‐ 第55話 ‐ 目覚め
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この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。
[]内は英語を表しています。
[ドクターアンソニー! ドクターアンソニー! 被検体が目を覚ましました!]
騒がしく声を響かせたのはタオだった。
その声にアンソニーは猛ダッシュで研究室に向かう。異様に速く、老いを感じさせない軽快な走りだった。彼もまた、肉体を強化していた。
研究室には既に奈須川がいて、被検体の検査をしていた。
[私が変わる。私が変わる。もう動けるのかい?]
アンソニーは奈須川の仕事を無理やり奪った。
[……えぇ、もう歩けるくらいには体力がついているわ。知能指数はまだ低いでしょうけど]
アンソニーは興奮を抑えられないでいた。自分の持っていた死体の少年が生きている。再生の力で手術痕も完全に消えていた。
[素晴らしい。歩いて、ここに座ってみなさい。君のことは何と呼ぶべきなんだろうなぁ]
[急かさないで。まだゆっくりとしか歩けないわ。ドナー名はタラス・レスチェンコだけど、レシピエントの名前は何ていうの?]
タオは少年の手を引き、ゆっくりと椅子に座らせた。少年はされるがまま、生まれたての赤子のように大人しくしている。
[待ってくださいね。えーっと、レシピエントの少年は……神尾クリス優士君ですね]
ドナーとレシピエントのデータを見てタオが云った。名前など、三人の医師にとって今の今までどうでもよいことだった。
[クリスでいいだろ]
アンソニーは少年をレシピエントのミドルネームで呼ぶことにした。それは単に、アンソニーが一番呼びやすいだけだった。
少年の前に座り、アンソニーは机の上に積み木を広げた。
[クリス。これを積み上げられるかい?]
少年はゆっくりと積み木を手にし、その感触を確かめた。その後は難なく積み木を積み上げ始めた。
[よろしい。英語も理解しているようだ。次ハ、崩シテミルンダ]
言葉が英語から日本語に変わり、少年は少しだけ止まった。だが直ぐに理解し、少年は積み木を指でコンと弾き倒した。
自分の命令をクリスと名付けた少年が聞く度に、アンソニーは喜んだ。
一通りの運動機能は問題ないと判断し、アンソニーは安堵から煙草に火を付けた。
[ちょっとドクターアンソニー……。子どもの前ですよ]
タオは思わずアンソニーに注意した。
[構わないさ。この子には支障がない。美鈴、君の言った通りだ。生命力に溢れている。監禁部屋にいる異教徒をここに連れてこよう。ほら、ドクタータオが腹を切った異教徒さ。その傷に触れさせるんだ]
突然、少年がアンソニーの煙草に手を伸ばそうとした。
[ん? これが気になるのかい?]
アンソニーは少年の望むまま、加えていた煙草を少年に渡した。
[あっ! ちょっと、ダメですよ!]
[気にするな。言っただろう。支障はないと]
タオは止めに入ったが、相変わらずアンソニーは聞く耳を持たなかった。
少年は煙草を手に取り、暫く不思議そうに見つめた。煙草に興味を示した少年を、三人は静かに観察する。
――少年は突然、吸い慣れたように煙草を口に加えた――
その姿に三人は目を丸くした。
奇妙な沈黙が流れる。
目覚めたばかりの赤子のような少年が、こんな行動を取るとは思わなかった。それもアンソニーの真似事ではない。煙草を持つ指が彼とは違っている。
煙草を加えながら、少年は目の前に座るアンソニーをじっと見据えた。その大人びた少年の姿に、三人は圧倒されてしまう。
――少年は目を開いたまま、無言で涙を流した――
[ハハ…………。煙が目に染みるんだろう]
アンソニーは煙草を捨てさせようと、少年の口元に手を伸ばした。
……その時だった。
少年は伸ばしてきたアンソニーの手を反対側にへし折った。
[!]
少年は折ったアンソニーの手を離さず、力を込めた。すると見る見るうちに、アンソニーの手が朽ち始める。
[あああああああ!]
少年を止めに入ろうと思ったタオはそれを見て思わず身を引き、奈須川も少年から距離を取った。
悲鳴を上げるアンソニーに少年は笑みを浮かべ、腕一本朽ち尽きたところで、漸くその手を離した。
アンソニーは椅子から転げ落ち、前に立ちはだかる少年を見上げた。
「イマイチだなぁこの煙草。もういらね」
少年は流暢に喋り出し、唾と共に煙草を吐き捨てた。
[お前は、誰なんだ……]
「俺? 俺は優士だけど……。それよりさ、ミラは何処だよ」
少年、優士は辺りをきょろきょろと見渡した。
「ミ、ミラですって? どうしてあなたがそれを知っているの!」
ミラの存在は遺体を買い取った奈須川しか知らないことだった。それをタラスでもない優士が知っているのはありえないことだった。
「どうしてって、タラスが言ってたからだよオバハン。なぁミラは何処にやったんだ?」
「あああ! こ、来ないで!」
近寄ってくる優士に奈須川は悲鳴を上げて尻餅をついた。
こいつに触れられれば体が朽ちる。美しく作り上げた自分が消滅してしまう。
そうはなりたくない!
奈須川はこれほどの恐怖を感じたのは初めてだった。
少年と奈須川の会話内容がわからないアンソニーに、タオは声を震わせながら通訳した。
アンソニーは腕を痛めつつも、不気味な笑い声を出し始めた。
[ハハハハハ……! そうか。記憶転移したんだな。レシピエントはドナーの記憶が引き継がれる例がある。稀だがな……。優士と言ったな? お前、中身はタラスということか?]
奈須川の顔に手を伸ばそうとしていた優士は、アンソニーに向き直った。
「煩ぇよ。俺と喋りたきゃ日本語を喋れ。そうだな。まずはお前からだな」
優士は身軽に机を飛び越え、アンソニーの顔に両手で触れた。触れた部分からアンソニーは腐り朽ちてゆき、暴れていた手足は力を無くし……やがて動きを止めた。
――それは再生とは相反する力だった――
「おいオバハン! ってあれ……? 何処行きやがった! ミラは何処にやった!」
アンソニーが優士に殺されている間に、奈須川は逃げていた。
一方、タオはアンソニーの朽ちてゆく姿に、その場で呆然とすることしかできずにいた。
「おいお前、ミラは何処だ」
「し、知りません」
「探せよ。ここの何処かにいることはわかってるんだ。お前も死にてぇのか」
優士はタオに手を伸ばした。
「探す! 探すよ! 恐らくドクター奈須川の研究室だ」
タオは優士に言われるがまま、奈須川の研究室に案内した。
自分の後ろを歩く少年から強い視線を感じる。
触れられれば死ぬ。最悪の生物が誕生してしまった。
支配下にあれば素晴らしい兵器かもしれないが、優士と名乗ったこの少年は意思を持ち、殺すことに一切の容赦がない。タオは下手に動けなかった。
「多分、この中じゃないかな……。君が入っていた遺体保管に特化した棺桶だ」
「俺が入っていた? 俺は火葬されずに、こんな鉄の塊に保管されてたっていうのかよ」
タオは余計なことを云ってしまったと後悔した。
「僕は知らないが、君がさっき殺した医者がそう云っていたんだよ。火葬するには勿体ない死体だったと……」
「気色悪ぃ奴だな。殺して正解だ。これを回せば開くんだな? お前逃げるなよ」
優士はタオに釘を打ち、棺桶を開けた。
冷たい棺桶の中には、静かなミラがいた。
優士はミラの頬に優しく触れ、また涙を流した。涙を流したのは恐らく、優士の中のタラスだろう。
優士はミラの耳からピアスを外し、それを自分の耳へ無理やり貫通させた。優士はタラスのために、一部でもいいからミラを持ち帰りたいと思ったのだ。耳朶の痛みは優士にとって大した痛みではなかった。
「ん? 逃げなかったんだなぁ。お前」
ピアスのキャッチをつけ終え振り返ると、タオは大人しく突っ立ったままでいた。
「え、だって君が逃げるなって」
「でも俺、お前のこと殺すぜ?」
「なんで! 僕は君に何もしてないだろ! 僕はあいつらみたいな非人道的人間ではないし、子どもの前で煙草を吸うのも許せない!」
タオの突拍子もない発言に、優士は思わず口をあんぐりさせた。
暫くして、込み上げてきたように大声で笑い始める。
異常に大きな声で笑うため、タオは狂気を感じた。
まるで、二人分の笑い声だった。
「なぁ……知ってんだぜ。タラスと俺に何をしたか……。ここも屑の集まりだ。俺とタラスの思う屑は殺していくって決めたんだ。そうすれば、少しは平和な日本に近付くって、タラスは言ってたぜ?」
逃げるタオを優士は追い、白衣を掴んだ。
研究室を出ると、優士は視界に入った信者を次々と殺していった。
しかしあまりに施設の中が広く、途中で面倒になってきてしまった。
優士は心の中でタラスに相談する。
「よし。じゃあ優先順位をつけるか。あのババァの優先順位も高いが、まずはあの二人だな。さっさとぶち殺しに行こうぜ」
殺し損ねた信者の一人が、優士を奇異の目で見た。
「やべ。また独り言みたいになっちまった。気を付けねぇと」
信者の視界は、優士の手で暗く閉ざされた。




