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騎士団長殺しと呼ばれた男にしごかれています  作者: 片山絢森
第4章-1

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34.中型の魔獣


 ステラは息を呑んだ。


「見習いは直ちに退避を開始! 残りは森の入口で迎え撃つ! 繰り返す、暴走状態(スタンピード)だ。見習いは直ちに退避、残りは森の入口にて迎撃準備! 急げ、命令だ!」


 叫んでいるのは教官だ。

 オレッセオとカイルは単身で討伐を開始しているらしく、森の奥にいるようだ。従わなければと思ったが、そもそも入口が分からない。どうすれば、と思ったところで、立ちすくむ人影に気がついた。


「みんな!」


 やっぱり隠れて見ていたのか。

 ひどいとは思ったが、今は何か言うのも惜しい。

 彼らの元に駆け寄ろうとして、「来るな!」と叫ばれる。


「お、お前の体、魔獣の血がついてるんだろ? 近寄るな! あっち行け!」

「な……」

「お前が今倒した魔獣、この辺りじゃ一番弱い種類なんだ。俺たちはもっと強い魔獣の血があるから安心だけど、お前は違う。お前がそばに来たら、他の魔獣が引き寄せられる。だから来るな、近づくな!」


「何言って、私は――」

 その言葉より早く、べしゃりと何かが投げつけられた。


「お……お前が囮になれよ、岸無し!」

「そっそうだ、囮になれ。それがいい!」

「行くぞ、みんな!」


 口々に言うと、彼らは泡を喰って駆けていく。ガロルドも一緒になって逃げて行った。

 ステラに投げつけられたのは獣の血だ。どうやら先ほどの残りがあったらしい。

 この状況で、ふたたびそんな事をする目的はたったひとつ。


(本気で囮になれってことなの……?)


 おそらく、彼らが逃げ切るまでの時間稼ぎとして。

 あまりのひどさに、ステラは声も出なかった。

 だが、呆けている時間はない。

 彼らの後を追って駆け出そうとしたところで、何かが背後からぶつかってくる。


「!」


 転がりながら体勢を立て直し、起き上がるのと同時に剣を向ける。

 だが、そこでステラは愕然とした。


「魔獣……!?」


 それも一匹ではない。次々に現れた魔獣が、ぐるりとステラを取り囲む。

 先ほどと同じ、狼タイプの魔獣だ。低い唸り声を上げ、こちらにゆっくりと近づいてくる。

 気づけばステラは十数匹の魔獣に囲まれていた。


 この数は倒せない。

 一瞬でそう判断したものの、逃げ場はない。

 笛も狼煙も使い物にならない。そもそも今は意味がない。全員退避している最中だ。


 ――誰も助けてくれない。


 ぐっと何かがせり上がり、震える息が吐き出される。喉が喘ぎ、冷たい汗がすべり落ちた。


(なんとかしなきゃ)

 でも、どうしたら。


「グアウッ!」


 襲いかかってきた一匹をよけ、剣の先で薙ぎ払う。だが、浅い。木を背にして、死角を減らす。心臓の音が早鐘のように鳴り響いていた。


「ガルルルルッ!」

 次の一匹が飛びかかる。首を狙って一撃したが、刃は毛皮の上を横すべりした。


(斬れない)


 先ほど倒した個体よりも強靭だ。皮が硬く、毛の一本一本が刃のように尖っている。

 剣が入らなければ、倒せない。


 授業では倒し方を教わったはずだ。訓練でも何度も行ってきた。けれど、実戦はまったく違う。

 焦りが指先を震わせる。呼吸が知らず浅くなる。ひとりには慣れていたはずなのに、こんなにも心細いとは思わなかった。


(怖い……)


 だけど。


「っ!」

 二匹同時に飛びかかられ、ステラは反射的に地を蹴った。

 一体をしのぎ、もう一体を刺し貫く。だが、やはり毛皮にはじかれ、致命傷には至らない。先ほど傷つけられた肩から、じわりと血がにじみ出た。


(どうしよう)


 ステラの力で倒せない以上、時間稼ぎしかできない。

 せめて少しでも数を減らすべきか、それとも。


 焦りのせいか、考えがうまくまとまらない。

 反射的に手元を見た。だが、目をつぶって首を振る。

 駄目。――駄目だ、これでは。


(大丈夫――大丈夫。落ち着いて、冷静に)


 改めて背中を木に預け、周囲の様子を確認する。一斉に飛びかかられたらひとたまりもないが、なぜか魔獣は警戒したように近寄ってこない。疑問を覚え、ステラははっとひらめいた。


(もしかして)


 もどかしい手つきでガロルドに渡された革袋を探る。

 皮の表面がわずかに傷つき、中から赤黒い液体がこぼれている。


 ほとんど乾いていたが、先ほどの獣の血とよく似ている。ただし、匂いはもっときつい。

 思わず顔をしかめるような、独特の臭気だ。

 指先に取り、もう一度嗅ぐ。嗅ぎ慣れない香りだったが、ステラには心当たりがあった。


(これ、もしかして……)


 魔獣の血だ。

 魔獣の血があれば、他の魔獣は寄ってこない。少なくとも格下の魔獣の場合はそうだ。

 ガロルド達もこれを持っているからこそ、道をそれる事ができたのだろう。

 ただし、彼らは四人で、ステラはひとりだ。圧倒的に危険な事は変わりない。


(だけど、ないよりはまし)


 多少の牽制にはなるはずだ。

 袋を腰にぶら下げたまま、指先の血を拭う。匂いが広がったせいか、魔獣がわずかに後ずさった。

 ガロルド達の去った方向は分かっている。けれど、森の入口はどこなのか。途中で曲がっていたら分からない。ここを逃げ切ったとしても、森の奥に迷い込めば命はない。


 ――せめて、一匹でも。


 魔獣は一体と数えるが、森の獣と大差ないサイズは「匹」と数える。そうしないのは、明らかに大きさが違う場合だ。


 小型の魔獣なら匹でもいいが、中型になると「体」になる。もっとも、この森には出現しないから、どうでもいい事かもしれないが。

 そう、この森にはいないはずの――。


「……え?」


 その時だった。

 魔獣が後ろを向き、くるりと方向を変えて駆け去っていく。次々に残りの個体が続いた。あっという間に見えなくなった魔獣の群れに、ステラが呆然と立ち尽くす。


「な……何……?」


 もしかして、助かったのだろうか。

 だけど――なぜ?


 そう思った時だった。

 振り向いたステラの目の前を、大きな影がよぎった。

 反射的に剣を構え、その目が大きく見開かれる。え、という声が喉から漏れた。


 そこにいたのは、見た事もない生物だった。

 トカゲに似た外観と、異常に発達した太い手足。大きさは鹿ほどもあり、全身が硬い鱗に覆われている。


 チロチロと長い舌が揺れ、かぱりと真っ赤な口が開く。その姿には覚えがあった。

 以前、本で読んだ事がある。

 この森にはいるはずのない個体。


(なんで……?)


 中型の魔獣が、こんなところに。

 その時、ステラはある事を思い出した。


 ――魔獣の血を持っていれば、それより弱い個体は逃げていく。だから小型の魔獣に対し、魔獣の血はそれなりに効果がある。


 だが、それにも例外がある。


 ――それより強い個体の場合、血の匂いに引き寄せられて、獲物を狩りにやってくる。


「……!!」


 トカゲの尾がゆらりと動き、カチカチと爪を鳴らす。

 一瞬の後、すさまじい速さで飛びかかってきた。

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