46.妖精の鳥籠
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「全滅ってどういうことですか? それに、辺境の森の特性って……」
「辺境の森には不思議な力が存在している。発動条件が特殊なため、めったに遭遇することはない。先ほども言った通り、こちらの森で確認されたことはなかったが……」
オレッセオは厳しい顔をしていた。
「辺境の森には魔獣が多い。それは君も知っているな?」
いきなり問われ、ステラはこくりと頷いた。
辺境の森は、国境近くの森とは比べ物にならないくらい魔獣の目撃例が多い。その理由のひとつとして、辺境の森には魔素が多い事が挙げられる。
魔素。
それは魔力の源であり、自然界に存在する物質だ。ステラも以前学んだ事がある。
魔力を持たない者には関係ないが、魔力を持つ生物にとって、魔素は非常に重要なものだ。
自らの体内で生成できるが、使い過ぎれば枯渇する。かといって、自然界の魔素をそのまま取り入れる事はできない。それができるのは魔獣だけだ。
自然界における魔素は、人間にとって毒となる。強すぎる成分に耐えられず、過剰摂取を起こしてしまうのだ。
魔素を大量に吸い込むと、普通の人間は動けなくなる。最初は手足の自由が利かなくなり、意識が朦朧としてきて、やがて完全に気を失う。いわゆる魔素中毒だ。そして、そのまま吸い続けると命を落とす。
魔力持ちなら耐性があるが、それでも長時間は耐えられない。それほど魔素は危険なものだ。
逆に魔獣にとって、自然界の魔素は何よりのご馳走だ。自らの体内に取り込む事で、己の魔力を活性化させる。そして、魔素の効能により、通常よりもはるかに力を増して猛り狂う。
この森で魔獣の集団発生が確認されたのは、魔素の発生によるものではないか。だとすれば、人間にとって脅威となる。
だが、それが何だというのか。
「危険は承知の上です。それでも、私は……!」
「それだけではない。自然界の魔素が急激に増えると、とある現象が起こる。私も六年前に一度遭遇したが、あれに対処する方法はない。そもそも、人の手ではどうにもならない自然現象のようなものだ」
「それは、一体――」
「君も聞いたことがあるだろう。【妖精の鳥籠】だ」
その名前は、ステラも耳にした事がある。いたずら好きの妖精が、気まぐれで人々を閉じ込める鳥籠の事だ。もちろん本物ではなく、そういう名前が付けられているだけだ。
光の檻でできていて、一見すると美しい。だが、その正体は魔素を含んだ強力な結界であり、中にいる生物を閉じ込める。
それにつかまったら最後、逃げ出す事は不可能だ。悪趣味かつ絶対的な、死刑執行の牢獄。
「六年前、我々はあれに遭遇した。対応したのは第三騎士団の人間だ。数名が結界を張って魔素を防ぎ、残りが総がかりで結界を破った。なんとか危機を乗り切ったが、ぎりぎりのところだった」
だがここに彼らはいない。【妖精の鳥籠】が発動しても、止められる人間はいないのだ。
そして、その発動条件とは。
「一度に多量の魔素を取り込むと、発動すると言われている」
「多量の魔素……」
反射的に手元に目を落とす。その手には何もない。当然だ。そもそも、魔素は目に見えるものではない。
だが――。
「……この森、今、魔素が異常発生してますよね」
ステラの言葉に、男二人がぎょっとした。
「分かるのか?」
「感じるだけです。でも、前に来た時はこうじゃなかった」
はっきりとは分からない。けれど、かすかに感じる。
ぴりぴりと肌に触れる、わずかな気配。
先ほどまでは緊張していて、そんなものを感じる余裕はなかった。そうでなくても、今の自分にそんな芸当ができるはずはない。
魔素を感じるのは魔力持ちだけだ。魔法どころか、ただの人間のステラには不可能だろう。オレッセオにも、第二騎士団の騎士にもできない業だ。
けれど、それでも。
「魔獣の集団発生と暴走状態が、異常発生した魔素によるものなら……。可能性はあります」
「それは、つまり――」
その時だった。
「――誰か! 助けてくれ!」
遠くから叫び声が響いた。
「緊急事態だ、このままじゃ危ない!」
聞こえてきたのは仲間達の声だった。
方角は森の入口付近だ。それに混じり、地響きのような音がする。あれは――魔獣の足音だ!
「魔獣の集団発生だ! もうすぐこっちに到着する!」
「なっ!?」
「誰か助けて、助けてくれっ!」
魔獣の群れは、カイルが一度倒したはずだ。残りもオレッセオや第二騎士団の活躍で、ほとんどが壊滅したはずだった。
だがこれは、もしかして二度目の集団発生?
そんなものが起こったためしはないが、それで言うなら、竜を見たのも初めてだ。
(このままじゃ……!)
「嘘だろう、こんな時に集団発生なんて!」
騎士が叫んだが、「話は後だ」とオレッセオに促されてはっとする。もう一刻の猶予もない。
「急ぐぞ、走れ!」
「了解です。とにかく、あちらへ――」
騎士の返答に混じり、ふたたび彼らの悲鳴が響き渡った。
「うわああああっ! 殺される!」
何を考える間もなく、ステラは地を蹴って駆け出した。オレッセオと騎士もほぼ同時に駆け出している。あっという間にステラを抜き去ったオレッセオが、振り向きざまに声を張った。
「君は残れ、ローズウッド!」
「嫌です! それに、ここにいても危険です!」
「だが君は、今の君は……」
「やれることがあるはずです。ううん、やれます、団長!」
こんな時だからこそ、自分にもできる事がある。
いや違う。自分にしかできない事があるはずだ。
たとえそれがほんのわずかな力でも、きっと。
剣を握っていない方の手を握りしめると、オレッセオがはっとした顔になる。その顔に苦悩の色が浮かんだのは一瞬だった。
「……助かる。感謝する!」
「団長!?」
そばにいた騎士が驚きの声を上げたが、もはや二人には届かなかった。オレッセオの一言に、ステラは力強く返事した。
「はい!」




