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無声凱歌  作者: 十田 實
◆ 第3章 ◆ 愛と破滅
35/87

‐ 第35話 ‐ 愛憎、罪と罰

<R15> 15歳未満の方は移動してください。

この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。

 私の身体は床に臥せた老人と同じだ。苦しみ眠りにつく日もあれば、何も感じずそのまま眠る日もある。また、眠らない日もある。


 今日だけは違った。目を閉じてはいるが眠っておらず、夢見心地だった。あの子の声が聞けたからだ。声だけでわかる。あの子はとても大きくなった。この幸福を噛み締めたままあの世へ逝ってしまっても構わないと思ったが、まだ死ねない。あの子と宇智田さんが迫害されず、ありのままに生きていける世を作らなければ。


 私は誰よりも丈夫な子を産んだが、そのせいであの子は傷つき過ぎてしまった。宇智田さんには同じ思いをしてほしくない。


 一つの銃声が聞こえる。

 死にかけの身体でも、耳は昔と変わらず良かった。幸福は長続きしない。そういう運命だとでもいうのか。


 奴等がまたあの子を奪いに来たのか。なんて貪欲で罪深い者たちなのだろう。どうか凱を連れて逃げてほしい。自分の守りたいものを他者に託すことしかできない私もまた、罪深い人間なのだ。


 私の云う事を聞けない生徒の足音が、聞こえてくる。


(ワン)先生! 大鳳教からの襲撃です! 直ぐに脱出しましょう!」


「……こういった事態の時は、あの子と宇智田さんの保護を優先するよう、あなたにも言いましたよ……」


「そんなことできません!」


 彼は私の云うことに聞く耳など持たず、器具だらけの車椅子を用意した。問答無用で私の体を抱きかかえ、それに座らせた。ベッドに置かれたクマノミのキーホルダーを手放したくなかったが、彼は気にも留めず、車椅子を押して部屋を出た。


「待ちなさい」


「医者ならば命の優先順位を考えなさいと言うのでしょう? だからそうしてるんです!」


「待ちなさい」


 同じ言葉を二度云ったところで彼は止まった。私が怒っていると感じたのだろう。


「あの銃声は、あなたの銃ですね?」


「はい。敵が侵入してきたので、僕が撃ちました」


「敵の足音が聞こえません」


「一人で侵入してきたようですので」


「それにしては上が騒がしいですね」


「上からも襲撃を受けています。早く脱出しましょう」


「いいえ……しませんよ」


「何故ですか! 先生は何が言いたいんですか!」


「世良君、私はあなたが思うよりずっと耳が良いんです。私が何を言いたいのか、あなたはもうわかるでしょう……」


 彼は静かになり、ゆっくりと私の正面に回った。

 寂しそうな、子どもの顔のままだ。


「もう何度も言っていますが、僕は先生のことが好きです。ですから先生に嘘を吐きたくはありません」


 伝えてくれる度に困るその言葉を、彼はこれまでの中で一番堂々と言い放った。


「……大鳳教の者から、(ワン)先生の命を救うのと引き換えに、凱君のいる場所を教えるよう持ち掛けられました」


 後ろの方で瓦礫の崩れる大きな音がした。けれども私は彼の言葉を一言一句聞き逃さなかった。


 彼もまた、罪人だった。私はそれを知っていたが、彼をどうすることもしなかった。ここで唯一の医者だからか、元教え子だからかは、わからない。


「……自分でこう云うのもなんですが、それは私のことを愛しているから、でしょうか?」


「そうですよ。絶望するほど悔しくて堪りませんが、もう僕の力では先生を救うことができません。でも大鳳教の、僕の知り合いの医師ならば、先生を助けることができるんです! 凱君の研究が進んだんです! 勿論凱君だって大事です。でもあの子が死ぬことはない! 先生はこのままだと……死んで、しまう……。愛する人の命と、愛する人の子どもの亡くならない命なら、僕は先生を救いたい……」


 彼は涙ながらに訴えた。長い間苦しんでいたに違いない。私によって。


 だが、しかし


「しかし、それは愛とは言いません。はっきり言いましょう。それは暴力と言っていい。それも一方的な」


 彼はピタリと涙を止めた。こんなことを云われて、傷ついただろう。唯でさえ苦しんでいたのに。酷い人だと思うだろう。

 しかし私にとってそれは、全く構わないことだ。


「先生はっ……何故そうだと言い切れるんですか? 僕をそうまでさせたのは愛に他ならないとは、思わないんですか? ふふ……一方的な暴力だと言いましたね……。なら、僕の思いを知っていて何もしなかった先生の行為は、暴力ではないのですか? 愛する人の傍にいられる僕を、幸せ者だとでも思っていたのですか? えぇそうですよ! 幸福でしたよ! でも同時に! 日に日に弱っていく先生に絶望を感じて、僕は今日まで生きてきましたよ!」


 激高する彼の姿は初めてだ。


「……あなたの気持ちは、よくわかりました……。長い間申し訳ないことをしましたね。そう言われると、確かに私もあなたに暴力を奮っていたと言えますね……。ですが、先程言った言葉を訂正します。あなたのは、暴力ではなく、犯罪でした」


 彼は眉をピクリと動かした。それは彼自身に心当たりがあることを示している。


「私の夫を殺す必要は、ありましたか?」


「……殺してはいません。たまたま、管の一つが外れていただけで……」


「同じことです。私の管だったら、あなたは気づいていますよね……? 気づいていて、あの人を放置したんですよね」


「何故先生にそんなことがわかるんですか!」


「私もあの頃は今より動けましたから……。それに、あの人は約束を守る人なんですよ」


「…………何ですか。約束って」


「息子を取り戻すまで互いに生きていること。あの人が初めて破った約束です。正しくは……あなたに破らされた約束です」


 彼は私の言葉に立っていられなくなり、その場に跪いた。

 大鳳教は私と彼のいる場所を把握しているのか、その場の天井はなかなか崩れなかった。だが徐々に、後方は瓦礫で埋もれていっている。あの子の居場所を教える代わりに私の命を救うというのも、大鳳教のその場しのぎかもしれない。それでも彼はそれに縋るほど、苦しんでいたのだ。


「じゃあ、もうずっと、先生は僕のことが嫌いだったってことだ。こんなことなら……」


 こんなことなら。


「先生に出会わなければよかったです……」


 自分で肩を抱き、咽び泣く可哀想な子だ。

 私は軽く息を吐いた。


「しかし、出会いは偶然ですからね。私はあなたと出会えて良かったですよ。あなたはとても優しくて、仲間思いの良い生徒でした……。覚えていますか? 最後の部活の日……。三年生が歌いたい歌を歌って、終わったあの日です。あなたは『平和の鐘』を歌いたいと言って、皆で歌いましたね……。あの歌、私も好きなんです。歌詞も、心に響く良い歌詞です……。世良君、私の後ろを見てください」


 顔を上げ、彼は私の後ろにある瓦礫の山を見た。


「あの歌を好きと言ったあなたが、やったこととは思えませんね……。ポケットに入ったそれも、あなたは持つべきではなかった」


 私は銃を渡すよう彼に手を差し出した。

 彼は黙ってゆっくりと、私に銃を渡した。彼ならそうしてくれるとわかっていた。


「先生は、そんなこと覚えてくれていたんですね。あの頃、僕なんかのことは眼中にないと思っていました」


「……私は、周りの先生や生徒から淡白な教師と思われがちでしたが、自分ではそう思いません。平等に目を配っていたつもりです。あなたたち三年生が卒業すると同時に、私も寿退社することになりました。部員の殆どはそれを喜んでくれました。結婚するという意味と、一緒に卒業できるという意味で。……しかしあなただけは浮かない顔をしていたのを、よく覚えています。何故だろうと思いました。その時からですかね……あなたが生徒の中で、特別に見えたのは……」


「……え?」


「あなたは覚えていないかもしれませんが、私は生徒の進路に口出ししないタイプの教師だったんです。そういうところが淡白に思われたのかもしれませんが……」


 彼の絶望した暗い瞳に、僅かに光が宿った。


「……覚えてるに、決まってるじゃないですか……。医学部に進学しようとしていた僕を、(ワン)先生は勿体ないって言ったんです。医学部に行くのが勿体ないって、どういうことだと思いました。(ワン)先生以外の大人たちは大賛成でしたし。……歌が上手いんだから音大に行けって言う先生は、先生だけでしたよ……」


 嘘でない特別を、最期に捧げる。もっと早くに捧げていたのなら、何か違っていただろうか……。


「……奥に、脱出通路があるんです。そこだけは破壊しないよう彼等に頼みました……。まだ間に合うと思います。先生にはどうしても生きていてほしい。それで僕は……漸く報われます」


 特別を捧げても尚、彼は私に生きることを望む。


 よく見てほしい。私の身体を。継ぎ接ぎだらけの呼吸も覚束ない、死にかけの身体を。

 よく見てほしい。教え子を苦しませ、我が子を危険に晒し、他人を陥れ利用する、穢れた心を。

 醜悪だ。彼やケイトが思うような人間ではない。もう救われるべき人間ではない。


 嘗て、歌声で観客を沸かせた私はもういない。

 若人を歌で導き教鞭を執っていた私はもういない。

 息子の髪を撫で、物語を読み聞かせる私はもういない。


 今の私は


「……車椅子をあそこまで押す力もありませんし、私は最初から、死ぬ覚悟でRMSを作りました。夫と約束したものの、生きてあの子に会えるなんておこがましいこと、考えたことはありません。……RMSのために命を張ってくれた人達がいるのです。……それから、厳しいことを言いますが、私はあなたに生きてくれとは言いませんし、思いません。仮に私が生きてそれで報われることも許されません。……人を殺めたのですから、あなたも死んでください」


 彼の銃を、彼の額に向ける。

 彼は銃口を静かに両手で掴み、そのまま自分の心臓へと動かした。


(ワン)先生の特別で良かったです」


「……すぐに逝きますよ。世良君」


 彼の長い苦しみの中で、私が彼のために唯一してあげられたことは、たったこれだけだった。

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