39.昔の名残
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「ローズウッド、無事か?」
「は……はい」
「なんで逃げ遅れてんだよ。もうすぐ魔獣の群れが来るぞ、ここ」
ちょっと笑った後で、まったく笑えないセリフを吐く。
「お前だけでも入口に連れて行きたいとこだけど、今からだと間に合わないな。まさかとは思うけど、これも作戦か?」
「そんなはずあるか。おそらく罠に嵌められたんだろう」
オレッセオが顔をしかめる。
「あーなるほど。……へぇ」
ふいに、ゾクッとするほどの寒気が走る。
百周を命じた時と同じ気配だ。
だがそれはすぐに消え、カイルはふたたび笑みを浮かべた。
「よかったな、ローズウッド。トカゲだ」
「はい?」
「これで一匹は食わせてやれる。ほんとに旨いぞ、この肉」
嬉しそうに言いながら、頭を落としたトカゲの様子を確かめている。そんな場合じゃないのだが、うまく言葉が出てこない。幸い、カイルはすぐに立ち上がり、オレッセオ達の方に目をやった。
「なんだお前ら、まだそんな面倒臭いことやってんのか。一撃でいけ、一撃で」
ステラの横を通過しながら、呆れたような顔で言う。すれ違い際、かすかに嗅ぎ慣れた香りがして、こんな時なのにほっとした。
「お前と一緒にするんじゃない。普通の人間にできる範囲というものがある」
オレッセオがふたたび顔をしかめる。だがカイルは動じなかった。
「お前もっと強いだろ。経験積ませるのも大概にしとけよ」
「それもあるが、それだけではない。下手に深手を負わせて逃がす方が厄介だ」
「いや逃がすなよ」
そう言うと、カイルが消えた。
――と思った次の瞬間、トカゲの頭が地面に落ちた。
「!?」
仰天したステラをよそに、残りのトカゲも斬り飛ばされる。少し遅れ、首を失った四肢が倒れ込んだ。
やって来たオレッセオがぼそりと呟く。
「相変わらずだな……本当に」
「だ、団長?」
「私はここから君の安全を最優先に動く。あいつは放っておいても大丈夫だ。むしろ我々の方がはるかに危険だから、くれぐれも注意するように」
「危険?」
「今あいつが言っていただろう。魔獣の集団発生、及び暴走状態だ」
その言葉が終わるよりも早く、最初と同じ、地響きの音がした。
「!!」
魔獣が――それも、見た事もない数の魔獣の群れが、こちらに向かって押し寄せてくる。
「牛と、豚と……鳥もいるな。最高だ」
「全部魔獣だ。前から思っていたが、分類の仕方がおかしいぞ、お前は」
「食えそうなやつばっかりで何よりだ。当分肉には困らない」
「だからあれは魔獣だ。昔からお前の基準はおかしいと言って……来るぞ!」
オレッセオが叫ぶのと、魔獣の一体が木々を薙ぎ倒したのは同時だった。
「取りこぼしたのは任せる。他はやっとく」
そう言うと、カイルは軽やかに地面を蹴った。
目にも留まらない速さで一匹目の魔獣に近づいたかと思うと、その首を一撃で斬り飛ばす。
「ああ、任せた」
そう言うと、オレッセオも剣を構える。
「団長!? 副団長がひとりで、魔獣の群れに……!」
「問題ない、ローズウッド」
前方を見つめながら彼が言った。
「あいつなら何の心配もいらない。君は自分の心配をするべきだ」
「ですが、ですが、万が一っ……」
「――14652」
突然、彼が妙な単語を口にした。
「何の数字だか分かるか?」
「い、いえ」
「私が今まであいつと戦った回数だ。公式非公式、試合、喧嘩、腕試し、種類を問わず、ほぼすべての項目で」
「そ、それは……すごいですね」
「そうだろう。覚えている限りだから、くだらないことではもっと多い。これは単に力比べの回数だ」
そして、と彼が続きを口にする。
「私が負けた回数だ」




