‐ 第39話 ‐ 盲愛について
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この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。
「やっと回収できたわねぇ、全く……。五日以内って勇魚さんは言ったのに、ギリギリよ。私が直々に出向くことなんて滅多にないんですからね!」
上昇するヘリの中、奈須川美鈴は足と腕を組み、如何にも立腹の様子だった。
「僕に怒られても困りますよ、ドクター奈須川。それにそうおっしゃらずに。慧さんだって焦ってるんですよ。部下に任せたらいいのに、わざわざ自分が捕らえに行くほどなんですから。あなたのために最前線で頑張ってくれているんですよ? もう少し汲んであげたらどうです?」
回収した凱を横向けに担架に乗せつつ、宥めるようにタオは云った。
「甘いわねぇあなた。結局こうやってこの子を捕えたのは私たちじゃないの。宇智田の方はけじめとして勇魚さんに捕らえてもらうわ。……というか、あなただいぶ勇魚さんに協力してあげたようだけど、一体どうやってここの情報を得たのよ」
「あぁ~それはですね。偶然、いや、奇跡的といってもいいんですけど、RMSに所属する医師が僕の顔見知りだったんです。医学部時代の同級生で、別に親しかったわけではないんですけど、彼との唯一の思い出をほじくり返して、利用しちゃいました」
未だ顰め面の奈須川に、タオは愉快そうに思い出を語り始めた。
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――数年前 某ホテルにて 「医学部OBの集い」――
「傷を負っても忽ち治る。その体は病なんて知らない。更にはその力を人に施すことができる。謂わば、不老不死の研究ができるんだ。医師の端くれの君だって、聞いたことくらいあるだろう?」
注がれたばかりのゴールデンドリームを、女は一切口にせず、糸目の男の話に耳を傾けた。
「でも、その子って確か行方不明じゃ」
「まさか。いるんだよ。僕のいる研究室に」
女は口に手を当て目を見開く。その反応に男は内心喜ぶ。男の云っていることは嘘に真実を入り混ぜたようなものなのだが、女には真実にしか聞こえていなかった。
男の誘惑はまだ続く。
「君、妹さんが重い病気で医師を志したんだってね。素晴らしいよ。でも、辛いことを言うが、医師になって理解したんだろう…………? 救えないって」
「……」
「触れるだけなんだ。それで完治してしまう。なら今までの自分の努力は何だったんだって、最早笑えてくるよね。僕もそう。だからあの子を研究するのさ。多くの命が救われるように。ここでね」
男は一枚のカードを差し出した。
――大鳳生命研究所――
研究所という名の宗教団体であることを、女は知っている。入れば二度と出られないことも知っている。しかし男の言葉が頭の中で繰り返される。『触れるだけなんだ。それで完治してしまう……』
カードに刷られた黒丸に、吸い込まれそうになる。
自ずとカードに手を伸ばしていた時だった。
「やめとけ。戻れなくなるぞ」
女の腕を、別の男が掴んだ。
女は意気消沈の様子で、男に手を引かれ去って行った。
残された男は、女が飲まなかったゴールデンドリームを手に取る。
「不老不死なんて、特に女の『永遠の夢』だ。もう少しだったのに。邪魔が入れば真面目に布教活動してるのが馬鹿らしくなるぜ」
一気に飲み干す。不味いと云わんばかりに舌を出し、帰ろうとジャケットを手に取った。
一人、肩がぶつかった。
「あぁごめんね」
「……」
返事がない上、それ程強くぶつかったわけではないのに、その男はふらふらとして安定していなかった。
咄嗟に男の肩を支えると、その男はこの世の全てに疲れ切ったような顔をしていた。
そういう顔をした人間を見ると、タオは声を掛けずにはいられない。
「うーん……世良……世良…………世良基君、だっけ?」
「えっと……」
「タオ・ユリエルだよ。どうしたんだい? そんな絶望みたいな目して」
「……飲みすぎただけだよ」
「ふーむ……。飲み過ぎた……。そういう時はね……」
今しがた絶望した目ではない。常に絶望している人間の目だと、タオは思った。
「もう一軒飲みに行こう! 基君!」
どうにでもなれという人間は決して断らない。勧誘はこの際どうでもいい。絶望した人間の生き様を聞くのが、何よりの醍醐味だった。
――数分後 某大衆居酒屋にて――
「おや。さっきより顔色がましだね。良かった良かった」
夜風に触れたからか、世良は酔いが少しばかり覚め、元の顔色を取り戻しつつあった。
「……タオ君も、こういうところに来るんだね。何というか意外だ」
タオが世良を案内したのは、昔ながらの大衆居酒屋だった。それも昭和の雰囲気を残した、今となっては希少な居酒屋だった。客層は日本人、それも年寄りが多い。若者と移民が入りづらい雰囲気を醸し出している。故にタオと世良は浮いた客だが、タオは何食わぬ顔で腰掛けビールを注文した。
「意外? 僕はこういう日本らしさが残る店が好きだよ。二世と言えども移民だからかな。基君だって、ヨーロッパを旅したとして、中世ヨーロッパ風の酒場があったら入りたいだろう?」
「確かに。入りたいね」
「だろう? 堂々と入らなきゃだめさ。損する」
運ばれてきた瓶ビールをタオは慣れた手つきで世良のグラスに注ぐ。
世良は不思議な感覚に陥った。学生時代、互いに顔と名前のみ認識している程度の仲だったはずなのに、旧友に再会した懐かしさすら感じる。タオが自分のことを下の名で呼ぶせいか、昔懐かしいこの店の雰囲気がそうさせるのか、自分がどこかおかしくなっているのか、世良はわからなかった。
――……ブブブッ……ブブッ……奈須川クリニック院長二度目の離婚! お次に彼女の美貌に堕ちるのは誰なのか⁉ ブブッ……気になりますねぇ竹田さん。富、権力、美貌、全てお持ちの女性ですからねぇ。えぇっとお歳はいくつなんでしたっけ? 確か五十…… ……ブブブブッ……――
「本当は、もっといってるかも」
ダイヤル式ブラウン管テレビに映る奈須川美鈴を横目に見て、タオが云った。ブラウン管テレビといっても無論本物ではない。雑音まで見事な、よく似せた製品だ。この店には打って付けの製品である。
「この人は馬鹿だな。離婚するなら結婚しなきゃいいのに。理解できないね……」
世良は注がれたビールを口にし、ホテルで見せたのと同じ目をした。タオはその目を観察するようにじっと見つめる。
「ほーう。どうして?」
「……まず、結婚というのは円満な家庭を築ける確信がないと、するもんじゃない。だから離婚する」
「そりゃあ、その時は確信があったんだろう?」
「片方にあってもダメなんだ。互いにあったとしても、確信の大きさも同じでなければならない」
「それは難しいな」
「うん。難しい。でも答えは至ってシンプルなんだ」
よく喋るようになったと思ったら、恋バナ。
期待外れだとタオは思った。その反面、恋如きであれ程の絶望に至れる世良の話に興味が湧きつつもあった。
「互いに盲愛でなければならないんだ」
そう云った世良を見てタオは確信した。世良は誰かに盲愛している。一体どんな女だ。
「恋は盲目というね」
「うん。そうでなければ幸せな家庭なんて築けない。ただ問題は、いつ出会うか。出会うことができるかなんだ」
「……はぁ。しかしそれは人それぞれ」
「出会った時、既にその人が人のモノであるから、不倫が起こる。盲愛したもの同士の夫婦なら心配ない。介入したそいつの迷惑ってだけさ」
「……ははぁ~ん?」
「ははは……独身者が何を言っているんだってね……」
つまり、世良は既婚者相手に盲愛中なわけだと、タオは察した。これ程真面目そうな男でも、手を出してはならない一人の女に夢中になるとは、面白い。
だが、これだけでは絶望に値しない。
「いつからなんだ?」
「いつから……」
「いつから好意を寄せているんだい」
「僕が十六の時からだから彼是……」
「ワァオ」
これは重たい愛だ。一途もここまで来ると恐ろしい。
内心で嘲笑っていても興味が湧くのは、タオ自身が一途の愛を知らないからかもしれない。
「どんな女性なんだい?」
「……とても、正しい女性だよ……」
「……それだけ? 美人だとか教養があるだとか、もっとあるだろう?」
「そりゃ勿論さ。あとそうだね……とても綺麗な声をしているよ。だが……」
世良は言葉を詰まらせた。その女を思い出してか、泣き出しそうな顔をしたのでタオは驚いた。
「今は、体を壊していてね」
「僕たちの得意分野じゃないか」
「うん。努力はしてるんだが、全く追いつかないんだ……はは……。それでもね、それでも、その分、傍にいることができる。よくわからなくなってしまったんだ。君の言う絶望なのか、それとも幸福なのか……」
真面目で優秀だった男がここまで云うのだから、女の容態は最悪なのだろう。
それでも医師である自分は彼女の傍にいる口実ができる。治る見込みが無ければ無いほど、密接になれる。起き上がってしまえば彼女は所有者の元へ帰るのだから。
そう云う訳で世良はおかしくなっている。
「ごめんね。こんな、暗くて救いようのない話をして。きっと、君がホテルでリリーといるのを見て、羨ましく思ったんだ」
「うん?」
リリーという女を勧誘するよう口説いてはいたが、タオは彼女とそういった関係ではない。割って入った男に阻止されたのを見ればわかる。
「……あれ? 違うのかい? 彼女、カウンターで君と向き合って、口に手を当てて驚いていたものだから、僕はてっきりプロポーズでも始まったのかと……」
それを聞いてタオは大きく吹き出してしまった。別の男に阻まれ勧誘が失敗に終わった場面を、世良は見ていなかったようだ。自分の羨望する場面だけ見てしまうとは、これまた可哀想な男である。
「違うよ。ハハハッ……。ある意味プロポーズだが、あの後失敗してるんだ。基君がそう勘違いするってことは、話の内容は聞こえていなかったんだな」
タオは笑いを堪えながら真実を教えた。
「なんだ。そうだったのかい。じゃあ何の話をしていたんだい?」
「フフ。まぁ、それはまた今度ね」
自分には矢継ぎ早に質問するくせに、こちらの質問には答えない。二軒目を持ち掛けたのはタオの方だというのに、酒も回っているというのに抜け目がない。世良は少し不服そうな顔をした。
――……ブブッ……て、ことは竹田さんと同い年ってことですか⁉ えぇーっ! 見えない見えない! ブブブッ……これはもう美魔女を通り越していますよ! このまま若返れば少女に戻るんじゃないですかねぇ。日本の技術はどこまで進むのやらですよ~! ……――
ブラウン管テレビの中はまだ奈須川美鈴で盛り上がっていた。
「僕ね、今この人と研究やってるんだよ」
「………………え?」
タオは先程と同じように、横目にテレビを眺めて云った。
不服そうな顔を見せた世良に不公平を感じさせないよう、云ったのかはわからない。
「そう、なんだ……。って、僕さっきこの人のこと馬鹿だなんて言ってしまって! 君の上司にあたる人なのに」
「いいんだ。いいんだ。この人はこのテレビみたいにモノクロの方が良い。実物は色も我も強くて苦手なんだ」
タオは眉間に皺を寄せ、子どものように嫌々と首を振った。
「そういう基君は、何処に勤めているんだい?」
またもタオのペースで質問が始まる。
「僕は……一般企業の専属医さ。大したことない」
「一般企業って?」
「小さな派遣会社だよ」
「なんて名前?」
「……RMS。聞いて事ないだろ? 最近できたばかりの本当に小さな会社さ……」
世良はタオのように、軽やかに言葉を濁すことができない。
「うん。聞いたことないなぁ」
タオは悪気なく答える。無遠慮な質問攻めも、タオには悪意がないのだ。
「そこの福利厚生は知らないが……基君。自分の身体も大事にしろよ。自分が思っている以上に酷いぜ? その目の隈、うちの先生なら秒で消しちゃうな。ハハハハ」
無邪気に笑うタオを見て、世良は困ったような顔で微笑んだ。
何故そんな顔をしたのか、タオはこの時わからなかった。
けれども、哀愁漂う一人のちっぽけな男の存在を、タオが忘れることはなかった。
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