2.第四騎士団の同期たち
ステラの母が亡くなったのは、今から十一年前、ステラが六歳のころだった。
自分と同じ栗色の髪に、琥珀色の瞳を持つ母の事が、ステラはとても好きだった。名ばかりの貧乏男爵家に嫁ぎ、大変な事も多かっただろうが、彼女はいつも笑っていた。
急な病を得て亡くなってからも、ステラの心には母がいた。
だが、翌年。
父親が再婚する事になり、ステラの環境は一変した。
新しい母親はステラの事が気に食わず、最初からよそよそしくされていた。
仕事で父がいない時は、あからさまに冷たくされ、食事の量を減らされた。
母親の遺品を売り払おうとした時だけ、ステラが激しく抵抗した。だが、それが継母の怒りを買ったらしい。その日からステラの扱いはさらにひどいものになった。
いつもお腹を空かせ、すり切れた服を着て過ごす日々。
形だけとはいえ、マナーや言葉遣いを教えてくれた母との生活とは正反対だった。
父親がいる時は取り繕うが、それ以外はほとんど無視か、長時間の説教だ。
たまに手が出る事もあり、そんな時は腹に力を込めて耐えた。
王立騎士団の存在を知ったのはそんな時だ。
十三歳から入学できるし、十五歳からは寮にも入れる。
おまけに、食事も住むところも用意される。まさに至れり尽くせりだ。
毎日腹を空かせていたステラが飛びつくのは当然だった。
(まあ、それだけが理由じゃないけど……)
訓練後、ひとりで防具を片づけながら、ステラがほうっと息を吐く。
この後は汗を流してから夕食だ。
遅れると色々と不都合なので、あまり時間はかけられない。
かといって、道具の手入れがおざなりだと、明日叱責を受けてしまう。
(最悪、残り物をかき集めればなんとかなるか……)
そう思い、道具の手入れに専念する。
ステラがしょっちゅう食事を食べ損ねるのを見かねてか、顔なじみの料理人が料理を取っておいてくれるようになった。それだけでなく、パンや果物も回してくれる。その他にも、いろいろ手助けしてくれる人がいる。
正直、同じ騎士団の仲間よりも、彼らの方がよほどやさしい。
だが、それに甘えすぎるわけにもいかない。
ようやく防具の手入れが終わったのは、食事時間の終了五分前だった。
「……え?」
だが、たどり着いた食堂に、ステラの分の食事はなかった。
「あれ? 今日は遅くなるからって、君の仲間が持って行ってくれたんだけど」
ステラの事情を知らない新人が、不思議そうな顔で言う。
「そ、そうですか……」
「あとで直接受け取って。おつかれさま」
ほわんと笑う彼に悪気はない。
だがしかし、これで今日の夕食抜きは確定だ。
何か残り物はと聞きたかったが、そうなると、彼らに嫌がらせを受けている事がばれてしまう。
騎士団は団結を重んじる。普通なら連帯責任だが、彼らはその原因となったステラを恨むだろう。そうなると、ここでの生活がさらに辛いものとなる。それは、できれば避けたい。
それだけでなく、もし万が一、不和の原因であるステラを排除する方向で動いたら。
特に男尊女卑の色濃い第四騎士団は、その可能性がゼロではない。
(駄目だ、言えない)
一瞬でそう判断すると、ステラはへらっと笑顔になった。
「そうします。ありがとう」
「また来てねー」
ひらひらと手を振る彼に見送られ、ステラは空きっ腹を抱えて歩き出した。
(うう、お腹減った……)
食事抜きなんて、実家で終わりだと思っていたのに。
いや、もしかしたら、本当に食事を取っておいてくれているかもしれない。
急いで寮に戻り、みんなが集まる大部屋へ行くと、一斉に視線が集まった。
「よう、終わったのかよ、防具の手入れ」
にやにやと笑いながら聞いてくるのは、同期のガロルドだ。
黒髪に濃い茶色の目をした大柄な人物で、ステラにしょっちゅう嫌がらせしてくる。
「今終わったところ。あの、それで、私の食事……」
「ああ!」
そこでわざとらしく手を打ち合わせ、大声で言う。
「悪いな。ついうっかり、俺のと間違えて食っちまった」
「そ、そうなんだ……」
「俺の食べ残しでよければ分けてやるけど。床に跪いて舐めるか? 尻尾振ってさ」
ぎゃはははっと笑い声が起こる。
普通の令嬢なら逃げ出すような暴言にも、ステラは言い返さなかった。
少し眉を下げて、へにゃりと笑う。
「……それはいいかなぁ。預かってくれてありがとう、次からは自分でできるから」
「つーかさ、お前」
そこで真顔になったガロルドが顔を近づける。
「なんで俺とタメ口利いてんの?」
「え?」
「敬語だろ、普通。言ってみろよ、ありがとうございます、ガロルド様って」
「えっと、でも……」
「お前みたいな足手まといがひとりいるだけで迷惑なんだ。せめて俺らにかしずいて、迷惑かけて申し訳ございませんでしたって言ってみな」
「それは……きゃっ」
いきなり頭をつかまれて、無理やり膝をつかされそうになる。
「やれやれっ、ガロルドーっ」
「やっちまえ、ほら早くっ」
「手加減すんなよー」
周囲からはやし立てられて、頭をつかむ手に力がこもる。足を踏ん張って耐えながら、ステラはふっと重心をずらした。
「うわっ!?」
いきなり突っ張るものがなくなり、ガロルドがたたらを踏む。
なんとか転ぶのはこらえたが、その顔が見る間に真っ赤になった。
「てめえっ……」
(あ、失敗した)
ガロルドは彼らのリーダー格だ。もっとうまく「負け」ておかないといけなかったのに。
どうしようと思っていると、ガロルドがじりじりと近寄ってくる。
「一度痛い目に遭わせないといけねえみたいだな、生意気なクソ女が」
「あ、あははは……」
ガロルドの父親はハーヴェイ子爵だ。立場的にも、騎士団での地位においても、彼に逆らうのはまずい。
とはいえ、跪くのはやり過ぎだろう。
困ったなと思っていると、扉の開く音がした。
「――何を騒いでいる」
現れたのは二十代半ばほどの青年だった。
短い銀髪を刈り込み、日に焼けた肌は浅黒い。それなのに、彼を表す言葉は「知的」の一言に尽きる。
厳しい顔つきのまま、彼はぐるりと周囲を見回した。
「だ、団長!」
「なんでもありません、ふざけていただけですっ」
彼らの声を無視し、向かい合ったままのステラとガロルドに目を留める。
「……ローズウッド、ハーヴェイ。何か問題でも?」
「えっと……もが」
「なな何もありません、そうだよな、ローズウッド!?」
答えようとしたステラの口をふさぎ、ガロルドが焦ったようにまくし立てる。
「みんなも言っているように、少しふざけていただけです。お前の分の食事なら、ちゃんと取ってあるって。腹いっぱい食えよ、な?」
「もが……はい、ガロルド様」
「ガロルド様?」
「ローズウッド!」
ガロルドが悲鳴のような声を上げる。
「……団員同士に身分の上下はないと教えたはずだ。少なくとも、第四騎士団には存在しない。それは見習いであっても同じことだ。嫌なら出て行って構わない。そう言ったはずだが?」
静かな目で見下ろされ、ガロルドが焦った顔になる。
「こっ、こいつの悪ふざけですよ! そうだよな、ローズウッド?」
「だけど……」
「ガロルドでいいって言ってるだろ。もしくは名字! そうだよな、なっ?」
「……他のみんなもそれでいいの?」
同意を求めるように目をやれば、そろって頷く。
それを確認し、ステラはへらっと笑みを浮かべた。
「分かった。冗談だったんだね、びっくりしちゃった」
これからはそう呼ぶねと言うと、彼らはほっとしたように頷いた。
それを見ていた団長――オレッセオは、ただ一言だけ告げる。
「問題がないなら、いい」
彼が出て行くと、途端に周囲の緊張が解けた。
床にへたり込むガロルドの前で膝をつき、首をかしげる。
「私のご飯、あるの?」
「あるわけねえだろ。ふざけんな」
「だってさっきはあるって……もが」
「いい気になるんじゃねえよ! 団長にチクったらどうなるか分かってんだろうな。さっさと出て行けよ、ノーショア・ローズウッド!」
口をふさがれた後、ドンッと突き飛ばされる。
「岸無しの分際で、俺らと対等でいられると思ったら大間違いだ。その甘えた考え、きっちり叩き直してやるからな!」
指を突きつけられ、鼻息荒く宣言される。
彼の顔はイノシシに似ているので、少し……ほんの少しだけ、笑いそうになる。
口元がむずむずするのを抑え込み、ステラはやはりへらっと笑った。
「分かった。それじゃあね」
お読みいただきありがとうございます。嫌なやつらだよ……。
あっブクマと評価といいねありがとうございます! 嬉しいです!