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無声凱歌  作者: 十田 實
◆ 第1章 ◆ 2075年
5/87

‐ 第5話 ‐ 地下三階の恐怖

<R15> 15歳未満の方は移動してください。

この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。

 二十分程運転しているうちに、外はもうすっかり暗くなってしまっていた。工場に入れるだろうかと不安が過ったが、一階はまだ明かりが点いていた。

 守衛に社員証を見せ、訳を説明すると中に入れてもらえたが、時間も時間のせいか軽くあしらわれた。丁寧な対応なんて期待してはいないが、早く帰りたい気持ちは俺もあんたと同じなのだと、わかってほしかった。




 時間をかけた工場見学のおかげで記憶は新しく、地下に繋がるエレベーターまで迷うことはなかった。


 エレベーターのボタンを押す。

 だが、ドアが開くことはない。

 階の数字が光ることもない。

 何一つ反応がないのは時間外だからだろうか?


 仕方なく階段を下りるが、壁に備え付けられた(ほの)かな青い光が気味悪く、和気藹々とした昼間の工場見学とは全く違う世界に感じられた。

 腕時計のライト機能を使えば辺りを十分に照らせるのだが、その腕時計を探しに行くのだからどうしようもない。この照明があるだけ有難いはずなのだが、そう思うことができない。恐怖が勝ってしまっている。

 

 これは、そう。待ちに待った明日の休暇のために取った即座の行動、そこまでは良い。何も間違えていない。だが、()()()()()が酷く苦手であることを、今の今まで忘れていた。忘れたままでよかったのに、階段を慎重に下る度、却って鮮明に蘇ってくる。


 大した記憶ではない。


 五歳頃だっただろうか……。一人で風呂に入っていると、居間で酒を飲んでいた父親がふらふらと風呂場にやって来て、電気を消し、そのまま戻って眠ってしまった。(後で聞けば、風呂場の電気がつけっぱなしにしてあったと勘違いしたらしい)

 まだ幼い俺は突然の暗闇が恐ろしくて身動きがとれず、風呂に浸かったまま父親を大声で呼ぶことが精一杯だった。


 だが、父親の(いびき)は必死に泣き叫ぶ俺の声よりも大きい。酒を飲めばよく眠ってしまうことも知っていた。知っていたからこそ、このまま父さんが気づいてくれなかったら……と、さらに恐ろしくなった。

 

 どうしていいかわからず、試しに母親も呼んでみるが、夜中にほっつき歩いている母親が運よくこのタイミングで帰ってくることなどない。数回母親を呼んでみた後、もう一度鼾の煩い父親を呼ぶことに切り替えた。暗闇から救ってくれる可能性は母親よりも父親にあると、五歳の俺は理解したのだ。

 

 だが結局朝になり、浴槽の湯が冷たくなるまで一人ぼっちだった。

 とてもとても怖かったのに、


「ん? お前いつまで風呂入ってたんだ。風邪引いちまうだろう」


 父親はけろりと云った。

 既に泣き叫び疲れており、後になってから父親を責め立てると、大声で笑いながら謝るのだった。


 それが直接的な原因なのか定かではないが、こんな場所、腕時計を拾ってさっさと去りたい。




 疲れながらも地下二階まで下りてきた。二階まで下りると、やはり足元が寒い。昼間感じたあの寒気は間違いではなかったのだ。地下三階は物置のようなものだと工場長が云っていたが、稼働を続けている機械があって、それが寒さの原因だと仮定した。そんな(もっと)もらしい仮定を立てずにはいられなかった。


 エレベーターの周囲を見渡すと、やはり腕時計が落ちていた。

 安堵して、屈んで腕時計を拾い上げる。OMEGAの限定デザインで、大事にしているやつだ。

 傷が付いていないか念入りに見る。が、暗くていまいちわからない。


 立ち上がろうと体を起こした瞬間、突如眩しい光に照らされた。


「うわぁっ!」


 驚いてその場に尻をつき、折角拾い上げた腕時計はまた落ち、廊下を滑っていった。もう絶対に傷物だ。


 自分しかいないとばかり思っていたら、女が一人、懐中電灯を持って立っていた。

 口をぽかんと開けて俺を見ている。女はどうやら俺がいたことよりも、俺の出した大声に驚いたようだ。

 急激に恥ずかしくなってすぐに立ち上がり、そそくさと腕時計を回収し、何事もなかったかのように腕につけた。


「えっ……と、どうしたんですか? こんなところで」


 女は冷静に俺に訊ねた。工場の上着を着ているので、ここの従業員なのだろう。何処かで会った気がするのだが、今は頭がうまく働かない。


「あぁ、僕は今日この工場で見学者の通訳として付き添いをしていたんですけど、見学中にここで腕時計を落としてしまって取りに来たんです。えっと、あなたは?」


「あたしは、先輩に地下三階にある物を取ってくるよう頼まれて」


「こんな気味悪いところ、お一人でですか? それも地下三階って確か……」


 俺は思わず女に訊ねた。そして、冷たいチェーンがかけられている、地下三階に続く階段を横目に見た。女の方も俺の視線につられてチェーンを見る。


 ――No Entry――


 従業員であるこの女は先輩から指示を受けているのだから、この先へ進むことは何の問題もないのだろう。それでも、その先輩とやらを俺は冷たい奴だと思った。大の大人、男の俺が悲鳴を上げるほど気味の悪いところに、若い女一人で物を取りに行かせるのだから。


「よかったら、一緒に行きますよ」


 それはほんの親切心と、女を残して自分だけが立ち去るばつの悪さからだ。


「いやでも、悪いですし」


「俺もここの社員なので、あぁ本社の方なんですけど、気を遣わなくていいですよ」


 云ってからハッとした。気を遣うも何も、悲鳴を上げて尻餅をついた男が一緒にいても、役に立たないと思われているのでは……。

 女は少し考えているようだった。


「じゃあ、もしかすると重い物かもしれないので、一緒にお願いしてもいいですか?」


「勿論ですよ」


 心の奥底ではわかっている。親切心など本当は偽りで、一刻も早く立ち去りたい反面、一人でいるのに耐えられなかったからだと。話し相手でもいれば俺の恐怖心が紛れるし、女にとってもきっと、誰かいた方が良い。見覚えのあるようなないようなこの女からは、親切な人間だと思われるだけだ。一石二鳥ともいえる。


「地下三階は殆ど物置状態だって聞きましたけど、何を取りに行くんですか?」


「そうなんですか? あたし入社したばっかりで、地下三階に行くのも初めてなんですよ。先輩は行けばわかるってそれだけで。……はぁ寒い」


 チェーンを跨ぎ女と階段を下ると、寒さは確実なものになってきた。掃除はされていないようで埃っぽい。ずっと換気もしていないのだろう。空気が淀んでいる。




 地下三階に着くと、廊下の先にドアと思わしきものが懐中電灯でうっすらと見えた。女の持つ懐中電灯はやけにごつごつとしているが、大した明るさではない。性能はそれ程良いものではないようだ。


 ドアの前まで辿り着くと、女が持っている懐中電灯を俺が受け取り鍵穴を照らした。女は持っていた鍵を鍵穴に差し込む。他の部屋とは違い、何故かここだけは重厚感のある鋼鉄のドアで、鍵もそれに見合う大きさだった。


 鈍い音で鍵が回り、ドアを開ける。

 重く、足を踏ん張り、力を込めて押さないと開かなかった。


 中に入ると、酷い悪寒がした。

 地下二階の階段から感じていた寒気は、きっとここの冷気に違いない。

 取り敢えず室内の電気を点けるため、壁にある照明のスイッチを押そうとしたが、上から無造作にガムテープがバツ印で張られている。使うなということだろう。一体この部屋の何からこれほどの冷気が漏れているのか、暗くてこれでは確認できない。

 仕方なく懐中電灯だけで部屋の中を照らす。


「うぅ~寒いっ。円柱型の冷凍庫があって、その中の物が必要みたいで……。あ、これかな」


 女は目が良いようで、俺が懐中電灯で照らすよりも先に、()()を見つけた。

 見つけたというより、()()()()()()


 それは俺たちの予想を遥かに超え、見上げるほど高く巨大な冷凍庫だった。

 三メートルはあるだろうか。銀灰色の見事な筒で、取手以外の無駄なものはなく、冷凍庫だと聞かされていなければ、何だかわからない代物だ。


 俺は会社の取り扱っている製品は全て頭に入っているが、こんなものは見たことがない。大きさは異なるが、昼間見た移植臓器保管用冷凍庫に少し似ている。

 一体これは何の用途で作られたのか。中に何が入っているというのか。

 女も先輩からの頼み事が、これほど大層なことだと思わなかったはずだ。『ただ中の物を取ってきたらいい』はずだが、『本当にいいんですか?』と、誰でも躊躇してしまうだろう。


「え! 凍ってて開かないじゃん!」


 そう思った矢先、女は躊躇することなく、既に冷凍庫の取手を握っていた。

 そういえばこの部屋向かっている間も、寒がってはいたが怖気づいてはいなかった。女にとって俺は、本当に必要なかったのかもしれない。


 見ると、取手の部分が女の云うように凍っていた。冷凍庫全体も薄い氷の膜が貼られている。この部屋もだが、冷凍庫の中はかなり温度が低いのだろう。女の先輩はこうなることを知った上で指示したのだろうか。


 女は取手の氷を手の平の温度で溶かそうと試みた。

 けれど、それだけの体温では何の変化も起こらなかった。


「はぁ~。だめですね。戻って先輩に言います。すみません。折角一緒に来てもらったのに」


 諦めて女は取手から手を放し、吐息で手を温めた。

 俺も試しに開けてみようとしたが、本当にびくともしなかった。凍っているだけにしては固すぎやしないだろうか。これを開けるのには恐らく工具が必要だ。つまり、俺たちには無理だと悟った。


「しかし、変わった冷凍庫ですね」


「ほんとに」


 女の『ほんとに』には怒りが混じっていた。開かない冷凍庫よりも、先輩に対する怒りとみた。どうやら良好な関係ではないそうだ。


 俺は最後に、この異様な冷凍庫を確認しておこうと、懐中電灯を手に取った。製品番号さえわかれば、本社に戻ってから詳細が調べられる。

 懐中電灯を握るとさっきは気がつかなかったが、もう一段階照度を上げるスイッチがあることが、指の感触で分かった。


 本能のままにスイッチを押したその瞬間、それまでの明るさからは信じられないほどの光を発した。


 朧気だった冷凍庫も鮮明に姿を現す。


「わっ! なんだ!」


 照らした中心部から、冷凍庫を覆っていた氷がパチパチと音を立てて溶け始めた。みるみるうちに円状に広がってゆき、やがて取手にまで到達した。覆われていた氷で見えなかったが、冷凍庫に文字が刻印されているのがわかった。


 ――Reincarnation――


「…………リ……インカネーション?」


 そう呟くと、女は横できょとんとしていた。

 意味は、わかっていなさそうだ。


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