‐ 第20話 ‐ 奈須川 麗奈
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この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。
〔〕内はポルトガル語を表しています。
私の周りの友人は皆、私を筆頭に自然な顔立ちをしていない。ある程度財力のある家の子ならそれは普通のことで、特に私のママは美容整形外科医だから、処置を施すのは日常のことだった。
高校生活は楽しい。友人たちとは楽しいことしか考えなくていい。だから好きだ。美しい顔の自分と美しい顔の友人たち、加えて若々しい高校生であることが、私たちを無敵に思わせた。
このまま、永遠に高校生のままでいられたらいいのにと思う。
皆もきっとそうだろうと思っていたら、そうではなかった。
「麗奈って進路のことちゃんと考えてんの?」
夢露が云った。夢露はCHANELの白い腕時計から音楽大学のパンフレットを映し出していた。真剣な眼差しで、ゆっくりとページを捲っている。――驚いた。いつの間に夢露はそんなことを考えていたのだろう。
「俺はK大のアイドルコース。歌もダンスもやってるけど、もっと本格的に目指すんだ」
聞かれていない隣のジオが答えた。私は二人に戸惑いを隠せなかった。
「それってさ、二人とももしかして、自分がやりたいことなの?」
二人は顔を見合わせた。それから声を合わせて、「当たり前じゃん?」と云った。
おかしいのは私の方らしい。さっきまでくだらないことで笑い合っていた二人が、急に大人びて見える。
「麗奈は決めてないの?」
「……一応、ある。でも決められてるだけで、私のしたいことじゃない気がするっていうかさ」
進路のことがからきし頭に無かったわけではない。永遠の高校生なんて馬鹿げた妄想が現実になるなんてことはありえない。深く理解しているからこそ、深く欲してしまうのだ。
「もしかしてあれか? 医学部行っておばさんのクリニック継ぐのか?」
私は黙って頷いた。
最近のママときたら、顔を合わせて数分後には「何処の医学部か決めたわけ?」と、口癖のように聞いてくる。嫌でも私の頭には『進路』と『医学部』の単語が刻まれる。云われる度深く刻まれるもので、それに伴い現実からかけ離れた妄想に耽る。二つの単語は私にとってもはや呪いだ。
「なるほど。将来を親に決められてるから、高校生の今を思いきり楽しんでしまっている間に、本当のやりたいことを見つけられないまま期限が迫ってしまったパターンね」
二人とも、特に夢露は私のことを理解している。夢露の云う通り、私が一番問題を抱えているのはそこなのだ。――やりたいことがない。ママに抵抗したい自分がいるのに、明確な理由が見つからない。
最も、医学部に行かない確固たる理由があったとしても、ママは娘である私の意見に聞く耳など持たないだろう。そういう母親なのだ。
「でもそれ、あたしたちにはどうにもできないわね。やりたいことは自分で見つけなきゃ」
きっぱりと云われてしまった。理解者の夢露は私を甘やかすことはしない。云っていることも尤もだ。
「麗奈は総合的に恵まれてるし、何でもできそうだけどね。意外と勉強もできるし」
夢露は続けて云うが、「意外と」は余計だろう。
「まぁ、勉強しつつ、ギリギリまで何がやりたいか考えてみたらいんじゃね?」
結局私は、最後に云ったジオの言葉に落ち着いた。
そもそも私は、やりたいことの見つけ方すらわからない。医師とは人の命を救う、人のためになる最大限の素晴らしい職業だとは思う。ママの仕事も直接命を救うことには繋がらなくても、多くの人の自信に繋がる仕事で、生まれ変わった患者のあんな笑顔を見たら、やりがいがあるだろうなと思う。
でも私は、自分とその周りの近しい人間にしか興味がない。その他大勢は他人だし、その人が良い人とは限らない。どうなろうが知ったことではないし、心底どうでもいい。私の関心は、私の中の世界にいる人間だけで完結している。
これだけは思う。
こんな思想を持つ私が医者を目指すなど、あってはならない。
――……ふと顔を上げると、目の前に先生が立っていた。
相変わらず優しく微笑んでいる。私が集中していないことをわかっているのだろう。
それでも先生は私に何も云わず、他の生徒の様子を見に行ってしまった。
(今日も良い字が書けなくてごめんね。先生)
心の内で軽く謝り、清書を提出した。草書体で、孟浩然の『春眠不覚暁』と書いたそれは、先生のお手本とは程遠く下手くそだ。それでも最後に一枚、ましなもの選んで提出しなければならない。
先生はいつもその場で清書をチェックし、何かしらのコメントをくれる。
「……いろいろなことを思いながら書きますよね。無心で書くのが良いと云う人もいますが、それは人それぞれ……。私もそうしたり、そうしなかったりです。散歩なんかもそうですよ。おすすめです」
先生はそれだけ云って、清書を新聞紙に挟んだ。
何故突然、散歩が出てくるのだろう。
何だかわかったような、よくわからなかった。
夢露とジオと進路の話をしてから、それぞれが将来を真剣に意識するようになったのか、三人で一緒に帰ることが少なくなった。以前までなら遊んでいた時間を、二人は勉強に当てているのだ。一方私は遊ぶでもなく、勉強に打ち込むでもなく、家までの道のりを小さい歩幅で亀のように歩く。
このままではもう家に着いてしまう。私はどうにも嫌だった。
どうしようかと考えた時、ふと先生の言葉を思い出した。
――散歩なんかもそうですよ。おすすめです――
散歩なんて、先生がおじいさんだからするものだと思っていたが、私は電車に乗らず、歩いて帰ってみることにした。
歩き始めて四十分程経っただろうか。最初こそいつもと違う景色が見えて、案外一人で散歩してみるのも悪くないと思ったが、今は電車に乗ればよかったと後悔している。夕暮れの空は瞬く間に暗くなり、次の駅まで歩くのにはまだまだ道のりがある。日頃運動をしていない私の足が棒になるのは早かった。
連絡をすれば、迎えに来てくれる人はいる。タクシーだって呼び止められる。
でもそうはしない。黙々と歩き続けている内に、私は自分の足で帰りたくなっていた。
ここまで歩いたのだ。ここで誰かに助けを求めていては、私はいつまでも経ってもダメだ。一人で歩いて帰ることができたら、何かを成し遂げる力が自分にあると、思いたいのかもしれない。
ただ歩いて帰るという、至極簡単なことにしがみつく。負けて堪るかと、鉛のような足で歩みを進める。
駅を通り越し、二時間程無心で歩き続けている時だった。
自販機の前に、小さな女の子がしゃがみ込んでいるのが見えた。
外はもうこんなに暗いというのに。迷子だろうか?
そう思った時だった。
暗闇から大きな警官が現れた。自販機の明かりの中に足を踏み入れた形で突然現れたので、驚いたのか、女の子の体が小さく弾んだ。
警官は女の子の前に屈み、何か話している。そして女の子の話す言葉に、警官は首を傾げている。
その雰囲気で、もしかすると、私ならわかるかもしれないと思った。
私は二人の元に駆け寄り、女の子の言葉に耳を傾けた。それはポルトガル語だった。
〔あなた、迷子なの?〕
〔うん。わかんなくなっちゃった〕
迷子の子どもはもっと取り乱してもいいものだが、この子はとても落ち着いていた。
〔そうなの。お家の住所とか、名前とか、何かわかる?〕
〔フォスターだよ〕
〔フォスター? フォスターがあなたの名前?〕
〔違う。皆の名前〕
皆の名前とはどういうことだろう。ファミリーネームだろうか。
「あのう、恐らくこの近くのフォスター孤児院のことじゃないかと思います」
警官が口を挟んだ。
警官が云ったように、合っているか女の子に聞いてみる。
〔うん。そうだよ〕
時計で地図を出し確認してみると、フォスター孤児院は本当に直ぐ近くだった。受け答えはしっかりしているが、四歳程の外国の子となれば、迷子になるのも無理はない。
「やっぱりフォスター孤児院の子みたいです。私帰り道なんで、良かったらこの子このまま送って行きます」
「あ、そう……ですか。それは助かります」
警官は少し迷ったように見えたが、女の子を私に託した。良いことをしたつもりでいたが、通りすがりの高校生の私がこの子を送り届けるなんて、おかしかっただろうか。でも女の子はいつの間にか繋いできた私の手をぎゅっと握ったまま、離すことはない。私が送り届けると申し出た理由は、きっとそれもある。
女の子は癖毛で、アンティークショップに売っているフランス人形のような、可愛らしい子だった。
〔あんなところに一人ぼっちじゃ、怖かったでしょ?〕
〔ううん。怖くないわ。でもあのお巡りさんは少し怖かった〕
――お巡りさんが怖かった――
幼い子からすれば、警官であろうとも、見知らぬ大きな男は怖く感じて当然か。
〔あそこで何をしていたの?〕
〔ジュースを見てた〕
〔ふぅん。それって楽しいの?〕
〔楽しい。同じ園の大きいお姉ちゃんがね、『内緒だよ』って、たまに買ってくれるの。私もお姉ちゃんになったらね、好きなボタンを押せるのよ?〕
女の子は楽しそうに話してくれた。純粋で可愛らしくて、自然と微笑んでしまう。
そうこうしている内に、フォスター孤児院の前に着いた。
孤児院の前には先生と思わしき女の人が一人、辺りをきょろきょろと見渡していた。
先生の視界に女の子が入ると、先生は私たちに向かって凄まじい勢い駆けてきた。
「ラウラ! 何処に行っていたの!」
先生は怒りつつも泣き出しそうな顔で、女の子の頬を両手で包み込んだ。この子の名はラウラと云うらしい。
夕食の準備中だったのか、先生はエプロンを付けていて、微かに香ばしい匂いがした。そうだ。もう夕食を食べるような時間なのだ。
「あの、自販機のジュースが見たくて迷子になってしまったみたいで……。私はこれで」
事が済んだ私は立ち去ろうとした。先生から微かに漂う香りが一気に空腹にさせた。
「待って! 本当にありがとう。最近この辺りで移民の幼い子を狙った誘拐が多いみたいで……。うちの園は日本語を話せない子も多くいて、とても心配していたの。……あの、ラウラはどうやってあなたとお話できたのかしら?」
「あぁ私、五ヵ国語話せるので、警官の方がこの子と話しているのを聞いて、ポルトガル語だとわかったんです。それで、帰り道のついでにそのまま送ってきただけなので」
「警察官?」
突然先生の顔色が変わった。
「はい」
「本当に、警察官?」
「流石に警察手帳までは見てないですけど、間違いなく警官の恰好をしていましたよ? ……どうして?」
警察以上に安全な人間などいないというのに、この先生は何に怯えているのだろう。私の見た男が警官じゃければ、警官以外の何者だと云うのか。
「……最近流行ってる誘拐事件、犯人は警察の恰好をしているみたいで。もしその警察官が誘拐犯であなたがラウラを連れてきてくれなかったらと思うとあぁ恐ろしいっ」
先生は自分の肩を抱いて身震いした。そんな先生をラウラは不思議そうな眼差しで見上げている。早口で何を云っているのかわかりはしないだろう。
あの男は警官ではなく、警官のコスプレをした男……。
想像したが「それはない」と、私は首を横に振った。
「あの、ただの純粋な疑問なんですけど、ここの職員の方たちは、基本的に何語を話されるんですか?」
私は少し気になったことを、どうするわけでもないのに訊ねてみた。長距離を歩いた効果なのか、今会ったばかりの他人にさらりと訊ねていた。
「皆日本語と英語止まりね。子どもたちには勿論日本語を覚えてもらわないといけなんだけど、いろんな国籍の子が多くて、言葉を覚える以前にコミュニケーションが難しいわ。こうやって注意しても本当に理解できているのかどうか、私たちにはわからない……」
先生は足元でうろついているラウラを、何処かへ行かないよう抱き上げた。
「そうなんだ……。大変ですね」
「えぇ大変。あなたみたいにいろんな言語が話せる人がいたら、助かるんだけどね」
「……そう、なんですか?」
「? そりゃそうよ」
……そうなのか。私には私の、役立てる場所があるのか。
「それじゃあ、さようなら。じゃあねラウラ」
「サヨナラ」
ラウラは最後に日本語を使った。先生の腕に抱かれながら、私に手を振ってくれた。
私は今日、電車に乗らなくて良かった。空腹だから流石にもう帰りたい。
それでももう少しは、歩けそうだった。




