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無声凱歌  作者: 十田 實
◆ 第2章 ◆ RMS
17/87

‐ 第17話 ‐ 香雲館の神様

<R15> 15歳未満の方は移動してください。

この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。

 土曜日の十六時から、毎週多くの子どもたちがそこへやってくる。

 先生の元へ、書道を習いにやってくる。


 書道というのはどうしても、書ける日と書けない日がある。それは大人も子どもも同じで、集中力が足りないとかいう問題ではない。その日はそういう日なのだ。


 一人がそうだと周りにも伝染するのか、その日は上手く書けない子どもが多かった。そうなると子どもたちは筆で遊んでしまう。半紙には手本にない字や、絵が見られるようになる。


「……これは何だろう? どうやって書いたのかな? タクト君」


 先生は穏やかな声色で訊ねた。

 子どもは先生に云われた絵を、半紙の隅に同じように書き始める。


 まず、四角い枠を書く。そして、筆に墨汁をたっぷりと付け直し、枠の中心に一滴、ぽとりと墨汁を落とす。


「先生のマークだよ」


 子どもは誇らしげに答えた。

 先生もにこやかに微笑んだ。


 先生は一度も子どもたちを叱ることはなかった。子どもたちも叱られないことをわかっている。だからこの子どもは悪びれる様子もなく、寧ろ自慢げに書いて見せた。

 だが、子どもたちは決して先生を侮ってなどいない。


「さて皆さん、筆を止めましょうか。今日は少し違うことをしてみましょう」


 先生の呼び掛けに、子どもたちはわくわくし始めた。何か面白いことをしてくれる。

 クリスマス会などの季節行事は勿論、先生は時たまこうやって、子どもたちの手を休ませてくれる。


 嬉しそうな子どもたちの様子を見て先生は頷き、静かに人差し指を天井へ向けた。


「この上には、書に関するいろいろなものが大切に保管されています。書道家たちの作品に、石碑(せきひ)拓本(たくほん)木簡(もっかん)竹簡(ちっかん)と云われるもの。その中に、書の神様と呼ばれる人の銅像があるのですが……皆で書の神様を見つけてみませんか? もし、見つけられたら……」


「見つけられたらー?」


「皆で展望台に行きましょう。きっと夕陽が綺麗ですよ」


 子どもたちは一斉に筆を置いてはしゃぎ出した。三百五十メートルの塔にある最上階の展望台は、滅多に開放されない特別な所だった。




 エレベーターが開くと、子どもたちは一斉に書の神様を探し始めた。

 子どもたちの中には書の神様よりも、壁に吊るされた書道家たちの作品に魅せられる子どももいた。


「すごいなぁ。こんなの私書けないなぁ」


「いえいえ、こつこつと書き続けていれば、いつか必ず書ける日が来ますよ。アマンダさんには才能がありますから」


 先生は後ろで手を組みゆっくりと歩きながら、子どもに声を掛けた。子どもは照れくさそうな顔をしながらも、『才能がある』という先生からの言葉に嬉しさが滲み出ていた。


 また別のところでは、展示物を前に三人組の子どもたちが何かを話し合っていた。


「なんで木なんかに字を書くんだろう? 紙があるのに」


「ん~、紙が無かったんじゃね?」


「……ふふ。正解ですタクト君。それは木簡と云って、大昔、まだ紙もなかった時代に木に書いたんですよ。こちらは竹に書いてあるから竹簡と云います。細い木や竹に文字を書いて紐で繋げていくと、この巻物のようになるんです。紙とは違ってまた面白いですから、今度皆さんで作ってみるのも良いかもしれませんね」


 子どもたちは尊敬の眼差しで先生を見上げた。

 子どもたちが書に関心を持てるのは、無理強いをしない先生の独特な教え方のおかげなのかもしれない。先生はどこまでも優しく、学校の先生とはまるで違っていた。


 何処からか


「神様いたー!」


 と、大きな声が聞こえてきた。その声の元に皆が集まった。


 子どもたちに囲われた神様は、着物姿で、とても長い髭を貯えていた。


「神様って先生じゃん」


 一人の子どもが云った。――先生はほんの少し固まった。


「いえいえ、この方は王義之(おうぎし)という方で、中国のそれは素晴らしい書家です。書の神、書聖と呼ばれています。私と似ていますか……? あぁ髭ですね。なるほどなるほど」


 子どもたちの視線が先生の髭に集まっていた。それに、王義之の着物と形は違えど、先生はいつも着物を着ていた。


(神様。神……)

 先生は二度、髭を梳かすように撫でながら、心の中で呟いた。


「では、行きましょうか、展望台へ。戻ったら墨池と筆を洗いましょうね」






「先生、僕すごいこと気づいたんだ」


 子どもは先生の横で、筆を洗いながら話した。


「展望台のところも、書の神様がいたところも、床の真ん中が先生のマークみたいに黒い丸になってた。でもこの教室だけはね、黒い丸のところが洗い場になってるんだ。絶対皆知らないよ」


「ふふ。それはすごい。よく気がつきましたね」


「でしょ? あとさ先生僕ね、不思議に思ってるんだけど、墨池を洗う前にさ、墨汁をこの穴に流すでしょ? これって何処に行くのかなぁ? 地下にまで繋がってたりして!」


 子どもは洗い場に備え付けられている穴を不思議そうに見つめた。何年も墨汁を流し続けた穴は真っ黒になっている。周りの子どもたちは不思議に思うことなく、それが当たり前のように、穴に墨汁を流してから墨池を洗う。


「タクト君は視野が広いですね。いろいろなことに気が付ける……。まさに、その通り。実は地下まで繋がっているんです。そこに皆の余った墨汁が集まって、またそれを使うんです。そうすれば、墨汁が勿体なくないでしょう?」


 子どもは目を輝かせた。


「やっぱり! 皆こんなこと知らないや! 教えてあげよう」


「タクト君」


「何?」


「これは先生と、タクト君だけの秘密にしてみませんか?」


「どうして?」


「うーん……。そうですね」


 先生はどう説明すればいいか、考えた()()をした。


「秘密って、格好よくないですか? 誰と何個持っていてもいい。でもそれを、お互いずっと大切にする。このことは、私とタクト君だけの秘密です」


「……あ、男と男の約束ってやつ?」


「そうとも云います」


「わかった!」


 子どもは先生との秘密を大事にしようと思った。誰かと、もっと秘密を増やしたいとも思った。それはとても特別で、良いものに思えたからだ。


 子どもたちは皆、先生のことが大好きだった。

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