28.王宮寮の七不思議
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それからしばらく、ガロルドがちょっかいを出してくる事はなくなった。
あの時の出来事が相当なトラウマになったらしい。カイルが靴を動かすたび、「ひっ!?」という声が聞こえていた。
婚約の話は宙に浮いたままだが、話を蒸し返される事はなくなった。
カイルが何かしてくれたのは本当のようだ。一体どうやって、とは思ったが、いまだに明確な答えはない。
それはともかく、ステラの毎日は充実していた。
「ローズウッド、脇が甘い」
剣術の相手役になったラグラスが、鋭い突きを見舞ってくる。かろうじて回避したものの、体勢が崩れて一本取られる。ステラは流れ落ちる汗をぬぐった。
「体力がなくなってくると、だんだん手が下がってくるな。もう少し引きしめた方がいい」
「分かった」
「あとは足さばきだが――」
「おーい、そろそろ昼飯の時間だぞ」
声をかけてきたのは別の同期だった。
「その辺にしとけよ、ラグラス。ローズウッドも行くだろ?」
「うん、ありがとう」
ガロルドと戦った日から、ステラの周りには人が集まるようになっていた。
彼らはガロルドの横暴に逆らえなかった同期達で、あの日謝罪してくれた人々だ。ほとんどは平民だが、中には男爵家の人間もいた。
みんなで連れ立って食堂へ行き、昼食の席を囲む。カイルは少し離れた席にいて、先に食べ終えている。今では夕食の時もそんな感じで、カイルと過ごす時間は減った。
何とはなしに見ていると、ばっちりと視線が合う。
次いで、青灰色の瞳がふっと細められた。
(見守られている……)
その表情がやや楽しげに見えるのは、気のせいではないだろう。
改めて今まで付き合わせてしまったのだと悟り、申し訳なくなる。本当に面倒見のいい人だ。
「なあなあローズウッド、あとで繕い物見てくれよ」
「いいよ。どこが分からないの?」
「洗濯のコツって何? 泥汚れが落ちないんだけど」
「先に泥を乾かしてから、叩いて落とすの。洗うのはそれから」
「防具の手入れがさー、うまくいかなくてさー」
「……お前ら」
そこでラグラスが息を吐いた。
「ローズウッドは母親じゃない。いい加減にしろ」
「い……いいよ、ラグラス」
ステラがぱたぱたと両手を振る。
「困ってるなら手伝うから。その代わり、みんなも手が足りない時は手伝ってくれる?」
「それはもちろん」
全員が声をそろえて宣言する。ラグラスは「お前ら…」と呆れた顔をしていた。
「だってローズウッドってばやさしいんだもん。ほら、あれみたいだよな。王宮寮の妖精さん」
その中のひとりが楽しげな顔になる。彼もあの試合の後謝りに来てくれたひとりで、黒髪のお人好しそうな顔立ちだ。ステラとも割と仲がいい。
「なんだそれは」
ラグラスは知らなかったのか、怪訝な顔を隠さない。
「ほら、有名な話だろ。王宮寮には薔薇の妖精がいて、幸運を運んでくれるって」
「ああ、聞いたことある」
すぐに他の同期が入ってくる。
「見ると幸せになれるんだよな。王宮寮が薔薇に囲まれてるのはそのせいで、厨房にパンとミルクを置いておくと、翌朝にはなくなってるらしい」
「俺はお菓子だって聞いたなぁ」
「俺は花だって言われたけど。人によって違うんだな」
うんうんと彼らが頷いている。初めて聞く話に、ステラも興味深そうに耳を傾けた。
「騎士学校の七不思議だよな。ローズウッドも聞いたことあるだろ?」
「初めて聞いた。有名な話なの?」
「えっそうなのか? あーでも、ラグラスも知らなかったしな。みんな知ってると思ってたけど、そうでもないのか……」
どうやら、退屈な寮生活を面白くしようと囁かれ出した噂らしい。
騎士学校の寮の立地は独特で、王宮寮は南にあり、騎士生寮は北側だ。騎士生寮は大所帯で、北東と北西に分かれている。また、授業も基本的には別々で、決まった合同授業以外、顔を見る事はほとんどない。
寮の場所が違うため、王宮寮と騎士生寮はかかわりが薄い。そのため、想像だけがふくらんで囁かれるようになった結果だろう。ステラの耳に届かなかったのは、寮が違うせいかもしれない。
「それで言うなら、俺は第三寮の小人さんの方が興味深い」
「オレ第二寮の魔物さん! 十年くらい前に大暴れして、寮の壁粉々にしたって話!」
「俺は第一寮のメイドさんかな」
「あっ知ってる! 身の回りの世話を焼いてくれる美少女メイド! 俺も欲しい!」
「まあ、実際は使用人が紛れ込んでて、こっそり世話焼いてもらってたんだろうけど」
「だよなー」と彼らが一斉に頷く。
「王族と高位貴族の集まりだもんな、第一寮って」
「それで言うなら第二寮の魔物さんも騎士生同士の喧嘩だろ?」
「あの壁粉砕できるやついるのか? ていうか、そんなやつが王宮寮に入れるのか?」
「小人だけ謎だ……」
彼らの口ぶりは楽しそうだ。もう騎士生ではないのだが、オカルトはいつでも人気の話題だ。
ステラは聞いた事がなかったが、妖精がいないのは知っていた。
「魔物と言えば、そろそろ実習が近いよな」
そこでふと誰かが口にした。
「最近さ、辺境の森で魔獣が出ただろ? 小型の魔獣だけど、万が一に備えて、警備を強化することにしたらしい。その関係で、俺たちも実習が早まったんだって」
「確かに、俺たちって実戦経験が少ないもんな」
騎士学校時代、やはり実習で何度か森を訪れた事はあるが、その時は魔獣と遭遇しなかった。討伐方法は習ったものの、身になっているとは言いがたい。
ステラのいる第四騎士団は、新しく作り直されたばかりだ。経験のある人間はほぼおらず、団長と副団長に頼るしかない。
その団長ことオレッセオも、今は忙しく動き回っている。
他の騎士団とも連携を取り、魔獣の情報を共有している。特にここ数日、二度にわたって魔獣の目撃情報があったため、何かの前触れかと言われているらしい。
「そういえば、六年前にも魔獣の集団発生があったらしいな」
「え……そうなのか?」
「座学の授業で聞いただろ。辺境の森で魔獣が集団発生したって。詳しくは教えてもらえなかったけど、覚えてる」
その話はステラも知っていた。以前、カイルが教えてくれた内容だ。
「そういえば、詳しい話は聞けなかったよな。例の『騎士団長殺し』があったのと同じ時期だっけ」
「いや、副団長は誰も殺してないって言ってたよ?」
思わず口を挟むと、彼らも笑って頷いた。
「まぁそれは信じてないけどさ。そこそこ強いのは本当だろうし、一緒にいたら心強いかなって」
「けど、さすがに団長レベルじゃないだろうしな。あー、実習では団長の近くにいたいなー。やっぱ不安だしなー」
「俺は第二騎士団だな。正直、そばにいるだけで安心っていうか、一緒に戦えたら最高だよな」
「第三騎士団の魔法騎士だってすごいぞ。天才三人に加えて、経験豊富なベテランに、超有能な新人だろ? 当日は応援に来てくれないかなぁ」
「いっそ第一騎士団に混じって、王子と一緒に守ってもらうとか……」
「何のための実習だよ」
あちこちから小突かれ、彼はへへっと照れ笑いした。わいわいと騒ぐ彼らをよそに、ステラは首をかしげていた。
(そうかな?)
カイルは確かに、目立つほどの強さは見せない。
けれど、ステラとの特訓中、どんなに無茶な攻撃をしても、彼がかわせない事は一度もなかった。その動きはオレッセオにも引けを取っていなかった――気がする。
だけど、確証はない。
その横で黙々と食事をしていたラグラスが言う。
「ローズウッドは、もう班分けを決めたのか」




