‐ 第11話 ‐ 大鳳生命研究所
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この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。
[]内は英語を表しています。
髪を切り、髭を剃った。約五ヵ月振りだった。ここまで髪が伸びたのは新記録かもしれない。自分の見た目に無頓着なわけでも、金が無いわけでもない。価値ある人間の前でだけ、良く見せることに価値があると思うだけだ。
スーツにも久し振りに腕を通す。
一新した気持ちは皮肉にも、嘗て父さんの跡を継ぐ気持ちで会社に入社した時と似ている。
今日から僕はまた、奈須川慧として生きるのだ。
大鳳教総本部にいる母さんの元まで報告に行かなければならない。母さんは自身の経営するクリニックの院長業務に加え、大鳳教の幹部を務めているため多忙で、そう会える人ではない。直接会ったのは、年に二回行われる大鳳教の大集会が最後だ。
母さんが父さんと離婚してからも、僕は母さんとずっと連絡を取っていたし、父さんには内緒で大鳳教に入信していた。だが、父さんと再婚した馬鹿女との間に産まれた馬鹿弟がそれに感づいたようで、僕が大鳳教信者だということが父さんに知れてしまった。
おかげで僕は、次期社長の座を弟に奪われる羽目になった。
僕がオザワフロンティアの社長になっていたならば、母さんに協力できたことが嘸かしあっただろう。そう思うと実に悔しく、弟を殺してやりたいと思う程憎んだ。
……だが、禍を転じて福と為すとはこのことだ。
僕はある日、そこに良い物が隠されていることを知った。父さんもまた、僕に隠し事をしていたのだ。
母さんは勿論、世界中が渇求するものだ。
人間、悔しさを踏み台にすれば何だってできる。あれはもう、僕の手に入ったも同然だ。本当は宗教なんて毛ほども信じていない。それでも神という奴がいたならば、奴は僕に味方していると思わざるを得ない。
僕は軽い足取りで総本部へと向かった。
大阪市に本拠地を構える大鳳教総本部は、広大な敷地の中にある三つの建物から成る。
一際目立つ建物が、『香雲館』と呼ばれる書の博物館だ。香雲館は三百五十メートルの高さある塔で、最上階は展望台になっている。そこから下は確か、書道教室と、書に関する大量の展示物が殆どだ。幼い頃母さんに連れられて行ったことがあるが、ずらりと並んだ難解な書物や書道作品ばかりで、僕には退屈な場所だったのを覚えている。
香雲館から西に位置する建物は、夥しい数のソーラーパネルが取り付けられた、ピラミッドのような形をした建物だ。これこそが『大鳳教総本部』という名で、主に集会や研修を行う場として使われている。さらには信者のための宿泊施設、地下には違反者のための牢屋まで備わっている。
そして北に位置し、従来の病院の形をした唯一まともな建物が、『大鳳生命研究所』だ。三つの建物は連絡通路で繋がっていて、行き来することができる。つまり上空から見ると、見事な三角形を描いているわけだ。
何処からどう見ても、隈無く奇妙な場所なのだ。ここは。僕がそう思うのは、ここからほど遠い東京や、あの工場の近くのマンションに長年住んでいたからだろう。
僕の用があるのは大鳳生命研究所で、母さんはそこで適合者の研究をしている。
受付ロボットのセキュリティを通過し、母さんの研究室に向かう。
[君、誰だい?]
すれ違った白衣姿の男に、唐突に声を掛けられた。僕はこの男を知っている。
[お久し振りです。ドクターアンソニー]
[あぁ慧か! 誰かと思ったよ。白以外の服を着た人間を久し振りに見た]
振り返って和やかに挨拶をすると、男は直ぐに僕のことを思い出した。
男の名は、アンソニー・ジェンキンス医師。前頭葉の禿げた中年のイギリス人で、研究所の責任者を務めている。
[ずっと研究室に?]
僕はアンソニーに合わせて英語を使う。と云っても研究所内は多国籍が多く、日本語で会話をするのは母さんと話す時くらいだ。
[そうさ。もう三ヶ月も籠りっぱなしさ]
アンソニーは胸ポケットに入った煙草を取り出し、僕の目の前で吸い始めた。アンソニーの吸う海外製の煙草は独特な臭いがして、嫌いだ。
アンソニーは名医だが、その業界では危険と見做される程探求心の強い男だ。故に彼はこの研究所にいる。医療ではなく、研究に全てを注ぐためだ。好き好んで三ヶ月も研究室に籠っているのだ。
[美鈴のところに行くのかい? 例の件の報告か]
[えぇそうです。実は]
[いや、楽しみだが後で美鈴から聞こう]
アンソニーは話し出そうとする僕に、手のひらを見せて拒否した。
[美鈴なら自分の研究室にいるよ]
そんなことは知っている。それが理由に僕はアンソニーに訊ねていない。
人の母親の名を軽々しくファーストネームで呼ばれるのは、気分が悪い。
これ以上は聞きたくもないし、母さんの研究室に急ぐため、アンソニーの元を去ろうとした。
[慧、失望させないでくれよ]
わざわざ振り返って、アンソニーは云った。
沸々と、腹の底が煮え滾るような怒りを感じたが、軽く微笑みながら会釈をして、その場を去った。
すれ違った時、僕は敢えてアンソニーを無視したのだ。だがそんなこと彼のような人間には無意味で、一生響くことはないだろう。




