘れていたわ」
離婚して以来の対面だった。整形を繰り返してきた奈須川は若々しさを保っているが、尾澤は年相応の顔をしていた。井之上は元夫婦の顔を交互に見て、強い違和感を覚えた。
「私はどうなってもいい。早くこの子たちを解放しろ!」
「はぁ……。寛さんはいつも自分の立場がわかっていないのね」
「そんなことはどうでもいい! ここから早く出せ! お前がここまで狂っているとは思わなかった……。息子と娘がいながら、こんなに小さな子にまで手をかけて……!」
「……ほんっとにわかってない人ね。忙しいのよ。それに……酷く疲れてる。過去の人間に構っている暇ないわ……」
気怠い口調で話し終えた直後、奈須川は蹌踉めいた。
「ドクター奈須川! 大丈夫ですか!」
男が咄嗟に奈須川の体を支える。
「……疲れてるのよ。あぁ、もう、何もかも……。上手くいかなくて嫌になっちゃうわ……。部屋まで手を貸してちょうだい」
「はい!」
男は奈須川の命令に犬のような返事をし、肩を貸した。
「待て!」
「煩いわね! 疲れてるといったでしょう! あんたと話すのが一番疲れるのよ!」
最後にそう怒鳴り上げ、男と奈須川は階段を上がって行った。
静寂が戻り、ラウラと呼ばれた女の子のか弱いしゃくり声だけが残った。
井之上は溜め息をつき、ラウラを手招きした。
女の子はとぼとぼと井之上の元に来て、膝の上に座った。
「本当は、子どもをあやす気力なんてゼロなんですけど……。僕年の離れた妹がいるもんで……。って、社長⁉」
尾澤は胸を押さえ、苦しそうにしていた。
「ちょっと大丈夫ですか社長? まだ死なれちゃ困りますよ! この子と僕の身代わりになってくれなくちゃ!」
井之上は懸命に尾澤の背中を摩る。
尾澤は暫くして、ゆっくりと深呼吸をした。額から大量の汗が噴き出ていた。
「大丈夫だ。ちょっと吐き気がしただけだ……」
尾澤は奈須川への嫌悪感で、これ程までに気分を害していた。
元妻も長男も理解できない。唯一自分を慕ってくれていた次男は殺された。遺体を見ていないから未だ実感が持てない。しかしここにいる連中は簡単に人を殺める。――誰だ。私の息子を殺めたは……。
〔このおじいちゃん、どうしたの?〕
沈鬱な表情の尾澤を見て、ラウラが井之上に訊ねた。
「おっと、何語かわからない。困ったなぁ~……」
井之上はもう、恐怖を超えたところまで辿り着いていた。




