30.夜明けの記憶と心臓の音
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そして、実習の当日が訪れた。
見習いになって初めての討伐という事で、彼らはそわそわと落ち着かない。
授業で習った事はあるが、実際に討伐した事はない。今回は実習だが、それでも初めての討伐だ。気合いの入り方が違う。
見習いだけでは心もとないためか、第二騎士団の一部が付き添ってくれる事になった。
本来は己の団で賄うものだが、第四騎士団は団長と副団長を除き、他に正式な騎士がいない。そのため、特例として認められた。
班分けを聞いたカイルは、案の定ステラに確認を取ったが、事情を聞いて納得した。というよりも、ステラの意思を尊重してくれた。
「……まあ、俺も近くにいるからな。森の入り口くらいなら問題ないか」
「すみません」
「謝るな。部下の面倒を見るのも上官の役目だ」
ただし、とカイルが念を押す。
「実習と本番に違いはない。不穏な気配を察したら、すぐに報告しろ。勘違いでも構わない、とにかく知らせろ。場合によっては逃げてもいい」
「分かりました」
「あとな、これは世間話だから、聞き流してくれて構わないけど」
そこでカイルは声をひそめ、「…魔獣の肉、食いたいか?」と小声で聞く。
「食べられるんですか!?」
「しーっ。……人間食うやつじゃなければ大丈夫だ。見た目はともかく、部位によってはちゃんと食える。で、その肉がな、もう……筆舌に尽くしがたいほど、旨いんだ」
「おいしいんですか!?」
「焼いても煮ても旨いけど、干して炙るのがまた旨い。以前に食ったマダラワニトカゲの肉、覚えてるか?」
「はい、もちろん」
あっさりしているのに味が濃くて、噛めば噛むほど旨味が増した。間違いなく、今まで食べた中で一番の味だったと思う。
「魔獣はあれよりもっと旨い」
「……!!」
「牛も豚も旨いんだが、トカゲがまた絶品だ。魔鳥に似てるけど、あれより旨い。特に尻尾は噛みごたえがあって最高だ」
「そ、それは……っ」
「ただし、手順を失敗すると味が落ちる。できれば首、ついでに言うと、一撃で落とすのが確実だ」
ごくりと喉を鳴らしたステラに、にやっと笑う。「……スパッとな」
「さすがに難しいですよ!」
「まあ、それは慣れてからのお楽しみだな」
いたずらっぽく笑われて、からかわれたのだと気づく。
いくら小型とはいえ、魔獣を倒すのは至難の業だ。見習いならなおさらで、数人がかりで傷を負わせ、ようやく仕留めるのが関の山。オレッセオなら単独で討伐できるだろうが、そんな人間はそうそういない。正式な騎士でさえ、二人以上で当たる事が推奨されている。
(副団長に遊ばれてしまった……)
むうっとむくれつつ、ちらりと隣にいる青年を見る。
あの日以来、なんだかカイルがまぶしく見える。
一晩一緒に過ごしてくれた後――もちろん何もなかったが――の翌朝、ステラは彼の腕の中で目覚めた。
どうやら泣き疲れて眠ってしまったらしい。
子供みたいだと恥ずかしくなりつつ、今の状況に気づいて硬直する。
カイルはステラを抱きかかえたまま、ぐっすりと寝入っていた。
彼の寝起きの悪さは熟知している。あの時と似たような状況だが、今の方がまずかった。完全に抱きしめられる格好のまま、彼の腕の中にいる。
長い脚がステラを閉じ込めるように囲み、しなやかな腕がステラの頭と背中を抱きしめて、自分の胸につけるような姿勢だ。蜜月の恋人もかくやという密着状態に、ステラの心臓が波打った。
(ど……)
どうしよう?
「あ……あの、おはようございます、副団長」
「…………」
「いい朝ですね。起きてください、起きましょう、起きないと」
「…………」
「起きませんか、副団長……!?」
何を言ってもカイルは目覚めない。完全に熟睡している。
いつからこうしていてくれたのか、ステラの肩には毛布がかかっている。いくら部下とはいえ、ステラは女性だ。同じベッドで寝るのは遠慮したのかもしれない。
それとも、ステラが離さなかったのか。
それを思うと胸の中が落ち着かなくなったが、それ以上にステラは困っていた。
「副団長、離してください……」
とりあえず。
「もう大丈夫ですから、あの……」
……恥ずかしい。
「ご迷惑をおかけしました。本当に、どう言ったらいいものか……」
「………ん」
「あの……ですね」
「………ん……」
「だから、あの」
「…………」
「………離して……」
答える声はない。
ん、と寝息がこぼれ落ち、腕の力が強くなる。
自分は薄い夜着姿で、体の線が透けて見える恰好だ。カイルも上着を脱いでいて、常よりも体温を近くに感じる。そんな状態で密着しているという状況に、どうしたらいいか分からない。
おまけに、今暴れたせいで、カイルの手は少しずれ、ステラの背中から腰に移動している。くすぐったいのと恥ずかしいのとで、変な声が出そうになる。それをカイルにしがみつく事で耐えた。
これは、まずい。
「副団長……お願い、ですから」
消え入りそうな声で囁く。
まずい。
これはまずい。
これ以上は、本当に。
「私、服もぼろぼろですし、泣いて顔もぐちゃぐちゃで、おまけに汗もかいて、髪もこんなで――……」
「……問題ない」
むにゃむにゃとカイルが寝言を言う。
「おまえはかわいい」
「――――……っ!」
ステラの全身が赤く染まる。
「ちょっ、副団長、起きてます? 起きてるんですか? ねえ、あの、返事、返事してください!」
「んー……」
「お願い離して、離してください、せめて汗、汗は流させて、恥ずかしい――……っ」
じたばたと暴れても、腕はまったく外れない。相変わらずものすごい力だ。それなのに、決してステラを傷つけない。まるで若木が巣の中の小鳥を守るように、腕の中に閉じ込めている。
引きしまった胸板に顔を押しつけられると、胸がどきどきして仕方なかった。
(どうしよう……)
顔が、熱い。
結局その後、カイルが完全に目覚めるまでそのままだった。オレッセオが戻ってこなかったのが幸いだ。戻っていたら事件になった。もちろん、殺人未遂の方である。
起きても半分寝ぼけた状態の彼の腕から抜け出して、ステラはようやくほっとした。
ステラを離した後、彼はふたたび目を閉じた。どうやら一時的に目を覚ましただけらしい。壁際に背中を預けた格好で、おとなしく寝息を立てている。
眠る彼に目をやると、いつもより無防備に見えた。くうくうと、気持ちよさそうに眠っている。ステラの体が離れたせいか、少し肌寒くなったらしい。もぞりと身じろぐ姿に、ステラは手にした毛布をかけた。
あれからずっと、彼の事を考える。
(副団長は……やさしいなぁ)
同情とはいえ、ここまで気にかけてくれて。
それとも元々の面倒見の良さゆえだろうか。確かに、最初から気を遣ってもらっている。
助けられた回数は数知れず、あれこれ世話まで焼いてもらった。大きな声では言えないが、精神的な支柱にさえなってもらった気がする。
彼がいなかったら、想像したくもない事がいくつも起こっていたに違いない。
とても大事な、かけがえのない人。
それを思うと、胸の奥がきゅっとする。
彼は本当にいい人だ。
そして、大切な上官だ。
「ローズウッド?」
名前を呼ばれ、ステラははっと我に返った。
「なんでもありません。大丈夫です」
「そうか。ならいい」
特に気にならなかったのか、カイルはすぐに背を向ける。
その後ろ姿を、ステラはしばらく見つめていた。




