‐ 第26話 ‐ 紅茶の効能と副作用
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この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。
〈〉内はロシア語を表してします。
《》内は手話を表しています。
返済期限を延ばしてやると云うと、女は喜んでいた。以前に比べ女の腹は少し膨らんでいた。
〈これやるよ。紅茶貰ったから〉
〈……何これ? 変な薬じゃないわよね?〉
〈なんでだよ! 葉酸サプリだ!〉
そう云って怒ると女は、「あ~」とわかったような顔をした。
〈男の子なのによく知ってるね。ありがとう。紅茶どうだった? 妹さん喜んでた?〉
〈常識だろ……。紅茶は……知らない。あんまり喋ってないんだ〉
〈あらどうして? 喧嘩してるの?〉
女は今日もよく喋った。こんなところに住んでいるから、喋れる身近な相手もいないのだろう。
〈喧嘩もするさ。でもそのうち、いつの間にか元に戻るんだ。それでまた喧嘩する。繰り返しさ、兄妹なんてそんなもんだろ〉
〈へぇ~そうなの。私兄妹っていないからわからないわ。だから羨ましい。この子が産まれたら、それも味わえるのかしら〉
〈兄妹と親子はまた違う……〉
先の思いやられる女だ。
女には、女の産みたい理由があるのだろう。
いつの間にか、私情を持ち込んではいけないと自分に言い聞かせてから、この女の元を訪れるようになっていた。だから女の家には長居せず、直ぐに帰るよう心掛けていた。
〈早く仲直りしてね〉
そう云ってから、女はドアを閉めた。
女にはあぁ云ったが、本当のところ、今回の喧嘩は長かった。ミラは変わらず家事をしてくれるが、最低限の会話しか交わさず、不穏な空気が流れていた。その空気が嫌なのか、俺が帰る頃にミラはだいたい眠っていた。或いは眠ったふりをしていた。
だが、今日は起きていた。それに机には二人分の食事が並べてある。
俺は忘れないうちに、先に靴下を洗濯機に放り込んだ。
《紅茶ありがとう。美味しかった。あれどうしたの?》
〈あぁ……会社の、取引先の人に貰ったんだ〉
《そうなの》
〈あぁ〉
《…………ごめんね》
また先に謝られてしまった。
いつもそうだ。俺が先に謝らない理由は至って簡単で、くだらないものだった。
面映ゆい気持ちに、打ち勝てなかった。
〈いや、俺が悪かったよ〉
そうしてポーカーフェイスを気取るのが精一杯だった。
そして、もうそれではダメだと、気づいてきた頃だった。
〈俺さ、一杯金稼ぎたくて、頑張ってるだけなんだ。大丈夫だから、信じてくれ。それから金が溜まったら、一番にお前の手術をしたいと思ってる。もう少しで溜まりそうなんだ。そしたら次にお前の腕時計を買って、その次に……一度故郷に帰ってみよう。最後のは、いつになるかわからないけど……〉
俺はミラの目を見て話すことができず、先に食事に手をつけた。暫く経ってもミラが何も云わないので顔を上げると、ミラは涙を堪えていた。
《ごめんね。私がいるからだね。タラス一人なら、もっと違っていただろうね……》
〈違う。俺が勝手にお前を連れてきて、俺が好きにやってるだけなんだ〉
ミラはぐずぐずと鼻を啜った。
〈……仕方ねぇな。俺が紅茶入れてやる〉
こういう空気に俺は耐えられない。ミラの泣き顔を見る前に、茶葉を取りに食卓を立った。
《タラスも飲んでみたらいいわ。美味しいから》
ミラに勧められ、仕方なく自分のカップにも紅茶を注いだ。
ふと、机の端に置いてあるメモが目に入った。ミラの字ではなかった。
《今日タラスの職場の人が来たの。私の耳が聞こえないと思って、最初筆談してくれたの》
自分の方にメモを向けて見ると、癖のある字は三枝木の書いたものだとわかった。
〈お前何か変なことされなかったか!〉
《は? されるわけないじゃない。良い人だったわよ。ごめんね? 危ない仕事だとか云って》
ミラは食事を続けた。三枝木と初対面だからそんなことが云えるのだ。俺もそうだった。
〈……何しに来たんだ?〉
《別に? 仕事で近くを通ったから挨拶だって。タラスのことすごく褒めてたよ》
三枝木のただの気まぐれであることを願ったと同時に、二度と来るなと願った。
《あのさ、ちょっとだけ我儘があるんだけど》
ミラは改まって話した。
《今度公開される映画があるんだけどさ、観に行きたいんだけど》
〈あぁ、いいじゃん。誰と?〉
ミラは俺を指差した。
〈俺?〉
《当たり前じゃない。ほかに行く人いないもの。行ける?》
映画を観るなんていつぶりだろうか。そんな風にゆったりと過ごすことすら、日本に来てからなかったかもしれない。
〈……レイトショーだな〉
ミラはとても嬉しそうにした。
最初からミラの言う通り、一人で決めず、相談したらよかったのかもしれない。
話すだけでこんなにも違うのだから。




