8.副団長のお誘い
「副団長」
現れたのはカイルだった。湯上りなのか、首にタオルをかけている。
「みんなは大部屋にいると思います。何かご用ですか?」
「いや、何もないけど。ひとりで掃除してるのか?」
がらんとした訓練場は、まったく人の気配がない。どう答えようか迷い、ステラはへらっと笑った。
「すぐ終わります。お疲れ様です」
「いやお疲れって……これ、すぐ終わる量じゃないだろ」
すべての防具の汚れを落とし、剣を磨き、サラシを洗う。ひとつひとつは大した事がないが、全員分集まるとちょっとした量だ。おまけに、少しでも磨き残しがあれば、あとでネチネチといびられる。手や足が出る事も珍しくなく、どうしようかと思っていた。
「……オレッセオは知ってるのか、これ」
案の定、カイルが眉を寄せる。
「知ってます。というか、もう少しだけ見守ってくれってお願いしてます」
「見守る?」
「団長が言っても、直るわけじゃないんです。むしろ表面上は平和な分、影でもっとひどいことになるというか……。なので、こっちの方が楽なんです」
「……なるほど」
それで大体のところは察したらしい。「相変わらずだな…」と呟く声がする。
そういえば、彼は第四騎士団にいたのだったか。
彼がいたのは六年前。自己紹介で二十三歳だと言っていたから、見習い期間の時だろうか。騎士団長殺しの一件があったのも同じころだ。
それで副団長とは一体……と思ったが、彼が目の前に座ったのできょとんとした。
「俺も手伝う」
「……え?」
「二人でやった方が早いだろ。こういうのには慣れてるしな」
そう言うと、さっさと防具を取り上げる。断る間もなく、彼は手入れを始めてしまった。
「あの、汚れますよ? せっかくお風呂上りなのに」
「湯はまた浴びればいいだろ。お前こそ、夕飯食いっぱぐれたんじゃないか?」
「それは大丈夫です。ほら、ここに」
傍らに置いた包みを示す。中にはパンに今日の夕食の具材を挟んだものが入っていた。オレッセオの差し入れから閃いて、先に確保しておく事にしたのだ。
彼は目を丸くして、それからくくっと笑みを浮かべた。
「なるほど、たくましい」
「お褒めに預かり光栄です」
だが、さすがに副団長に雑用をさせるのは申し訳ない。
ひとりでできると告げたが、彼は意に介さなかった。
「だから、慣れてるんだよ、こういうの。よく見てろって、お手本見せてやるから」
いいか、と言いながら、防具の継ぎ目をブラシで擦る。
「ここに砂がたまりやすいから、重点的に払っておく。こことここ、あとここも。で、ブラシをかける時はこう、立てるんじゃなくて、逆に寝かせるようにする。これは普通よりもごわごわした毛なんで、こっちの方がよく落ちる。で、仕上げにざっと布で拭く。これで終了」
「わぁ……」
「全部丁寧にやってたらきりがない。ポイントだけ押さえておけば十分だ」
てきぱきと防具の砂を払い、汚れを落として磨き上げる。無造作に見えるのに、彼の作業は無駄がない。あっという間に全員分の防具を片づけると、山積みになったサラシを手に取った。
「こんなものまでやらされてるのか。お前ひとりで?」
「ええと……まあ、そうですねぇ」
「まあいいか。あとで聞く」
ついて来いと言われ、慌てて従う。連れて行かれたのは騎士団専用の洗い場だった。
「サラシはまとめて水につけて、押し洗いで十分だ。手じゃなくて、足でいい。踏む」
「あ、足ですか?」
「ムカつくやつらの名前を呼びながら踏みつける。めちゃくちゃ気持ちいいから、病みつきになるぞ。ただし、人には聞かれないようにしておくこと」
真顔で言われ、ステラは思わず噴き出した。
「それは……クセになりそうですね」
「なる。俺はなった」
一番大きな洗い桶を出し、サラシを全部放り込む。そうしてから、彼は井戸の水を勢いよくかけた。
「やってみるか、ローズウッド」
「やりたいです!」
思わず自己申告すると、彼は面白そうな顔になった。
騎士服の裾をまくり上げ、おそるおそる足を浸す。
井戸の水はひんやりしていたが、心地よい冷たさだった。
「これで……踏む?」
「とりあえずやってみろ。教えてやるから」
おっかなびっくり踏んでいると、「もっと強く」「憎しみをぶつけて」と指示される。「怒りを限界まで足先に込めろ」と言われた時は、さすがにどうしようかと思ってしまった。
汚れた水を何度か替え、踏んだ後に軽く絞れば、それで洗濯はおしまいだった。あっという間に終わってしまい、ステラが拍子抜けした顔になる。
「乾かすのも、そんなに丁寧にしなくていい。広げておけば勝手に乾く。……と、もう遅いな。色々話が聞きたかったけど、まずは夕飯か。部屋まで送る」
「いえ、そこまでしていただくわけには……」
「俺の部屋、お前の隣」
そうでした。
並んで歩くと、彼の背が頭ひとつ分ほど高いと気づく。
細身に見えても、やはりそれなりの体格だ。相変わらず眠そうな顔つきだが、その造作はやはりとんでもなく整っている。
――だけど、凄腕の騎士には見えない。
たとえば剣の競技があったら、一、二回戦は難なく勝ち抜き、三回戦ではなんとか勝ち、四回戦では実力が拮抗し、準決勝に届くか届かないかで終わるくらい。
それなりに強くはあるけれど、突出しているタイプではない。それが彼の評価である。
ステラの目にも、彼が強いようには見えない。なんというか、日がな一日ごろごろしている獣のようだ。
(でも、あの時……)
オレッセオの剣を止めた人間を、初めて見た。
考え込んでいると、「どうした?」と聞かれた。
「いえ、副団長について考えてました」
「直球だな。何?」
「いえ、大したことじゃありませんので」
別にいいと断ったが、相手はちょっと首をかしげた。
「せっかく同じ団にいるんだ。気になることがあったら聞いてくれ。俺もそっちの方が気楽だ」
「ですが……」
「俺も聞きたいことがあるから、おあいこだ」
そう言うと、不思議な色合いの目で笑う。
そんな顔をすると、思ったよりも人なつっこい。同じ騎士団の仲間にこんな風に接してもらえる事は初めてで、なんだかどぎまぎしてしまった。
「では、あの……騎士団長殺しの一件は、どこまで本当なんですか?」
「みんなの前で言った通り、俺は誰も殺してない。つまり、騎士団長殺しってのはでたらめだ」
「本当に誰も殺してない?」
「してたら今ごろ首が飛ぶ。物理的に」
確かに、上官を手にかけたらそうだろう。
仲間同士の諍いもご法度なのだ。本当に殺人未遂だとしたら、無期限謹慎処分程度では収まらなかったに違いない。
(やっぱりただの噂だったの……?)
けれど、妙な違和感が付きまとう。
「……そういえば、他の団員も怪我をされたみたいですけど、あれも嘘?」
「正確に言えば、巻き込まれただけだ。けど、あれは俺が原因じゃない。魔獣の集団発生があったんだよ」
そこでちょうど部屋の入口に到着した。
普通ならここで別れるところだが、なんとなく話し足りなかった。それは相手も同じだったのか、ちょっと迷った顔になる。
「……部屋来る?」
「えっ……」
「いや、変な意味じゃなくて。飯食ってる間だけでも、話の続きをするかってこと」
どうだと聞かれ、ステラはすぐに頷いた。
「行きたいです!」