‐ 第66話 ‐ 記憶
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この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。
幼児教育学部の受験手続きを終えたとママに報告すると、大喧嘩になって家を出ることになった。
何日か夢露の家に泊めてもらい、兄から貰ったお金で早めの一人暮らしを始めた。元々家のことは家政婦さんがやってくれていたから、ママがいなくて困ることはなかった。
学校の子たちは私が良い部屋に住んでいると思っているみたいだが、フォスター孤児院の近くにあるボロアパートだ。アパートは案外心地がいい。一人で暮らすには十分な広さだし、何より平成レトロ感があって可愛いのだ。
孤児院にそのまま泊まることもある。もうすっかり子どもたちにも打ち解けた。勉強は教えられるが、料理だけは未だ下手で、孤児院の子どもたちに教わる側だった。
そんな日々を送ったが、ママの存在を忘れることはなかった。いなくても困らないけれど、頭の何処かにいつもママがいた。ママもそうだろうか。頭の片隅にでも、私は存在しているだろうか。教祖に夢中で、実のところ私なんていてもいなくても、どっちでもいいのかもしれない。ママは好きなものに一直線。わかっているから少し悲しい。
贔屓のようで良くないのはわかっているが、私は私を孤児院に導いてくれたラウラのことを特別気にかけ可愛がっていた。子どもの吸収力には驚かされるもので、初めて会った時と比べると、ラウラは随分と日本語で喋れるようになっていた。ラウラ自身の能力の高さもあるが、私がここに来た意味を示していると、嬉しいと思った。
ある日突然、ラウラの養子縁組が決まった。複雑な気持ちだった。良いことなのに、良かったねと口に出して伝えたはずなのに、心の中ではそれを否定していた。
ラウラを引き取ったのは四十代の夫婦だった。夫婦共に穏やかで、良い人そうだった。
「活発で日本語も上手ですから、ぜひ僕たちの子どもになって欲しいと思ったんです」
優しそうな旦那さんはそう云った。そんな言い方をされると、私が日本語を教えたから引き取られてしまったんだと思ってしまう。こんな気持ちになるなんて、フォスター孤児院で過ごさなければわからなかった。
「麗奈ばいばい」
人懐っこいラウラは、数回しか会ったことのない夫婦に直ぐに懐いた。それが少し、悲しかった。
ラウラが乗る車が見えなくなるまで、目に焼き付けようと思った。
すると、夫婦の運転する車に見覚えのあるステッカーが貼ってあるのに気づいた。
黒丸のステッカー。
大鳳教のシンボルマークだ。信者の中でも、このステッカーを張っている人は熱心な信者が多い。
胸騒ぎがした。
幼い頃、ママの研究室に行く時に、迷って別の部屋に入ってしまったことがある。仕切りのカーテンの向こう側に、子どもの足が見えた。信者の子どもが入院しているのかなと、軽い気持ちでカーテンを捲った。
真っ白で、髪のない男の子が、数えきれないほどの管に繋がれていた。死んでいるようにも見えた。
男の子から目が離せないでいると、後ろに外国人のお医者さんが立っていた。後から思えば、あれはママと同じ仕事をしているドクターアンソニーだったのだ。
[君は、ここの信者の子かな?]
[……はい。奈須川美鈴の……]
[あぁ美鈴の子か! どうしてここに? 迷ったのかい?]
[はい。ママの研究室に行きたかったのだけれど……ねぇ、この子は病気なの?]
私はもう一度男の子を見た。
今でもその男の子の顔を忘れられない。
[そうだよ。難病で、強いお薬で髪が抜けてしまったんだよ。びっくりしたかい?]
[……ちょっとだけ。死んでいるのかと思った]
[はっきり言うね。そういうところは美鈴に似ているかもしれない。直に元気になるから心配しないでいいよ。さぁ、美鈴の研究室まで送るよ]
そう云って、アンソニーに背中を押され、男の子がいる部屋を出された。
あの子は今どうしているのだろう。
私は当時、子どもながらにアンソニーのことを信用してはいけない人間だと感じた。私の背中を押す手が、何故だかとても怖かったのだ。
ラウラは大丈夫だろうか。何を根拠に、あの夫婦を信用できるのだろう。一見優しそうな人なんていくらでもいる。信用できる夫婦だと確信できるものが欲しい。あの男の子は本当に病気の子だったのか、それとも……。
私は私の特別な権利を使い、調べることにした。




