33.魔獣の集団発生
***
(泣かせてやる)
ガロルドは燃えるような目を向けていた。
あの平民同然のみなしごの娘――岸無しのローズウッド。
自分の命令を拒み、その要求に従わず、あまつさえ手ひどくはねつけた。
組み敷いた体の柔らかさに、思わず喉が鳴ったのを覚えている。
思ったよりも胸はあり、髪からはいい香りがした。肌はなめらかで、香油でもつけているように艶やかだった。
騎士団長の使う浴室を使用しているから、付属品もそれを使っているのだろう。もしかすると、特別支給されているのかもしれない。何しろ、騎士団における女性の存在は珍しいから。
薄い夜着に包まれた体は華奢で、むしゃぶりつきたくなるほどだった。もしそうしていたら、今ごろは自分の言いなりだっただろう。
そう思うと、逃した魚の大きさに歯噛みしたくなる。それだけでなく、思い通りにならなかった悔しさにもだ。もし邪魔が入らなかったら、あんな薄い布地、一息に剥ぎ取ってしまえただろうに。
大部屋で吊るし上げた時もそうだった。
おとなしく命令に従っていれば、彼女の裸を拝めていた。それだけでなく、もっと際どい事もさせていた。実際、それを期待していた連中も多かっただろう。ガロルドもそうするつもりだった。
もっとも、実際に楽しむのは自分だけで、あとは見物させるくらいに留めるつもりだったが。
模擬戦で戦った時もそうだった。
あと少しだったのに、最後で失敗してしまった。
その結果、彼女はガロルドに勝ち、友人と呼べる存在を手に入れた。
新しく仲間になった彼らは、今まで自分に従っていたはずの人間だった。
平民や男爵家の次男以下で、それまでは物の数にも入れていなかった連中だ。それなのに、今は彼女の味方になり、少しずつ打ち解け始めている。
すべて計算外の出来事だ。
おまけに――自分を拒む際、彼女が口にした名前。
――助けて、副団長!
「あの平民……」
ギリ、と唇を噛みしめる。
あの男の事は最初から気に食わなかった。
平民のくせに、第四騎士団副団長という地位を与えられ、自分達の上に立つ目障りな男、カイル・リバーズ。
騎士団長殺しという二つ名に気後れしたのは最初だけ、実際は平凡な男だった。
多少剣の腕は立つが、それだけだ。いつも眠そうな顔をして、何をしても怒らない。感覚が鈍いのか、嫌がらせにも気づいていないようだった。顔だけは多少目を惹くものの、取り立てて目立つところのない、ただの凡人。
それなのに、時折見せる眼光はガロルドをすくませ、怯えさせた。その事がまた腹立たしい。
――あいつさえいなかったら。
あまつさえ、彼は何をしたのか、自分の家に働きかけて、婚約の話を凍結してしまった。どんなに理由を聞いても無駄だった。
子爵家の妻になれるという栄誉を拒む愚かな娘と、それを守る平民の男。
どちらも目障りだが、片方は何をしても手に入れる。
たとえ泣き叫ぼうと、慈悲を請おうと許さない。その時は、徹底的に嬲り尽くしてやる。彼女の心が壊れるまで。
そう――きっといずれは、婚約の凍結も終わるはずだ。
相手はただの平民と、母親を亡くした男爵家の娘だ。子爵家である自分に勝てるはずがない。
だからこそ、今のうちに上下関係を叩き込んでやる。
ステラ・ローズウッドをひとり森に取り残し、危険な目に遭わせる。
獣の血は魔獣を引き寄せ、彼女は逃げ惑う事になるだろう。恐怖を覚え、泣き叫び、ガロルドに助けを求めるはずだ。そうしたら、交換条件を出せばいい。
自分の言いなりになる事、妻として逆らわないと誓う事、自分が望んだら、どんな命令にも従う事――。
想像するだけで笑えてくる。
へらへら笑い、自分の命令に従っていた彼女も悪くなかったが、自分の意志を持ち、その上でガロルドに踏みにじられる娘の方が、ずっと征服のし甲斐がある。
「……っ、……っ!」
視線の先では、必死に剣を振る少女の姿がある。
早速血の匂いに引き寄せられたらしい。小型の魔獣がステラに襲いかかっている。
大きさは山犬ほどだが、油断すれば手足の肉を食いちぎられる。小型とはいえ、凶暴な種類だ。
たっぷりと魔獣の血を持つ自分達には近寄ってこない。そのため、安心してこのショーを見ていられる。
「なあ、ガロルド。そろそろ助けるか?」
そばにいた仲間が小声で問う。
「まだだ。まだ見てろ」
「けどさ、さすがにまずいんじゃないか? ひとりじゃやばいだろ、あれ」
「いいんだよ。見てろ」
にらみつけると、彼らはもごもご言いつつも引き下がった。
口の中で舌打ちし、ガロルドがふたたび前を見る。
――ステラ・ローズウッドは強くなった。
このままでは自分に従わせる事は難しい。全部あの平民のせいだ。だから今は弱らせて、傷だらけにして、逆らう力を奪ってやる。
心をへし折られ、魔獣に襲われる恐怖に怯え、希望も勇気も踏みにじられれば、少しは扱いやすくなるだろう。
だから――。
「っ!」
魔獣の爪がステラの肩をかすめた。彼らがあっと息を呑む。
「やばいよ、ガロルド。やりすぎだって」
「俺らのしたことが知られたら、懲罰ものだぞ。そろそろ助けないと」
「まずいよ。団長に殺される」
彼らはステラが気に食わないが、自分達の罪を追及されるのも怖いのだ。それくらいなら、ここで助けた方がいいと考えている。ステラへの思いやりではなく、ただの保身だ。
それはガロルドも同感だったが、まだ惜しいと考える自分がいた。
「待てって。もう少しだけ追い詰めて、泣かせた方が面白いだろ? 助けてって言われたら助けりゃいい」
「そ、それはそうだけど……」
「また服が脱げて、いいものが見られるかもしれないぜ?」
その言葉に、彼らはごくりと唾を呑み込んだ。この間のステラの姿態を思い出したらしい。
「じ、じゃあ……もう少しだけ」
「あ、ああ。そうだよな」
「もう少しだけなら……」
その時だった。
「――――ハッ!」
鋭い気合いとともに、魔獣に深々と剣が刺さった。
どっと倒れた姿をそのままに、ステラが剣の血を払う。
その呼吸は荒く、肩で息をついていたが、油断していないのは明らかだった。
「……嘘だろ」
「ひとりで……」
「魔獣を?」
彼らがぽかんと口を開ける。
ガロルドも間抜けな顔を晒していた。
「な……」
――なんだって?
小型とはいえ、魔獣は魔獣だ。見習いの、しかも女ひとりで仕留められるはずがない。
まして相手はローズウッドだ。剣の腕は平均程度、筋力もなく、体力も並み以下。明らかに第四騎士団のお荷物のはずだ。だからこそ、皆に馬鹿にされ、見下されてきた。
それなのに、今は。
(あいつのおかげなのか……?)
まさかとは思うが、ステラの剣が見違えるほど上達したのはそのころだ。
「な、なあ、どうする?」
彼らが慌てたように囁き合う。
「俺らも一緒に倒したってことにしないと、ばれた時がまずい」
「悪ふざけってことにすればいいんじゃないか? で、助けるために戻ってきた」
「ガロルド! それでいいだろ?」
「あ……ああ」
ガロルドもこんな状況は想定していなかった。
ステラをひとりぼっちにして困らせ、不安にさせて、泣かせるのが目的だった。そうすれば、二度と自分に逆らわなくなるだろう。言ってみればそれだけのつもりだった。
それなのに。
「お……おい! また魔獣が」
その時、新しい魔獣が現れた。
その気配を察していたらしく、ステラが剣を握り直す。
「なぁ、二匹目が出るの、早くないか?」
彼らのひとりが不安そうな顔になった。
「前は全然遭遇しなかったのに。それに、なんだか様子がおかしいような……」
「獣の血のせいか? それにしても……」
「っ!」
飛びかかってきた魔獣の爪をステラがかわす。だが、まだ疲労が抜けていない。息が上がり、汗が滴り落ちている。
「ま……まだだ。ここで見てるんだ」
「けどさ……」
「死にそうになったら助けてやるよ。それまでは駄目だ」
ガロルドが口の端をゆがませる。
その時だった。
森を切り裂くように、鋭い笛の音が響き渡った。
「!?」
「なんだ!?」
それは一度ではなかった。森のあちこちから、けたたましい笛の音が鳴り響く。
その音に驚いたのか、魔獣がその場から逃げ出した。
それと同時に、狼煙が空を覆っていく。
ひとつ、二つ、三つ……四、五、七、十。
明らかに尋常な様子ではない。不安げに彼らが目を見交わした時、遠くから声が響いた。
「――魔獣の集団発生を確認! 数はおおよそ百! 暴走状態だ!」
「な……っ!?」
「全員退避、速やかに逃げろ! できるだけ早く、森の外へ! 巻き込まれるぞ、急げ!」
それとほぼ同時に、地響きのような轟音が鳴り響いた。




