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無声凱歌  作者: 十田 實
◆ 第2章 ◆ RMS
24/87

‐ 第24話 ‐ 奈落の穴

<R15> 15歳未満の方は移動してください。

この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。

 熱心な信者のふりをする男がいた。RMSに情報を持ち帰るためである。

 信者たちと寝食を共にし、修業漬けの日々を送っていた。


 潜入してから三年が経ち、男は教団内のことを殆ど把握できるようになっていた。三年の月日の間に信者同士の絆ができても、そちら側に引き込まれることは決してなかった。男はプロだった。


 しかし未だに判明できていないことが、一つだけあった。手を伸ばせば届きそうでいて届かず、歯痒い思いを胸に押し殺していた。男はそれを判明させるまで、RMSに戻らないと誓っていた。




 男は信者たちが寝静まった夜、決行に移った。

 総本部から香雲館に忍び込み、停止したエレベーターのロープを攀じ登り、最上階にある展望台の一つ下、ある部屋を目指した。男はその部屋に教祖がいるという情報を、信者から得ていた。


 教祖はいつも黒蛙のマスクを被っており、素顔を見せなかった。

 信者の自分が崇め讃えている教祖は、傭兵の自分が殺したい敵将である。どちらの自分も教祖の素顔を知らない。男はそれが悔しく、RMSが大鳳教の劣勢にある証拠だと思う。一方的な苦痛を与えられ、その黒幕を知らないでいる。自分などよりも、王はさぞ悔しいだろう。

 男は何としても、教祖の素顔をRMSに持ち帰りたかった。


 やっとの思いでその部屋のある階まで辿り着き、息を整えてから慎重に潜入した。部屋は殺風景で、壁際に巨大な蛙が描かれた屏風があるだけ。ここは教祖が眠るだけの寝室。屏風の向こう側に、教祖が眠っているに違いない。


 男は忍び足で屛風に近づき、顔を覗かせてどきりとする。

 楕円の黒い瞳と目が合い、思わず動きを止めた。


 一瞬、教祖が起きていると錯覚する。

 違う。教祖はマスクを被ったまま眠っているのだけなのだ。

 なんとも滑稽で、それでいて悍ましい。


 よく眠っている。それが理由にマスクの下からは寝息が聞こえてくる。更に云えば、男は教祖の食事に睡眠薬を混ぜていた。眠っていないはずがない。


 素顔を見るにはマスクを外さなければならないが、男は躊躇った。眠っていないはずがないのに、起きるはずがないのに、蛙の目が訴えかけてくる。


 ――マスクに触れてはならない――

 

 男は間違いなく危険を感じ取った。勘のようなものだが、男は自分の勘に自信があった。

 だが今回は引けない。何故ならもう、そこに、顔がある。今も寝息を立てている。止むことをまるで知らない。この音が聞こえる限り、問題は、ない。


 ゆっくりと蛙の頭の方持ち、マスクを上にずらした。

 教祖の口元が見えた。そして鼻先が見えた。


 寝息はまだ続いている。

 とうとう教祖の目が見えると唾を飲んだその時、――――遅かった。


 しっかりと開かれた両目は男を捉えていた。


 瞬時に男が攻撃するよりも早く、教祖は男の腕を掴み、捩じ上げた。

 教祖の寝息は演技だった。


 男は必死に抵抗するも、教祖の力は恐ろしく強く、振りほどくことは叶わない。

 そのまま教祖は男を部屋の中央まで引き釣り、思い切り床に投げつけた。傭兵である自分よりも腕力が上回っていることに、男は混乱した。男が見た教祖の外見からして、それは明らかに不釣り合いだった。


「あぁ、よく眠っていたのに……」


 教祖は酷く残念そうに云った。


「……嘘は、結構です。見事な寝息でした」


「いやいや、嘘ではありませんよ。マスクに触れられるまでは気づいていませんでしたから。これを被ったまま眠るとね、良い夢が見られるんですよ」


 教祖は床に落ちたマスクを拾い上げ、腕に被せた。損傷がないか大事そうに視認している。

 袖から除く教祖の腕は筋骨隆々だった。自分が簡単に床に投げつけられたのも、あの腕なら納得できる。よく観察すれば、首筋も太く若々しい。


 だが、そこに乗っている顔は老いている。その顔を男は知っていた。しかしその逞しい体は知らない。普段は白く細腕だったはずだ。唯一、声だけが教祖のものだった。

 あべこべの何かと対峙している。


「アンソニー君と美鈴君の研究は、こういうこともできるんだよ」


 男の思考は教祖に見抜かれていた。

 教祖の喉仏の位置が僅かに下がり、男の知る顔の声になった。浮き出た筋肉は徐々に消え、痩せた腕に留まった。漸く全て合致したと、男は思った。


「やっぱりあなただったんですね」


 アンソニー・ジェンキンスと奈須川美鈴の名が出たことで、男はある程度理解した。今見ていた教祖は肉体を活性化させていたのだと。重厚感のある声から嗄れた声になったのは、信者の前では喉を活性化させていたのだと。


「やっぱり……あぁ、岩本君は香雲館にも来てくれていましたね。あそこに来てくれることはとても嬉しいことなのに、残念極まりない……。教えてごらん。誰に言われてここへ来たんです?」


 教祖は後ろで手を組み、子ども相手に話すよう男に訊ねた。

 喋るつもりは毛頭ない。

 逃げることも、恐らく叶わない……。


 気が付けば、教祖の体が一回り大きくなっていた。逃走できる可能性を頭で考えている間に変化させたのだろうか。その時間が果たして長かったのか短かったのか、男にはもうわからない。

 教祖の背後に立つ屏風の中の蛙が、教祖の守護神のように見えた。

 不覚にも、敵わないと男は思う。――世も末だ。と鼻で笑った。


 教祖は寝巻の浴衣から懐中時計を取り出し、何かのスイッチを押した。


 何かが起動したのか、小さな振動を感じる。同時に重い扉が開くような音が聞こえてくる。

 よく聞くと、それは男の真下から聞こえてくる。振動と音は徐々に迫り、男を恐怖に導く。男が床に叩きつけられた場所には大きな黒丸が描かれており、男は丁度その中心にいた。男の汗が床に落ちる時、それが大鳳教のシンボルマークであることに、男はやっと気がついた。


 気づいた直後、黒丸は中心で半分に割れた。展望台と変わらぬ高さから、地下五階まで、全てである。

 無論、男は落ちてゆくことしかできない。落ちてゆくにつれ、悲鳴も教祖の耳に届かなくなる。

 それでも教祖は穴の淵に立ち、奈落の底に落ちる男に声を掛けた。


「そこで反省して、生まれ変わるといいです。たとえ命が尽きても、そのまま魂が天に昇れるよう造ってありますから」


 教祖はもう一度懐中時計のスイッチを押した。今度は上から順に、黒丸の扉が閉じられていった。




 男は生きていた。衝撃を和らげるものが、()()にはあったからだ。

 白骨化した者や腐りかけの者、それから、男の腹くらいまで溜められた、大量の墨汁。死体の体液と混ざり合っているのか、粘り気があった。


 腐敗した人間と墨汁の融合する強烈な臭いに、男は吐き気を催した。

 疼く目をなんとか開く。――地獄だ。


 見渡すと、石造りで出来た高い壁に囲まれていることがわかった。そして壁には至るところに突起物が出ている。手で掴めそうなものだった。


(登れるかもしれない)


 男は思い、痛む体を動かし墨汁を搔き分け、壁に手をついた。

 ここにある亡骸は男と同じことを思い、同じことをしたのだろう。壁には真っ黒な手形があちこちに見られた。途中で落下したことがわかる歪な手形は、絶望を物語っていた。


 男は必死に突起物を掴み登ろうとするが、自分が落とされた階から順に、黒丸の扉が閉じられていくのが見えた。

 段々光を失っていく。これでは登ることなどできない。


 終に扉は全て閉じられ、男は完全に光を失った。

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