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無声凱歌  作者: 十田 實
◆ 第2章 ◆ RMS
26/87

‐ 第26話 ‐ 紅茶の効能と副作用

<R15> 15歳未満の方は移動してください。

この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。


〈〉内はロシア語を表してします。

《》内は手話を表しています。

 返済期限を延ばしてやると云うと、女は喜んでいた。以前に比べ女の腹は少し膨らんでいた。


〈これやるよ。紅茶貰ったから〉


〈……何これ? 変な薬じゃないわよね?〉


〈なんでだよ! 葉酸サプリだ!〉


 そう云って怒ると女は、「あ~」とわかったような顔をした。


〈男の子なのによく知ってるね。ありがとう。紅茶どうだった? 妹さん喜んでた?〉


〈常識だろ……。紅茶は……知らない。あんまり喋ってないんだ〉


〈あらどうして? 喧嘩してるの?〉


 女は今日もよく喋った。こんなところに住んでいるから、喋れる身近な相手もいないのだろう。


〈喧嘩もするさ。でもそのうち、いつの間にか元に戻るんだ。それでまた喧嘩する。繰り返しさ、兄妹なんてそんなもんだろ〉


〈へぇ~そうなの。私兄妹っていないからわからないわ。だから羨ましい。この子が産まれたら、それも味わえるのかしら〉


〈兄妹と親子はまた違う……〉


 先の思いやられる女だ。

 女には、女の産みたい理由があるのだろう。


 いつの間にか、私情を持ち込んではいけないと自分に言い聞かせてから、この女の元を訪れるようになっていた。だから女の家には長居せず、直ぐに帰るよう心掛けていた。


〈早く仲直りしてね〉


 そう云ってから、女はドアを閉めた。


 女にはあぁ云ったが、本当のところ、今回の喧嘩は長かった。ミラは変わらず家事をしてくれるが、最低限の会話しか交わさず、不穏な空気が流れていた。その空気が嫌なのか、俺が帰る頃にミラはだいたい眠っていた。或いは眠ったふりをしていた。


 だが、今日は起きていた。それに机には二人分の食事が並べてある。

 俺は忘れないうちに、先に靴下を洗濯機に放り込んだ。


《紅茶ありがとう。美味しかった。あれどうしたの?》


〈あぁ……会社の、取引先の人に貰ったんだ〉


《そうなの》


〈あぁ〉


《…………ごめんね》


 また先に謝られてしまった。

 いつもそうだ。俺が先に謝らない理由は至って簡単で、くだらないものだった。

 面映ゆい気持ちに、打ち勝てなかった。


〈いや、俺が悪かったよ〉


 そうしてポーカーフェイスを気取るのが精一杯だった。

 そして、もうそれではダメだと、気づいてきた頃だった。


〈俺さ、一杯金稼ぎたくて、頑張ってるだけなんだ。大丈夫だから、信じてくれ。それから金が溜まったら、一番にお前の手術をしたいと思ってる。もう少しで溜まりそうなんだ。そしたら次にお前の腕時計を買って、その次に……一度故郷に帰ってみよう。最後のは、いつになるかわからないけど……〉


 俺はミラの目を見て話すことができず、先に食事に手をつけた。暫く経ってもミラが何も云わないので顔を上げると、ミラは涙を堪えていた。


《ごめんね。私がいるからだね。タラス一人なら、もっと違っていただろうね……》


〈違う。俺が勝手にお前を連れてきて、俺が好きにやってるだけなんだ〉


 ミラはぐずぐずと鼻を啜った。


〈……仕方ねぇな。俺が紅茶入れてやる〉


 こういう空気に俺は耐えられない。ミラの泣き顔を見る前に、茶葉を取りに食卓を立った。


《タラスも飲んでみたらいいわ。美味しいから》


 ミラに勧められ、仕方なく自分のカップにも紅茶を注いだ。

 ふと、机の端に置いてあるメモが目に入った。ミラの字ではなかった。


《今日タラスの職場の人が来たの。私の耳が聞こえないと思って、最初筆談してくれたの》


 自分の方にメモを向けて見ると、癖のある字は三枝木の書いたものだとわかった。


〈お前何か変なことされなかったか!〉


《は? されるわけないじゃない。良い人だったわよ。ごめんね? 危ない仕事だとか云って》


 ミラは食事を続けた。三枝木と初対面だからそんなことが云えるのだ。俺もそうだった。


〈……何しに来たんだ?〉


《別に? 仕事で近くを通ったから挨拶だって。タラスのことすごく褒めてたよ》


 三枝木のただの気まぐれであることを願ったと同時に、二度と来るなと願った。


《あのさ、ちょっとだけ我儘があるんだけど》


 ミラは改まって話した。


《今度公開される映画があるんだけどさ、観に行きたいんだけど》


〈あぁ、いいじゃん。誰と?〉


 ミラは俺を指差した。


〈俺?〉


《当たり前じゃない。ほかに行く人いないもの。行ける?》


 映画を観るなんていつぶりだろうか。そんな風にゆったりと過ごすことすら、日本に来てからなかったかもしれない。


〈……レイトショーだな〉


 ミラはとても嬉しそうにした。


 最初からミラの言う通り、一人で決めず、相談したらよかったのかもしれない。

 話すだけでこんなにも違うのだから。

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