‐ 第47話 ‐ 歪んだ初恋
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この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。
全身が海水で濡れていた。陸に着地できなかったのだから無理もない。
タオは濡れた服の気持ち悪さに白衣を脱ぎ、絞って水分を出した。靴は泳いでいる最中に両方脱げてしまった。白衣さえ脱げば、自分は医者に見えないだろうなと、砂浜を歩きながら思う。加えて今の自分は裸足だ。酷い姿に違いない。
海水に浸かったせいで、腕がピリピリと痛む。宇智田美生に噛み千切られ抉れた腕だ。
歩きながら、その瞬間と痛みを思い出す。欠損した頭部、血走った目、喰らいつく不撓不屈の精神……。
タオは立ち止り、頭を抱えた。
「……まずいな。これは新しい発見だ」
タオはあの瞬間、興奮を覚えてしまった。目覚めてはいけない感覚が、自分の中に目覚めたと自覚した。頭が宇智田美生のことで一杯になる。あんなことができるのは、この世で彼女一人だけだ。
もう一度、彼女に会いたい。
愛の種類は違えど、タオは世良の気持ちを今になって理解できた気がした。彼と飲んで語らえないことを、残念に思う。
腕は酷く痛むが、タオはこの痛みを決して忘れないでおこうと誓った。
「頭を抱えたいのはこっちの方よ」
嗅ぎ慣れた煙草の匂いがした。
顔を上げると、奈須川が立っていた。
「嫌ぁね。びしょ濡れじゃないの。あなたそうしていると、一見誰だかわかんないわ」
「ドクター奈須川! 海に落ちなかったんですね! 僕の方が先に脱出したのに風に煽られて煽られて大変で」
「煩いわよ!」
奈須川は煙草を吐き捨て、これでもかと踏みつけた。ご自慢の高いハイヒールは砂を撒き散らせる。また癇癪が始まったとタオは思った。
「こんな危険な目に遭わされたのは初めてよ! 言いたいことは沢山あるけれど、兎に角早く本部に帰りたいわ!」
「僕は結構スリリングでしたけどねぇ」
タオは平然と返した。自身が危険に冒されても、タオにはそれ以上に得たものがあったからだ。
「ところで、あれは奪われなかったんですか?」
「当たり前じゃない。死守したわよ」
奈須川は白衣のポケットから袋を見せた。
「あの状況で七本抜いたのよ。褒めてほしいわね」
確かに、あの場の短時間で、暴れる子どもを抑えつけながらそれだけの歯を抜くのは大した技だ。自分にはできないし、やろうと思わない。この非道も奈須川だからできるのだと、タオは思った。
歯の持ち主である凱には逃げられ、美生は海に散り、結局のところ一番手柄を立てたのは奈須川だった。タオは自分も尾澤も、報われない人間だと思った。
そうこうしているうちに、尾澤のヘリが飛んできた。
「遅くなってすみません母さん、ドクタータオ。怪我はありませんか?」
ヘリから足を引き摺って歩いてきた尾澤を、奈須川は思い切り平手打ちした。
親子の間に不穏な空気が流れ、タオは気まずくなった。
「あなたに頼まなければよかったわ」
「……申し訳ありません」
「で、どうするの? 得られたのは私が必死になって抜いた凱の歯だけで、二人とも捕らえられなかったわ」
「凱は再び追跡し、宇智田は海を捜索させます」
「そうね。でもあなたはまず本部に戻って始末書を書くことね」
「あのぅ~……」
タオが二人の間に入った。両者から容赦なく冷たい目を向けられる。
「宇智田の海の捜索は、僕の方に任せてくれませんか? 慧さん一人では大変ですよ。働き通しですし、少し休んだ方がいい」
タオは最初から美生を探したくて仕方がなかった。見つかったそれが美生の肉片だとしても、想像すると興奮できた。しかし尾澤に休むことを勧めたのは本心からだった。この毒親に使役され過ぎなのだ。倒れられては困ると思った。
「そう。ではお願いしましょうか。兎に角本部へ帰りましょう」
ぶっきらぼうにそう云うと、奈須川は真っ先にヘリに向かった。
奈須川がヘリに乗り終えるのを見ると、尾澤はタオに対し、不服そうな顔をした。タオは自分が尾澤にどう思われているか想像がついた。
「余計なこと言うなっていうんですか? でも足、撃たれちゃってるじゃないですか。休んだ方がいいですよ。本当に。きっとこれからまだまだ忙しくなる……」
尾澤は黙ってヘリに向かった。引き摺った足で、砂浜に歪な線ができていた。
「……お礼の一つくらい、あってもいいのになぁ」
タオは裸足で、線の上を歩いた。




