60.引導
「えっ」
「はっ?」
目を丸くしたステラとともに、ガロルドが間抜けな声を上げる。
「しかも、ひとりではありません。今のところですが、五名おります」
「五名?」
目を丸くした国王に、ええ、と華やかな笑みを浮かべる。
「私ことアデルハイドをはじめ、レンディルロット、ウィリーザ・ラズ、イアン・クイール。我らすべて、彼女の婚約者候補です」
「三強……いや、四宝のそなたたちが? だが、待て。それだと、ひとり足りぬが……」
「――残りのひとりは私ですよ」
その時、国王の背後から声がした。
「お忘れですか。私も王宮寮の出身です、父上」
「……お前か!」
微笑みを浮かべて歩み寄った人物に、ざわっと周囲からどよめきが走る。
――この国の第三王子であり、第一騎士団副団長。
なぜ独身なのか不思議がられている、人気も実力も兼ね備えた筆頭騎士だ。
彼は国王に礼を取り、臣下の位置へと足を進めた。
「ちょっと待って、みんな何を――もが」
慌てたステラの口をふさいだのは風の騎士だ。しーっと指を立てられて、いたずらっぽく片目を閉じられる。
「いいからいいから。昔のごっこ遊びでも、約束は約束。黙っとけばいいよ」
「いやでも、そんな……」
「――まあ、あともうちょっとすれば、そう冗談でもなくなるんじゃない?」
え、と目を瞬いた時にはもう、彼は手を離している。去り際、「元気でやりなよ」と肩を叩かれた。
いつの間にか彼らはステラから離れ、広間の空いた場所へと移動している。
それを従えるように、第三王子がその前に立った。
目にも鮮やかな光景の中、秀麗な美貌を携えた第三王子が胸に手を当てる。
「以前に申し上げた通り、気楽な身分なものですから。王家のために生涯尽くす代わりに、共に過ごす相手は自分で選びたいと思いまして」
「……それが、その娘か」
「文通だけはずっと続けているのですけれどね。何しろ、ライバルが多すぎて」
意味ありげに視線を向けられて、ステラがうっと言葉に詰まる。
彼らが王宮寮を去った後も、手紙のやり取りは続いている。こまめに連絡しないと拗ねる人物がいるため、月に一度は手紙が届く。
定期的に届く手紙の中に、一通だけ目立つ封筒が紛れている。
目に鮮やかな白さと、重厚ささえ感じる封蝋。
中に使用されている紙には花の模様があしらわれ、金色の葉の箔押しが添えてある。繊細かつ上品な、芸術品のような出来栄えだ。
高価な紙を惜しげもなく使い、最高級の香りまでまとわせて連絡してくる。
ひときわ美しい手紙の主は、優雅に微笑むこの人だ。
露骨な発言に、残りの四名も反応する。それを手で制し、第三王子は言葉を続けた。
「婚約者というなら我々もですし、早い者勝ちというなら、我々の方がずっと早い。ですが、この場でもっとも重要なのは、彼女自身の気持ちです。間違っても『泣いて妻になる』と誓うものではない」
柔らかな口調の中に、針のような棘が混じる。あからさまな牽制に、ガロルドはぐっと唇を噛んだ。
「それを邪魔するのであれば、排除も辞さない。――と、いうことで、父上。いえ、国王陛下。彼女の婚姻については、くれぐれもご配慮願います」
「いいだろう」
「陛下!」
「見苦しいぞ、ガロルド・ハーヴェイ。そもそもそなたは、彼女の意思を尊重すると言ったではないか」
眉を寄せた国王に、ガロルドがうっと言葉に詰まる。
「それは、ですがっ……」
「彼女は己の意思を告げた。余はその意思を尊重する」
「陛下!!」
「――ああもう、そんなに騒がないでくれないかな。耳が痛い」
その時、第三王子が口を開いた。
笑みを浮かべているものの、その笑顔はどこか怖い。ちなみに、彼の騎士団でのあだ名は「鬼」である。
鬼どころか百合のような美貌だが、中身は少々えげつない。その顔を見た第一騎士団の面々が、「鬼が起きた」、「鬼が笑ってる」、「ヤバい逃げよう…!」と戦慄していた。
「君と彼女との婚約は破棄。というよりも、最初から成立していない。それが元に戻っただけだ。それ以上食い下がるのはみっともない」
「そんな、俺はっ……」
「そもそも、あそこまではっきり断られておいて、まだ『自称婚約者』の座にしがみつく気かい? いくらなんでも見苦しい」
「ですが!!」
ガロルドの悲鳴を聞き流し、ああそれと、と付け加える。
「ガロルド・ハーヴェイ。君については色々と報告が上がっている。今回の件に関しても、いくつか疑問点がある。後で詳しく話してもらうことになる」
「は……?」
「心当たりはあるだろう?」
「いや、その、別に……」
しどろもどろになったガロルドに、流れるような口調でたたみ掛ける。
「発言の信憑性、時事系列の相違点、地形による矛盾に加え、避難経路の不自然さ。さらに言えば、はぐれた場所と捜索場所。まだはっきりとはしていないけれど、他にも色々と。真実はいずれ明らかになるだろう」
「いや、でも、それは……っ」
「ああ、一番聞きたかったのは、地図の細工だ。一枚は問題ないが、もう一枚は明らかにでたらめだった。なぜそんなものを持っていた? それについても説明してもらおう」
そこで一度言葉を切り、ふっとその口調を変える。
「偽物の地図で仲間を陥れ、危険な目に遭わせたとしたら――間違いなく、ただでは済まない」
ガロルドはだらだらと冷や汗を流している。まさか気づかれるとは思わなかったのだろう。その顔色は青い。半ば白状しているようなものだ。
仲間達も同様で、おろおろと視線をさまよわせている。
「俺は何も知らない! 何もっ……」
「――言い忘れていたけれど、見習いに支給されていた笛。あれには簡易の魔法陣が組み込まれているんだ。森での会話、何が起こったのか、どこにいるのか、持ち主がどういう行動を取ったのか。すべて記録されているんだよ」
「んなっ……!?」
一気に青ざめたガロルドが、口をぱくぱくさせている。
それが本当なら、彼らがステラに対して行っていた事が明らかになる。いや、もしかすると、もう明らかになっているのかもしれない。その証拠に、彼がガロルドを見る目は冷たい。やさしげな笑みを浮かべているが、その表情には一片の慈悲もない。
「ついでに言うと、君が岸無しと呼んでいるその子は、我々の一番のお気に入りでね。小さいころからずいぶん可愛がっているんだ。昔から知っているせいか、どうもみんな過保護でね。騎士寮で何があったのか、君たちがどんな扱いをしていたのか、こちらは把握しているんだよ。可能な限り、すべて」
「……そんなことしてやがったのか、あいつら」
ぼそりとカイルが突っ込んだが、第三王子は輝くような笑みで聞き流した。
「おかげで君のことはよーく知っているよ、ガロルド・ハーヴェイ君。君がその子に何をしたのか、今までどう扱ってきたのか、呼び名からしでかしたことまで全部、同期全員が把握している」
この場合の「同期」というのは、ステラにとっての同期である。
つまりそれは、約十年もの間、王宮寮に入っては卒業していくすべての騎士達の総称であり、もっと言うなら、そのほとんどが超のつくエリートだ。
今でも現役で活躍している者が多く、それぞれ第一騎士団から第三騎士団に割り振られている。騎士なら誰もが憧れる立場であり、異動になったら狂喜する。それくらいの位置づけだ。当然、王国における地位も高い。
その彼らに目をつけられるというのは、それだけで騎士人生の終わりを意味していた。
ガロルドはこれ以上ないほど蒼白になっている。子爵家は下から数えて二番目の爵位だ。高位貴族ににらまれればひとたまりもない。
「そんな、それは、そのっ……誤解で……っ」
「誤解?」
そこで彼の目が一瞬、冷たい鋭さを帯びた。
「岸無しと呼んで蔑み、仲間の輪にも入れず、大量の仕事を押しつける。度重なる嫌がらせに加え、暴力や暴言、訓練の妨害、集団による性的な強要発言。おまけに、衆目の中で服を脱がせて辱めようとしたあげく、獣の血を浴びせ、魔獣の出る森に置き去りにした。どれひとつとっても、騎士としてあるまじき行いであり、唾棄すべき低俗な行為だ」
「それは、そのっ……」
「――特に最後の行動にいたっては、見逃すことのできない重罪だ」
凄みすら感じる視線は、見る者の背筋を凍らせるのに十分だった。
言い訳を口にしようとしていたガロルドが、ひぃっと小さな悲鳴を上げる。
よく見ると、周囲も似たような表情を浮かべていた。
もはや彼の言葉を信じる者はこの場にいない。彼らとのやり取りを聞いて、全員何があったのか理解したのだ。
ひそひそと小声で囁き交わす声。軽蔑。嘲笑。嫌悪や呆れの視線とともに、時折、眉をひそめる気配が混じる。
その中には貴族だけでなく、平民出身の騎士の姿もある。ガロルドが見下してきたはずの、取るに足らない人々の姿だ。
なおも言い逃れようとあがいていたガロルドだが、向けられる視線に耐え切れず言葉を呑む。
ここにいるのは仲間を助けた勇者ではない。
英雄の仮面を剥がされて、みっともなく震える卑小な男だ。
「ちなみに言っておくと、今までの君の発言は、ここにいる全員が確認している。王城に設置されている魔導具は優秀でね。声をひそめた君のセリフも、ちゃんと増幅されて聞こえるんだ。君が彼女に何を言ったのか、全部聞こえていたんだよ」
「なっ……!?」
「おかげで、これ以上説明する手間が省けたわけだけれど。理解できた?」
「そんな……俺は……」
がっくりと膝をつき、ガロルドが頭を抱えて呻く。
仲間達もそれぞれ腰を抜かし、呆然とへたり込んでいた。
お読みいただきありがとうございます。あと少しです。よろしければお付き合いください。
*手紙のくだりは第13話のあたりです。この回では触れていませんが、ステラ、第三騎士団長とも文通してます。彼は意外とポエマーです。
 




