表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無声凱歌  作者: 十田 實
◆ 第1章 ◆ 2075年
3/87

‐ 第3話 ‐ 尾澤という男

<R15> 15歳未満の方は移動してください。

この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。

 会社に到着し、車のエンジンを切る。ここ数年間で随分と電気自動車が増え、ガソリン車が消えたと、駐車場に並んである車を見て思う。あたしの車は走行距離十万キロを超えた。そろそろ乗り換えなくてはいけないだろうか。


 どんな車がいいかと、参考に従業員の車を眺めていると、静かすぎる音で一台の高級車が入ってきた。

 運転席には、自動運転に頼って眠そうに腕を組んだ尾澤が乗っている。

 意外だった。自分の外見に関心がない尾澤には、不釣り合いだと感じた。その印象から高級車が買える金持ちとも思えなかった。


 そうこうしていると、車を停め終えた尾澤が歩いてきた。


「おはようございます」


「……ざす」


 辛うじて返事は返ってきたが、それが朝の挨拶とはとても思えない。部署が同じだと向かう道のりも同じで気まずい。かといって、いつまでも人の車を眺めているのも怪しい。


 話のネタができたことを頼りに、あたしは思い切って会話に踏み切った。


「車、格好良いですね。好きなんですか?」


「…………別に。電気ならなんでもよかったから、なんとなく」


 なんとなくで高級車が買えたものかと、眉が引き釣りそうになったが一呼吸置いた。


「へぇ~。あたしもそろそろ電気に乗り換えようかと思ってて」


「……あぁ、煩いもんね。宇智田さんの車のエンジン音」


 目にかかる鬱陶しい前髪の隙間から、尾澤の疎ましそうな顔が見えた。

 それ程あたしの車のエンジン音が煩いのか、この会話自体が煩わしいのか、両方なのか。

 不愛想なだけで、きっと悪い人ではないのだと思い込み、話し掛けた三十秒前のあたしを哀れに思う。

 あたしは意地でも、まだ乗り換えない決意をした。



 単調な仕事なので、慣れるのは早かった。自分に与えられた分の仕事を無事に終え、時計は十八時を指そうとしていた。


「腰野さん。あたし終わっちゃったんですけど、何かできることありますか?」


「もう終わったの~。早いじゃな~い」


 腰野さんは品質管理部のリーダーだ。気の良い人で何かとよく褒めてくれる。背がとても低くて、おじさんなのに何だか可愛らしい。


「そうだなぁ。今日も尾澤君が残業するだろうから、手伝ってきてくれるかな? 隣の部屋にいると思うんだけど」


「……あぁ、尾澤さんですね。わかりました」


「あれ? ひょっとして、何かあった?」


 尾澤という名を耳にしただけで、あたしはぎこちない態度を取ってしまっていたのだろう。腰野さんはキーボードを叩く手を止めて、心配そうな顔をあたし向けた。


「いや、特に何かあったわけではないんですけど」


「あ~、さては苦手でしょ? 彼のこと」


「え? えへっ……まぁ」


 腰野さんの人の良さに、あたしはつい本音を出してしまった。


「ちょっと難しい子だからね。でもまぁ……彼にもいろいろあるのよ」


「いろいろ?」


「うん。宇智田さんは入ったばかりだから知らないだろうけど、彼、うちの社長の息子なんだよ」


「えぇ! あっ苗字!」


 つい大きな声が出てしまった。

 腰野さんは人差し指を立て、静かにするよう促した。十七時で仕事を終える従業員もいて半数は帰ったが、部屋にはあたしと腰野さん以外に数人残っていた。


 うちの社長といえば、尾澤(ひろし)社長だ。東京本社の研修に行った時、たまたま社長がいて挨拶したのを覚えている。取締役社長という堅苦しさを感じさせない、温厚そうな人物だった。

 

 ここにいる尾澤とは似ても似つかない。

 社長の息子だから、あの高級車? 何故本社ではなく京都工場に? 

 湧いてくる疑問を腰野さんは全て悟り、ほんの少し周りを見渡したあと、小声で教えてくれた。


「彼、尾澤(けい)君ね。社長の元妻との間の子なんだよ。本社にいる尾澤(そう)君は今の奥さんとの間の子で、つまり慧君とは腹違いの兄弟なんだけど、颯君が次期社長なんだよ。慧君も最初は勿論本社にいたし、長男だから自分が次期社長だと思っていたんだろう。ところが正式に次期社長は颯君だと発表されたものだから、その時の慧君の心中は察するよ……。会社を辞めるのかと思ったら、どういうわけかこんなところに異動してきてね。ずっとあの調子ってわけなんだ」


 注意できない理由はこれだったのか。ママの云っていた通り、理由はあったのだ。

 社長の息子を叱るのには誰しも勇気がいるし、確かに、今腰野さんに聞いた話は同情もする。


「その颯君がね、また名前の通り爽やかでできた人らしくてね~」


 腰野さんの声は普通の大きさに戻っていた。周りを気にすることなどもう忘れている。

 あたしはここにいない尾澤颯の話よりも、尾澤慧の話をもう少し聞きたかった。




 隣の部屋に入ると、尾澤は一人黙々と作業をしていた。腰野さんの話を聞いた直後だからだろうか、尾澤の背中が、一人のちっぽけな人間に見えた。


「何か、手伝えます?」


 どうせまた、「別に」と返事が返ってくるのだろうと思いながら、横に立って訊ねてみた。半分は帰る気持ちでいた。


「………………じゃあ、地下三階から取ってきてほしい物があるんですけど」


 予想していた返事と違い、あたしは一瞬戸惑った。尾澤も人を頼ることがあるのだと、当たり前のことを知った。


「地下三階なんて、行ったことないんですけど」


「大丈夫です。行けばわかるから。地下三階まで下りて突き当りの部屋に入ったら、円柱型の冷凍庫があるから、その中の物を取ってきてほしいんです」


「はぁ……」


「これ、部屋の鍵です。あともう消灯してるから、この懐中電灯を使ってください」


 尾澤は引き出しの中から鍵と懐中電灯を取り出し、私に渡した。

 この時初めて、尾澤の顔をちゃんと見たかもしれない。

 よく見れば整った顔をしている。勿体無い奴だなと思った。


「……何ですか」


 顔を見つめすぎた。尾澤の顔には「さっさと行ってこい」と書いてあった。




 尾澤が云っていた通り地下は消灯している。三メートル程の間隔で廊下の壁に照明が設置されてはいるが、一人で歩くのには気味が悪い。照明の放つ光が青色というのが、余計に不気味さを際立たせている。あたしは女だとか男だとかを気にしないし、気にするのはママ譲りで嫌いなのだが、「か弱い女の子」なら、一人では来られないだろうと思った。

 それほどにこの工場の夜は、恐怖心を掻き立てるものがあった。




 地下二階まで来た。冷気が漏れている製品でもあるのか、寒さを感じる。単に気味悪さがそうさせているだけかもしれない。


 この時間はエレベーターが使えず、長い階段を下りるしかない。幸い階段にも廊下と同様に照明が設置されているので、尾澤に渡された懐中電灯はまだ必要なさそうだった。


 一段一段、階段を下りていると、尾澤の顔が頭に浮かんできた。

 尾澤はどうして会社を辞めなかったのだろう。

 社長の息子というのは、どんな気持ちなのだろう。

 弟に次期社長の座を奪われた気持ちは……?

 想像しようにも、あたしとは境遇が違い過ぎて、上手く想像できなかった。


 しかしながら、尾澤に持たされた懐中電灯は、妙な形をしている。持ち手は細いのに、レンズがやけに大きい。ライトなんて腕時計のライト機能以外使ったことがなかった。生憎、工場内では腕時計を外すのが規則となっている。


 意味などなく、あたしは試しに懐中電灯のスイッチを押してみた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ