25.忍び寄る悪意-1※
その日は夕方までカイルの部屋で休ませてもらい、日が落ちた後に自室へ戻った。
カイルは「別の部屋で眠るから、このまま泊まっていけばいい」と言ってくれたのだが、ステラがそれを断った。さすがに一晩借りては申し訳ないし、すぐ隣は自分の部屋だ。
夕食直前、オレッセオは急な用事で席を外し、カイルも緊急の呼び出しを受けた。どうやら魔獣が出現したらしい。
昼間もそんな事を話していたが、あれはガロルドの策略だった。今度は本当なのだろうか。だとすると、第四騎士団も呼ばれるかもしれない。
第四騎士団は再結成されたばかりで、実戦による経験が少ない。
次の週末に国境近くの森で魔獣討伐の実技訓練を控えており、それが初めての本格的な討伐となる。
国境近くの森は辺境の逆端にあり、たまに弱い魔獣が出現する。
昨今はその頻度が高くなっており、騎士団も注意している場所だ。
国境と辺境、正確な事を言えば、どちらも辺境で間違いないが、無害な方は「国境近くの森」、危険な方は「辺境の森」と呼ばれている。
どちらもその先に森が広がり、他国との緩衝地帯になっている。特に辺境の先は、険しい山々と見渡す限りの深い森で、魔獣の発生源とさえ言われている。
あんな場所で六年間、無期限謹慎処分というのがすごい。
謹慎と言いながら、実際はばりばりに第一線で活躍していたそうだ。
いっそ追放か強制労働の方がよかったんじゃないかと本人が言ったが、そうはならなかったらしい。謎だ。
寝る準備を整え、ステラはベッドに潜り込んだ。
鍵をかけて、朝まで部屋を出るなと言われている。
言いつけを破る気はなかったが、オレッセオもカイルもいない夜は初めてで、なんだか妙に寝つけない。昼間に眠ったせいもあり、完全に目が冴えている。
その時、入り口付近で物音がした。
(副団長?)
だが、彼が戻ってきた時は声をかけると言っていた。オレッセオの方も同様だ。この寮は足音が響かないが、扉を開ける時には金属音がする。あれは鍵が回る音だ。
しばらく耳を澄ましていたが、どちらの部屋からも気配はしない。
気のせいだったのだろうか。
ほっと息をつき、ステラは改めて目を閉じた。
自分が思うより気が高ぶっているのかもしれない。
(やっと、一歩進めた)
自分だけの力では無理だった。そうできたのは、ステラがひとりではなかったからだ。
カイルやオレッセオ、以前の仲間に、新しくできた仲間達。
感謝と尊敬。そして、限りない信頼と心強さ。全部みんなから教わった。
できるなら、もっとその先まで。
みんなと一緒に、進んでいけたら――……。
「……え?」
その時だった。
何かがのしかかってきたかと思うと、いきなりうつぶせに返された。両腕をつかまれ、口を手のひらでふさがれる。ぎょっとして足をばたつかせると、「おとなしくしろ!」と囁かれた。
「暴れるなよ。暴れたら殴るぞ。騒いでも殴る」
「んーっ! んー!」
「暴れるなって言ってるだろ!」
がつっと音がして、肩のあたりを殴られたのが分かった。息が詰まり、一瞬動けなくなる。ステラがおとなしくなった隙に、相手は後ろ手に両手を縛り上げ、「騒ぐなよ」と念を押して体を離した。
その顔を見たステラは目を見張った。
「……ガロルド?」
そこにいたのはガロルドだった。
手にした合鍵を放り投げ、「不用心だったな」と口にする。いつの間にか分からないが、合鍵を作られていたようだ。それを使って侵入してきたらしい。
「ノーショアのくせに……」
ガロルドの目は血走り、頬は腫れていた。誰かに殴られたのかもしれない。けれど、それを問う事はできなかった。
胸ぐらをつかまれ、ぎらついた顔が近づいてくる。
「お前のせいで、俺の計画はめちゃくちゃだ。お前ひとりが犠牲になって、言うことを聞いてればよかったのに。言われた通りに、雑用でも召使いでも性欲処理でも、なんでもやってりゃよかったんだよ!」
「そんなこと……っ、できるはずないでしょう?」
「うるせえ! お荷物の役立たずが!」
手加減なしに突き飛ばされ、シーツに叩きつけられる。薄いベッドが揺れて、ギシリと大きな音がした。
「今からでも遅くない。奴隷になれよ、ローズウッド」
「何言って……」
「俺の雑用係になるって誓え。二度と逆らわないって約束しろ。そうしたら助けてやる。みんなの前で跪いて許しを請えば、お前のことを許してやるよ」
ガロルドは引きつった笑みを浮かべていた。
「簡単だろ? 今までやってたことだろうが。いつも通り、へらへら笑って、俺の言うことを聞いてりゃいい」
「……できない」
「はぁ?」
「できない、そんなこと。私はやらない」
ガロルドはぽかんとした顔をしていた。だが、すぐに眉を寄せ、ぱんっとステラの頬を叩く。軽い衝撃とともに、ステラの頬が赤く染まった。
痛みはさほどない。恐怖を与えるのが目的だ。
そしておそらく、あまりひどくしないのは、団長や副団長に気づかれないためだろう。腫れるほど強く叩いてしまえば、すぐに原因が明らかになる。本当に、どこまでも卑劣な男だ。
「やれよ、ローズウッド」
「できない」
「それでもやるんだ。これは命令だぞ、ローズウッド」
「やらない。しない」
「言うことを聞け!」
もう一度頬を叩かれたが、ステラは彼を見て言った。
「絶対にやらない!」
「この……っ」
大きく手を振りかぶられて、ステラはぎゅっと目を閉じた。
だが、覚悟した痛みはやってこない。
それとは別に、荒い息遣いが降ってきた。
「――なら、無理やりにでもそうさせてやるよ」
「な……っ?」
乱暴に仰向かされ、強引に肩を押さえつけられる。足の間にガロルドの膝がねじ込まれ、黒い影が覆いかぶさってきた。
「ガロルド、何……っ?」
「お前を俺のものにする。一度痛い目を見れば、逆らおうなんて思わないさ」
「痛い目って……」
その瞬間、カイルに言われたセリフを思い出した。
――その場合、お前は女だから、あんまり想像したくない事になる。
その意味が理解できた瞬間、ステラは必死に暴れ出した。
「やめて、ガロルド! こんなの嫌だ!」
「うるさい、黙れよ!」
「嫌だ、嫌! やめて!」
ステラは声を張り上げた。
「絶対言うことなんて聞かない、言いなりにはならない! こんなことしたって無駄だから。私は、絶対に――」
「――ステラ・リンゼイ」
その言葉を。
ステラは、信じられない思いで聞いた。
「……え……?」
「おっ、顔色が変わったな。じゃあやっぱり本当の話なのか。お前が実は男爵令嬢で、義理の母親とうまくいかず、騎士団に入るしかなかった娘だってこと」
ガロルドはにたりと笑っていた。茶色の目が光り、狡猾そうに細められる。
「なんで……それ……」
「平民の女なら、妾くらいで済ますつもりだったんだけどな。仕方ないから、お前を俺の妻にしてやるよ。身分的には釣り合わないけど、仕方ない。喜べ、ローズウッド。貧乏男爵令嬢が子爵家の妻になれるんだ」
「……妻?」
「ただし、夫の俺には絶対服従だ。逃げるのも口答えも許さないからな」
いいなと言われ、ステラは呆然と彼を見た。
腕を縛られている事も、顔を叩かれた事も、頭の中から消え去っていた。
なぜ――どうして、その事を。
誰にも言っていないはずなのに。少なくとも、第四騎士団の人間には。
もしかして、騎士団に提出する書類を見たのだろうか。
団長のオレッセオはともかく、ガロルドにそんな権限はない。本部の人間を買収すれば可能だ。けれど、なぜ? 何の目的で?
いや、それ以前に――妻?
「意味が分からない……。なんの、話……」
「お前の家に了解は取った。二つ返事で承諾してくれたぜ? うちの娘とは思わないから、好きにしてくださいって話だった」
「……そんな」
「名実ともに、お前はみなしごの岸無しってわけだ」
ガロルドは暗い笑みを浮かべた。
「おとなしくしてろよ。お前は一生、俺のオモチャだ」
のしかかってくる体重に、ステラは小さく首を振った。
ガロルドの、妻? 今後一生?
こんな男の言いなりになって、こうやって尊厳を踏みにじられて、弄ばれて過ごす事が。
それがこの先ずっと待っているというのだろうか。自分の意志など関係なく。
そんなのは――嫌だ!
ステラは一度目をつぶった。
震えそうになる呼吸を整え、両手をきつく握りしめる。
飽きるほどカイルと特訓してきた事は、体にちゃんと染みついていた。
――何度も言うぞ、ローズウッド。もしも血迷った輩に襲われたら――……。
迷うな!
ステラは膝を蹴り上げた。「ごふぅっ!?」とガロルドが悶絶する。
倒れ込んでくるところを狙って、思い切って頭突きする。「ほげっ!?」とガロルドが鼻を押さえてのけぞった。
よろけたところに肩をひねり、さらに一撃。カイルに教えられた通り、手加減はしなかった。
「ひょぁぶっ!」という悲鳴を上げて、ガロルドが体を折り曲げる。縛られているせいでよろけたが、ステラはなんとか立ち上がった。
逃げなくちゃ。
この部屋を出れば誰かがいる。運がよければ、騒ぎを聞きつけてくれるかもしれない。
「誰か――……っ」
だがすぐにつかまり、床へと押し倒される。
「逃がすかよ、ノーショア!」
「いやだ、やめて! 離して!」
「おとなしくしろ!」
背中を殴られ、力任せに押さえつけられる。ステラは必死に抵抗した。
「やだ、離して! 触らないで、やめて!」
「二度と逆らえなくしてやる。あの平民にも、たっぷり思い知らせてやるよ!」
「嫌だ、嫌、嫌ぁっ!」
副団長、とステラは祈った。
――それでもどうしても、どうにもできない事があったら。
(その時は)
――叫べ。助けてやる。何があろうと、必ず。
ガロルドの手が下着にかかり、ステラが小さく息を呑む。
「やだ、やだ、嫌だ! 誰か来て、助けて! 団長、副団長っ!」
「騒いだって、誰もいねえよ。じっくり可愛がってやるからな」
「いやだ、副団長、副団長! 副団長助けて、副団長――っ!」
「――もちろんだ」




