‐ 第59話 ‐ 三枝木 愛都
<R15> 15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。
奈須川のババァからは充分な報酬を得らえた。振り込まれたゼロの並ぶ数字を見ると愉悦を覚える反面、タラスとミラがそれだけの価値ある人間のように思えて違和感が残った。
大金が入って嬉しいはずなのに、何故こんなことを思わなければならない。自分が死んでも同じように価値がつくのかと、悲しむ人間はいるのかと……。
俺たちのような人間は突然消えようが不思議なことではない。いくらでも消える理由がついてしまう。それだけ人から恨まれるようなことを平気で生業にしているからだ。何も知らない親父はタラスが消えてさぞ悲しんだらしい。全てを知っている沼尻でさえ「良い奴だったのにな」と抜かしやがった。
加担したのはお前であり、そもそも発端は薬の管理が悪いお前だろうが。
死んでも尚、タラスの声が聞こえた。
『お前が死んでも誰も悲しまない』
『お前のことなんて誰も愛しちゃいない』
『お前がいるから親父を苦しませる』
そんなこと、タラスは云っただろうか。
いや、云ったんだ。
最期にタラスが俺に吐いた言葉はかなり効いた。全く、薬を飲まないとやっていられない。
また今日も雨だ。あの日も雨。気圧が低いと頭が直ぐに痛くなる。
「ほらよ」
ソファで横になり頭痛に耐える俺に、沼尻が白い錠剤を二つ渡した。
「なんだこれ」
「ただの痛み止めだ。雨の日は頭痛がするんだろ? イライラするまでに飲んでくれ」
こいつは気が利くが、腹が立つ。
いつも俺とタラスの様子を一歩下がったところから見ていた。人間観察の対象に俺を含んでいることが気に食わない。ばれていないと思っているのだろう。その時点でこいつも俺を見下している。いつか殺すかもしれない。
そういえば一つ、気になることがあった。
「沼尻、お前はタラスの妹をどうやって殺したんだ」
ミラには痛めつけられたような痕跡がなかった。オーバードーズでもさせたのだろうか。だとしたら、外傷はなくともそれはそれで苦しんだだろう。
「どうしたと思う」
「知らねぇから聞いてんだよ」
沼尻は目線を逸らした。無視してんじゃねぇと思ったが、何やら沼尻の目線の方から音が聞こえてくる。沼尻はその異変に俺より先に気付いたのだ。
何の音かと俺も耳を澄ませると、音は次第に大きくなり、古いバイクのエンジン音だとわかった。
これ以上音が近づくと、事務所に突っ込んでくるのではないか……。
そう思った直後には、ガラスが盛大に割れると同時にバイクが突っ込んできた。
バイクに跨る男はガラスの破片で自分が傷つこうが、顔色一つ変えなかった。故意だとわかった。
「誰だお前ぶっ殺されてぇのか!」
「あ? 誰? 俺は優士だ」
粋がったガキだ。歳はタラスと同じくらいだろうか。
「知らねぇよ。どこの優士だよ」
「南高の優士だよ。お前は三枝木愛都だな?」
「! なんで知ってやがる……」
ガキにお前呼ばわりされたことよりも、俺の名前を知っていることが引っかかった。
この優士という奴はやけに落ち着いている。肝が据わっているのとはまた違う。まるで俺の名前を知っているのが当然だという云い方だった。
「そりゃ、ずっと一緒に仕事してたんだから知ってるだろ」
「あ? いかれてんのか?」
「こう言えばわかるか? ハロ~」
優士は指先をひらひらと動かして俺を煽った。だが何を意味しているのかわからない。何なんだこいつは。
「……まだわかんねぇか。なら……〈こんにちは〉」
ぞっと背筋が凍った。
それはタラスから聞いたことのあるロシア語だった。
目の前のガキはタラスじゃないのに、タラスのように見えた。ありえない。この手で殴り殺してやったのに。きっと沼尻に貰った薬の副作用だ。こんな時に紛らわしい。
「タラスの仲間か? 妹しかいない孤独な奴だと思ってたんだけどなぁ」
「おいおい、孤独なのはお前だろ。俺が死んで、親父もちょっとはお前に構ってくれるようになったか? ククク」
何故だ。そんなことを云うのはタラスしかいない。今間違いなくこいつは自分を『俺』と云った。そんなはずは……。
「お前、タラスなのか」
「三枝木、そんなわけないだろ」
沼尻が否定する。
「うるせぇ! お前は黙ってろ!」
「そうだ。お前等をぶっ殺しにわざわざ来てやったんだ」
優士はバイクから降り、上着に手を突っ込んだまま喋った。
「はぁ? 馬鹿かお前。手ぶらで一人のこのこ来て、俺たちをぶっ殺す? もう一回俺が殴り殺してババァにその体売ってやるよ」
――パン!――
俺は銃をタラスに向け撃った。
タラスは顔を背け、両手を自分の前に持ってきた。素人の人間は咄嗟に避けようとするとこういう体制になる。銃だから当たるに決まってるのに。そんなことタラスならわかる。やはりこいつはタラスのふりをした、いかれたガキなんだ。
「……なるほど。俺こういうこともできるのか。段々わかってきたぞ……。ていうか殴り殺すんじゃなかったのかよ」
頭を狙ったはずなのに、この至近距離で外すはずがないのに……。
弾はどこかに消え、タラスは気味悪く笑っていた。何がどうなっている。俺が幻覚を見ているだけなのか? 眼鏡を取って思わず目を擦る。
「弾はここにあるぜ」
タラスは握っていた手を開いて見せた。
黒い砂のような鉄くずが、さらさらと落ちた。
タラスはいきなり俺に距離を詰めた。
俺は思わず後退り、勢いで机の上に乗り上がってしまう。無防備になった右足を強く握られた。
「ぎゃあああ!」
触れられた部分から朽ちていく。痛い! 痛い! 死んでじまう!
タラスは叫ぶ俺を見て嘲笑い、ある程度足の形をなくしたところで手を離した。
「足が……どうなってるんだ! 沼尻! さっき何を飲ませた! 俺の幻覚なのか!」
沼尻も笑っていた。ふざけるな。この俺を……!
「笑ってんじゃねぇぞ」
沼尻に云おうとしたことを、タラスが云った。
真っ黒な目をしている。悪魔だと思った。実際こんなことができる奴は人間じゃない。
タラスはゆっくりと沼尻に近付く。
「すまねぇ。タラスが死んでからそいつ薬に依存しててよ。クク……。夢か現実かわからなくなってるのが面白くて、ついな……」
「黙れ。笑ってんじゃねぇって言ってんだ。お前がミラを殺したんだろ? そいつよりもお前を先に殺すって決めてたんだ。他の誰よりも優先順位が高いんだぜ、お前」
タラスは引き出しから銃を取り出した。そんなことがわかるのもタラスだけだ。やはりこいつは優士という名の、中身はタラスだ。
近づいてくるタラスに、沼尻は逃げようとした。
タラスはすかさず沼尻の足を撃つ。余裕ぶっていた沼尻も悲鳴をあげ、床に転がった。
「ただでは殺さねぇ。お前も三枝木も。特にお前には聞きたいことがある」
タラスは転がる沼尻の前へしゃがみ込む。
「なんだよ。言ったら生かしてくれるか?」
沼尻がそう云った瞬間、タラスは沼尻の指を掴んだ。
「ああああああ!」
指が朽ちてなくなったところでパッと離す。
「お前も頭悪かったんだな。殺すって言ってんだろ。お前、ミラをどうやって殺した?」
俺が聞きたかったことだ。俺の位置からでは床に転ぶ沼尻の顔がわからないが、足がぶるぶる震えてやがる。でかい図体のくせしてみっともねぇ。これだけ聞いたら、俺は逃げる決意をした。
「……言えない」
「言えっつってんだ」
――パン!――
今度は沼尻の耳を撃った。沼尻の痛がる声が聞こえ、壁に飛んだ血が見える。
良い様だ。
「何もしてねぇ……。殺せなかったんだ。あの女殺させてくれなかったんだ!」
「…………はぁ?」
声を潜めていたのに、思わず出てしまった。
自分自身を危険人物だと見栄を張っていたくせに、殺せなかっただと?
なんだそれ。ただのサイコパスのなりすましじゃないか。
「詳しく説明しろ」
「……あの日、タラスの家の前でミラを待ち伏せしていた……。ミラは直ぐに俺を家に入れてくれたんだ」
「それはない。三枝木が家に来てから俺はミラに強く言い聞かせたんだ。俺の職場の人間でも絶対に家に入れるなと。どうやって入りやがった」
「俺が警察の恰好をしていたからだ。あと俺は手話もできる。近くで事件があったから調査をさせてほしいと偽ったんだ。雨に酷く打たれていたのもあるな……優しい妹だ。警察だと疑わなかった」
「……それで?」
「俺は普段から警察の恰好をして巡回している。俺のことを警察だと信じない奴は殺して、信じる奴は殺さないんだ……クク。でもお前の妹は信じた。ということは殺してはいけない。俺のルールに反してしまう。でも三枝木からは必ず殺せと言われていた。金のこともあるし殺さなければいけない」
「……それで?」
「悩んだんだ。己のルールを守るか金を取るか。悩みながら、暫くミラと嘘の会話をしていたんだ……。そしたら会話の途中で俺に違和感を覚えたのがわかった。雨でシャツが透けて、刺青が見えたんだな。そこで俺は、それでも俺を警察だと信じるのなら、殺さないでおこうと決めた。……決めたら決めたで気になって仕方なくなってよぉ、もう上辺の会話はいらねぇと思って直接聞いたんだ。『俺が警察に見えるか?』って」
沼尻はタラスからの『それで?』を待ったが、タラスは何も云わなかった。
興奮を隠せない沼尻は直ぐに続きを話し始めた。
「そしたらあの女、酷ぇことを言いやがった! 俺を《嘘つき野郎》だと! 俺は警察だってのに! 直ぐに殺してやろうと思ったが、女は風呂場に逃げ込んで鍵を閉めやがった。ボロい家のくせしてなかなかドアを壊せなかった。やっとの思いで風呂場を開けたときにはもう……手首を、切って死んでやがった……。こんなに悔しい思いをしたことはな」
――パン!――
話の途中でタラスは沼尻の股間を撃った。それでも沼尻は汚い声を漏らして生きている。
「くだらねぇ。お前のことは一番に殺してやると思ったが、そんな価値もないほどくだらねぇ。でもお前みたいな変態は治らねぇ。世の中のために死んどけ」
タラスは沼尻の首を掴み、力を込めた。
沼尻の肉が萎んでいくのを見て、俺は親父の部屋に向かった。
「おい、無駄だぜ」
タラスが歩いて追いかけてくる。恐い。足が痛ぇ。親父助けてくれ。親父は強いから、こんな悪魔やっつけてくれる。早く、早く、俺を助けてくれ。
親父の部屋の襖を開ける。
誰もいない。水曜日のこの時間はいつも絶対にいるのに!
「無駄だって言っただろ。親父は文化祭の作品作りで忙しんだ。月曜だけじゃなく、水曜も書道教室に行くようになったんだぜ? 熱心だよなぁ」
「……は?」
「お前は知らねぇと思った。愛してほしけりゃ、相手のことも知らねぇとダメだぜ。自分は自由勝手に振舞って、ただで愛してもらおうなんて虫が良すぎるんだ」
襖に触れているタラスの手から、どんどん朽ち始める。
「嘘だ! いるんだろ親父! 親父ぃ!」
俺には何でも話してくれたじゃないか。俺が殺されそうになった時は助けに来てくれたじゃないか。親父がいるから安心できたのに。――親父がいるから、安心して人を殺せたのに。
「哀れなことこの上ねぇ。なぁ?」
「親父! 親父ぃ! なんで来てくれないんだ! 親父ぃ!」
きっといるんだ。タラスと親父が一緒になって、俺に悪戯しているんだ。
沼尻のあの薬が、悪い夢を見せているんだ。




