57.どちらも選ばない(ガロルドへの返答-1)
声の主は神殿長だった。
国王よりも年上だが、気難しそうな顔つきだ。眉間に深い皺を刻み、痩せた手足を豪華な衣装が包んでいる。
彼は国王に訴えた後、ちらりとステラに目をやった。
値踏みするような視線に背筋がぞわっとしたが、かろうじてこらえる。
上から下までステラの全身をじろじろと眺め回した後、神殿長は鼻を鳴らした。
「見かけは物足りませんが、素材は悪くない。我々の元で修業すれば、それなりに見られるようになることでしょう。平民の娘にとって、望外の幸運のはず。この娘のためにも、王命により、神殿に所属させることを願います」
「王命か」
国王が考え込むように口元に手を当てる。
「ええ、そうです。生涯を神殿に捧げ、王家とこの国のために働く。それが光魔法の使い手の務めです。単なる光属性持ちでなく、光魔法を使える存在は希少。せっかく見つけた光魔法の使い手をみすみす手放すわけにはいきません」
「ち……ちょっと待った。なんだって?」
そこでガロルドが素っ頓狂な声を上げた。
「今なんて言った? ん……です? 光魔法? って、こいつが?」
「そんなことも知らなかったのか。その通り、そこにいる娘は光魔法の使い手だ」
無礼な言葉を咎めもせず、神殿長が偉そうに頷く。彼が知らなかった事により、自らの優位性を悟ったらしい。知らないのなら教えてやろうと、重々しく口を開く。
「国内でもごくわずかしか見つからない上、光属性の魔力はとても弱い。そんな中で、光魔法の使い手は貴重中の貴重。婚姻などもってのほかだ」
「こいつが、そんな……」
ガロルドがまじまじとステラを見る。
そういえば、ガロルドはステラが魔法を使ったところを見ていない。同期達も黙っていてくれた。おかげでカイルの活躍はともかく、ステラの事は知られていない。
光魔法と聞いたとたん、ガロルドの目の色が変わり、ごくりと喉を上下させる。
粘つくような視線は同じだが、その目はぎらつき、かすかな興奮が感じ取れる。いつもの下心ではなく、打算めいた下劣な色だ。
ステラの体だけでなく、その存在自体にも価値がある。
それを悟ったのか、下卑た瞳に喜色がにじんだ。
「分かったか。分かったならおとなしく引き下がれ」
「ま……待ってください。俺だってローズウッドと婚約してるんだ」
慌ててガロルドが口を挟む。
「家同士の話も決まってる。ローズウッドは俺のものだ。誰にも渡さない!」
なあローズウッド、とガロルドが引きつった顔で笑った。
「すげえな、光魔法の使い手って。言ってくれれば、もっとやさしくしてやったのに」
「ガロルド……」
「気を遣って、特別扱いして、騎士寮でも過ごしやすくしてやったのにさ。そうすれば、お前だってあんな目に遭わずに済んだのに」
「ガロルド、私は……」
「ほんと要領悪いよな、お前って。けど、まあ、これからは俺がいる。ちゃんと守ってやるよ。安心しろよな、ローズウッド」
鼻の穴をふくらませて、感謝しろと言いたげな顔になる。
そんな事を臆面もなく告げるあたり、自らの行いを顧みる気はないらしい。
同期の面々も呆れていたが、この場で口を出せる者はいなかった。
自信満々のガロルドは、大きく胸を張っている。断られるなどとは思ってもみないらしい。どこからその自信が湧いてくるのかは不明だが、ステラが逆らわないと確信しているようだ。それでも、万が一を考えたのか、彼は嫌な目つきになり、国王には聞こえない程度の声で、
「……分かってるよな?」と囁く。
「もし断ったら、副団長への厳重な処罰を希望する。平民が貴族に逆らうことの意味、きっちり教え込んでやるよ」
「ガロルド、あなた……!」
「おっと、怖い顔すんなよ。言っとくけど、神殿に行くってのも駄目だぜ? どっちにしても、副団長は無事じゃいられない。そこんとこ、よーく考えて返事しろよな」
顔をこわばらせたステラに、ふふんと鼻を鳴らす。
自らの勝ちを確信しているのか、ガロルドは「陛下!」と声を張り上げた。
「俺は、彼女自身に選んでもらうことを希望します。俺か、神殿か。どちらを選んでも、それは彼女の意思です。俺はそれを尊重します!」
「何を、貴様!」
「ふむ」
そこで国王は頷いた。
「許可しよう。本人の意思を優先する」
「陛下!!」
神殿長が叫んだが、国王はそれを片手で制した。
「そもそも、神殿でしか光魔法が扱えないわけではあるまい。それは以前から言われていたことだ。神殿に囲い、外の世界から遮断したことにより、光魔法の使い手が生まれにくくなってしまったのではないかと。それはそなたも知っているはずだ」
「しっ……しかし!」
「今回の件、少なくとも彼女は神殿と関わることなく力を発揮した。それだけでも、以前の常識にとらわれていない。ゆえに、この点において、神殿の存在は関係ないと判断できる。少なくとも、神殿に強制する権利はない。もちろん、我々にもだ」
神殿長は悔しげに歯噛みしたが、神殿だけでなく、王家にも優先権はないと断言されれば、それ以上は食い下がれなくなったようだ。彼はぎりぎりと拳を握り、ぎっとステラをにらみつけた。
「そなたは分かっているな。自分の能力がどれだけ貴重なものなのか」
「え……あの」
「神殿に来るべきだ。それが王国の民の義務であり、そなたの責務だ! 言うことを聞け!」
「ローズウッドは俺のだ。そうだよな、ローズウッド?」
「私は……」
二人に詰め寄られ、ステラは思わず身を引いた。
反射的にたったひとりの姿を目で探しそうになり、寸前でこらえる。こんな事で頼るわけにはいかない。
ステラにとって、「彼」は特別な人だ。
初めて会った時からずっと、どれだけ助けられてきたか分からない。彼がいてくれたから、今まで無事にやってこれたのだ。
みんなと仲良くなれたのも、今ここに立っていられるのも、全部、全部、彼のおかげだ。
きっとここで助けを求めれば、彼は願いを聞いてくれる。ステラはただ守られているだけでいい。それはきっと簡単で、一番問題のない手段なのだろう。
でも、それは。
「…………」
静かに目を上げると、こちらを見ていた青灰色の瞳とぶつかった。
どうする? というように、わずかに首をかしげられる。だからステラは首を振った。
今はいらない。
ここはステラが自分で立つべき場面であり、自分で解決しなければいけない事だ。
降りかかる火の粉は自分で払う。たとえ拙くても、頼り切るよりずっといい。
だから。
頑張りますというように、一度頷く。と、カイルは面白そうに目を細めた。かすかに唇の端を上げ、そのまま軽く顎をしゃくる。――やってやれ、という声が聞こえた気がした。
(もちろんです、副団長)
胸に手を当て、ステラは一度深呼吸した。
すー、はー、すーと呼吸を整え、ピンと背筋を伸ばす。
――力を入れずまっすぐに、一本の線が通るように。
これも彼らから教わった事だ。騎士は姿勢が大事だからと、寄ってたかって指導してくれた。
ガチガチに伸ばすだけじゃ芸がない、指先はもっとこんな風にと、最後にはオモチャにされていた気がする。
でも、それが今、自分の役に立っている。
「陛下」
はっきりした声は、広間の中によく響いた。
「私は、どちらも選びません」




