‐ 第21話 ‐ 夢と現 勇魚
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この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。
「勇魚」
「何? 母さん」
「早く準備なさい」
「準備って何のさ?」
「何って、ここを出て行く準備よ」
「どうして? 僕は父さんとここで暮らすんだよ?」
そう云った瞬間、母さんは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして固まった。
かと思えば次の瞬間、鬼のような形相で僕の読んでいた漫画を取り上げ、床に叩きつけた。
多分、父さんと母さんが離婚する原因は、母さんのこういうところなんじゃないかと僕は思っている。
「なんでそんなこと云うの⁉ よくもそんな酷いことがいえるわね!」
今度は目に涙を浮かべ始めた。零れ落ちるギリギリくらいのだ。短時間でコロコロと感情を変えて、忙しない人だなと思う。
読書を母さんに中断された僕は、苛立ちを覚えながらも冷静に漫画を拾い、机の上に置いてから母さんに向き直った。
「あのね母さん、僕が母さんと出て行ってどうするの。母さんに僕が養えるっていうの? 現実的に無理でしょ」
「そんなことないわっ。母さん勇魚のためなら頑張って働くもん!」
母さんは被せるように早口で云い返した。だが母さんの云っていることが口先だけあることは、九年間共に過ごしてきたことで、嫌と云う程理解していた。
僕の母さんは、そう、ちょっと頭が弱いのだろう。
「無理だね。母さんアバズレだもん。お金も全部自分のために使っちゃうのが目に見えてるよ。そうなったら僕は生きていけない。だから僕は父さんと一緒にいる」
母さんはとうとう大粒の涙を溢して泣き出してしまった。床にべたりと座り込み、少女のようにわんわん泣いている。少女のようなワンピースを着ているので、小柄な母さんはそう見えなくもない。
目の前で泣き喚く母さんを見て、子どもながらに僕は
(うわぁ。僕、この人から産まれたのかぁ……)なんて思った。
母さんは童顔で、その上人に甘えるのが好きだし上手だし、昔はよくモテたらしい。
(母さんに好意を寄せた有象無象の一人が父さんなんだなぁ……)なんてことも思ってしまった。
だが、母さんは自分の思い通りにいかないと、直ぐ癇癪を起こし物に当たり散らす。
(僕の哀れな漫画のように)
母さんは教わらなかったのだろうか。
何でも自分の思い通りにはならないんだよ、と。
人や物に当ってはいけないよ、と。
爺ちゃんや婆ちゃんは、母さんが可愛いあまり叱ることを怠ったのだろうか。
――だから母さんは、こんな子どもみたいな大人になってしまったのだろうか。
母さんは今、息子にまで捨てられて泣いている自分が、可哀想で可愛い、と思っているだろう。
それでいい。この状況でそう思える女の人は、ある意味で強い。一人でも生きていけるしぶとさがある。
「おっ……おんな、の子を、ヒック……」
「え?」
泣きじゃくっていて、母さんが何と云っているのかわからなかった。〝女の子〟と云っただろうか。
「女の子を、うっ、産めばよかった……。女の子ならっ、優しいから、母さんを傷つけるようなそんな酷いこと……うぅ。云わないわっ。あぁ、うわぁぁぁん!」
何を云うかと思えば。
僕は溜め息をついて、母さんを諭すように云った。
「あのね母さん。そんな女の子はいないよ。男の子だろうが女の子だろうが、経済的に考えて父さんに着いて行くよ。それでも母さんに着いて行くって子は頭が悪いよ」
「お前は本当に酷い子! いるもの!」
母さんは声荒げてそう云うと、ぐるりと首を後ろに回し、真っ直ぐ指を差した。
「何処にいるっていうのさ?」
僕には何も見えない。
しかし母さんは変わらず同じ方向を指している。
母さんと同じように、一点を凝らして見てみる。
漸くぼんやりと、人影が浮かび上がった。
〝女の子〟とは云い難い、黒い上着のポケットに手を突っ込んだ、〝女の人〟だった。
…………夢と現実が見事に融合している。昔のことだから、どれがリアルでどれがフィクションか、もう忘れてしまった。全て実際にあったことのようにも思える。だが子どもの俺や母さんの前に宇智田が現れるあたりは、かなりフィクションだ。潜在意識というのは実に不思議である。
目が覚めたらベッドの上、なんてことはなかった。クソガキの顔が目の前にある。
「イサナ。起きたな!」
生意気な子どもめ。大人の下の名を呼び捨てで呼ぶなんて。親の顔が見てみたいと云いたいところだが、いないのだった。ちゃんとした教育も受けていないのだった。
まだ眠気があり、欠伸が出た。やはりベッドでなければ熟睡はできない。夢の内容からしても疲れているのだろう。
「〝イサナ〟ってさ、どんな字書くの?」
凱と一緒に横になって寛いでいる宇智田が訊ねた。
「よく聞かれるよ……。勇ましいに、魚だ」
「へぇ~すごいね。名前に魚が入ってるんだ」
「すげー! かっけー!」
そういえば、凱は魚が好きだと云っていた。
「そりゃ良かった。そんなこと云うのはお前等だけだよ」
大半の人間はそう思わないのを知っている。単純な誉め言葉でも、嘘偽りのない二人の表情は、社会に疲れた俺を少しだけ癒した。
「あと五分で到着だ。少しは休めたか」
前の部屋からデックスが戻ってきた。
「あ、着く前にちょっと聞いておきたいんだけど、一つだけずっと気になってて……」
「なんだ」
「王さんは、被検者の人と何か関係あるの? 他人のためにここまで危険なことができるなんて、誰にでもできることじゃないよね?」
宇智田はやけに王という女に拘っている気がする。派遣会社の担当と顧客というだけの間柄なのに。会話からも親しい印象は特に抱かなかった。
王は電話の声からして、そう歳を取っている印象はなかった。その女がこの謎めいた組織のトップというのも、奇妙な感じがする。王に直接会ってはいないが、デックスが社長だと云われた方がしっくりくる。
「さぁな。俺にはわからない。王の個人的なことだ」
宇智田は頬杖をついて不服そうにした。
尾澤寛の依頼で動いていない今、一体誰の意志で『被検者の保護を行う』に至ったのか。それは社長である王だと考えていいだろう。気になるのは、宇智田がデックスに訊ねたのと変わらないが〝王が何者か〟だ。
俺が眠る前デックスは、
『RMSの殆どは傭兵部隊で構成されている。今は、被検者の保護を目的とした組織だがな。あの人のように……王のように腰は低くないぞ。少なくとも俺はな』
と云った。
自分とは違う人と云いたげだ。デックスとは違う。つまり王は、傭兵ではない。それでも傭兵を従わせるだけの何かがある人物ということだ。あと、何かの病気を患っている。
全く、何が「俺にはわからない」だ。そんな重要なこと知らないわけがあるか。俺が訊ねることでまた銃を向けられても困る上に、こいつからは王に対する忠誠心が窺える。絶対に口を割らないだろう。王本人にも会えないとなると、デックスより頭の柔らかい奴が本部にいるといいのだが…………。
「なぁ……煙草持ってないか?」
彼此どのくらいニコチンを摂取していないだろう。
「禁煙車だ」
「……はぁ~ぁあ…………」
わざとらしい溜め息をつき、俺も宇智田と同じく不服そうにしてやった。
「そんなに吸いたきゃ、本部に着いてから自分で大尉にお願いするんだな」
「大尉ぃ? あんたの上司か?」
「そうだ」
「是非ともそうさせてもらう」
「……もう着いたな」
デックスがそう云った直後、車の速度が徐々に落ちていった。
「島の端ってのは何処のことだよ」
きっと危険な実験ばかりやっている怪しい島に違いない。大鳳教だって怪しいが、こいつらRMSだってまだまだ怪しい。
デックスが車のロックを解除し、手をかざすと自動でドアが開いた。悪い想像を膨らませたまま車から降りる。
風が吹いており、潮の匂いがした。
思わず辺りを見渡すと、水平線が目に飛び込んだ。
そこはデックスと合流した地点の海とは比べ物にならない、美しい海だった。
「ここは淡路島だ」
俺の想像とは裏腹に、綺麗で安全な地にRMSの本部はあった。
木を隠すなら森の中、と云ったところだろうか。




