45.動き出すもの
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――ガキンッ!!
衝撃とともに、激しい火花が飛び散った。
何度目かになる打ち合いにも、カイルは一歩も引かなかった。
「強くなったな、トカゲ肉! 引きしまった肉が旨そうだ!」
――グアルルルッ!
「お前が勝ったら喰っていい。人間喰うのかは知らないけどな!」
仮に人間を食べる場合、その魔獣を食肉にするわけにはいかないので、食べないでくれた方がありがたい。もっとも、確認されている大型種の中で、竜が人間を食べるという話は聞かない。
人間は下等生物ゆえ、体内に取り込むと穢れる。そういう俗説があるのは知っている。
だが、そんな事はどうでもいい。
「今日の食卓に並べてやるよ、輪切りでな!」
――グァオオオオオオンッ!!
荒れ狂う火炎を薙ぎ払い、そのまま竜に突っ込んでいく。
無謀とも思える攻撃だが、驚異的な身体能力がそれを可能にする。だが、その剣が竜の体に届く直前、カイルは一気に横に跳んだ。
ほぼ同時に炎が噴きつけ、焼け焦げた匂いが鼻をつく。
剣を構えたまま、カイルは唇の端を舐めた。
あまり広まっていない事だが、魔獣の肉は食べられる。
牛、豚、鶏は言うに及ばず、鹿や魚も悪くない。どの肉も、極上の獣肉より薫り高く、個性があって面白い。魚は丸焼きに限るが、たっぷりの油で揚げたのや、干したのもかなり旨かった。
だが、意外にも美味なのがトカゲの肉だ。
最初は驚く人間もいるが、一口食べればたいていが黙る。それくらいトカゲの肉は味が良い。中でも尻尾は格別で、干し肉にすると最高だった。
トカゲの肉は好物だし、魔獣の肉は大好物だ。その魔獣の王様ならば、どれほど旨い事だろう。
(あいつも喜びそうだな)
ふと先ほど送り出した少女の姿を思い出す。
マダラワニトカゲの肉をずいぶん気に入っていたようだから、これはもっと好きだろう。この戦いが終わったら、腹いっぱい食べさせてやりたい。
幸せそうに干し肉を頬張っていた顔を思い出し、こんな時なのに笑いそうになる。
もう逃げ切れたころだろうか。それとも、まだ手間取っているだろうか。
もしそうなら、もうしばらく時間を稼いでやらなければ。何しろ竜が相手である。万が一、この森から逃げ損なえば命はない。
もっとも彼女なら、なんとか切り抜けそうではあったけれど。
ステラ・ローズウッドは、素直で可愛い見習い部下だ。
こんな場所まで来ていたのは予想外だったが、本人は元気そうだった。罠に嵌められたとオレッセオが言っていたが、本当だろうか。もしそうなら、あとでじっくりと問い詰めたいところだ。
真面目でひたむき、剣のセンスも悪くない。身のこなしも軽く、鍛えればかなり強くなると予想がついた。それはかなり早い段階で分かっていたし、実際、その通りになっている。
(ただ……なんかあいつ、剣じゃない気がするんだよな)
理由は分からない。ただの勘だ。
けれど、こういった勘が外れる事はめったにない。
(まあいいか)
彼女が騎士を好きなのは本当だ。それだけで今は十分だろう。
それに、今はそんな事を考えている余裕はない。
その時だった。
ざわっと首筋の毛が逆立つような気配ともに、遠くの方で物音がした。
「あれは――」
言いかけてカイルは眉を寄せる。
森の入口の方角、ここからは大分離れた場所。
その先で、爆発的な気配を感じた。
すさまじい爆風とともに、ふたたび地響きが足元をゆるがす。ひときわ高らかに響くのは、魔獣の放つ雄たけびだった。
「……二度目の集団発生か!」
狂乱状態に陥った魔獣の群れが、一斉に森の出口へと向かっている。
竜の出現に加えて、二度目の集団発生など前例がない。だが、そんな事はどうでもよかった。
ここからでは間に合わない。
そう判断した途端、強く地を蹴る。一瞬のためらいもなく、カイルは竜の脚を斬りつけた。咆哮を上げる竜をよそに、すさまじい勢いで走り出す。
「オレッセオ! ガキども全員遠ざけろ! 森の外じゃ足りない、巻き込まれるぞ!」
遠くにいるオレッセオに声は届かない。
「封鎖じゃない、遠くへ行け! 森の先だ、できるだけ遠くへ、急げ!!」
でなければ――。
「!!」
その瞬間だった。
キイン、という澄んだ音とともに、森の一点が白く輝いた。
ほとんど中央辺りに生じた輝きは、すうっと上空に上がっていく。よく見ると、光はくるくると回っているようだった。
くるくる、くるくると、光は回りながら上がり続ける。
キラキラした光の粒子が、舞い踊る妖精のように見えた。
美しいはずの光景だが、なぜだかひどく不吉なものに感じられた。
「……始まったか!」
まさかこれが発動するとは思わなかった。
だが、始まってしまえば止められない。あれはそういうものとして存在している。
そして、巻き込まれてしまえば最後、こちらに逃げる術はない。
(冗談じゃない)
この森にいるのは見習い騎士がほとんどだ。
魔獣の討伐経験もほとんどなく、命のやり取りもした事がない。ある意味で緊張感が薄く、ある意味では平和なひよっこども。
いずれ彼らも経験を積んでいくのだろうが、それは今じゃない。
それどころか、このままだと、彼らは全員命を落とす。
甘いのは承知している。――けれど。
「クソガキでも部下なんだよな、一応は!」
だから、死なせるわけにはいかない。
誰ひとりもだ。




