緑色の放物線
書きたいところまでが遠い
「いっちにーさぁんしー……ぃたた。体がなまっているわね」
店の前でストレッチをするオカマ。その恰好は、ヒールやドレスといった先ほどまでの煌びやかな姿ではなく、長袖、長ズボンなど、極力露出の避けた、言わば登山家のような服装である。……と言っても、今いるここは山ではない。彼女に登山の趣味はなく、登山靴や専用のウェアなどもなかった。安全靴や薄めの長袖など有り合わせのものだが、草木や枝から身を守るくらいには役立つだろう。
幸いにも、気温や気候も落ち着いており、『不安定な気温、気候』の対策より、長距離の探索に特化した『動きやすさ』に重きを置いた服装である。
腰には日曜大工レベルの工具ポーチ。鉈がないため大きめの工作用カッターナイフ。道しるべ用にビニール紐などがぶら下がっている。傍らには大きめのリュック。中にはペットボトルの水と1食分の食料、救急キットのみ。少ない荷物だが今回は周囲の探索のみで終わらせようと考えていた。
「さてと。まずは川ね」
河川は、サバイバルの中でもとくに重要である。当たり前のように水が確保でき、群生している野草や川魚など、食料も確保できる。そして必要としているのは人間だけではない。動物だって川を利用するのだ。……といっても、彼女には狩猟の心得はないのだが。
そして、電波が繋がらない奥地ということは、現地の人間の生活レベルも低いと予想される。河川を利用する人を見つけられるかもしれない。あわよくば同じことを考えた3人と合流できるかもしれない。等々、理由はたくさんあった。彼女はそこまで考えて――
「水道が出ないってことはお風呂に入れないってこと。せめて水浴びでもしないとイヤ」
――いなかったかもしれない。兎にも角にも河川を探すことには変わりはない。結果オーライである。
彼女としても謎の地震の際に、こぼれた酒や緊張からの脂汗、何より化粧を落としたかった。だが実際、ミヤビの考えもこの状況では正しいものだった。体の匂いを落とすというのは野生の動物から狙われ――
「化粧をしたまま寝るなんてお肌の大敵。言語道断よ」
……もはや何も言うまい。
ストレッチを終え、リュックを背負うと、再度オカマは気合を入れる。
「っしゃっ! 行くわよ!」
足取り軽く、森に入っていくのだった。
森に入り数時間。北に向かってある程度進んで引き返す。今度は西に向かうが、これもまた引き返す。見知らぬ森の深入りほど怖いものはない。わかりやすい目印がない限り、現状出来ることが――すぐ戻ることのできる程度の――周囲の探索なのだ。つまりこれは探索の為の前段階なのである。
北にはツタが茂った大きめな樹が目に入った。それの幹にビニール紐をぐるりと一周巻きつけて縛り、同じく幹にカッターで『ミヤビ→』と傷を付ける。探索の範囲が広くなるにつれ、役立ってくれるだろう。あわよくば三人のうちの誰かが見つけてくれるように願う。
西で洞穴を発見する。何度か声を出して反応を待ったが、返答はない。ライト云々を持ってきていなかった為、探索を諦めた。スマートフォンのライトもあったのだが、バッテリーのことも考え、スマートフォンは電波がある場所を見つけた際に使いたかった。
西から拠点へと戻っている時のこと。ようやく生き物を目視出来た。木から木へと四足で駆け回る小動物。あの特徴的な長くそれでいて丸まった尻尾。遠目から見るにリスのようだ。
「あら、可愛いわね」
走り去る後姿しか見えないが、漠然と「あの動物はリスである」と決め込んだミヤビは心和らいだ。
そのリスを追うかのように、もう一匹。小さな樹冠の中から姿を現す。そしてそのリスは立ち止まり、辺りを見渡したその時。ミヤビはようやくリスらしき生き物の正面を見た。
愛らしい顔に似合わない、とがった犬歯だった。
「見たことないわね。新種かしら」
相も変わらずのんきなオカマである。
げっ歯類に犬歯は存在しない。彼らのほとんどは草食だからだ。げっ歯類特有の二本の前歯、『門歯』で果実の殻を砕いて、『臼歯』と言われる平らな奥歯ですりつぶして食事をする。それが普通のげっ歯類である。
だが、辺りを警戒しているリスもどきはどうだろう。立派に生えた左右の鋭い犬歯。それが肉食であることを物語っている。……という知識を彼女は持ち合わせていない。残念なオカマである。
肉食のリスもどきを見て勝手に安らいでいるオカマは一度拠点に戻ってきていた。服に着いた葉や虫を払いつつ、一息つく。
「次は南ね」
ミネラルウォーターをほんの少し口にしながらリュックを背負い直す。高めの草木をカッターで切り、視界と足の踏み場を確保する。北、西と続きこの作業も三回目で慣れてきていた。ゆっくりとだが確実に安全に進んでいく。
やかましい鳥の鳴き声や、風で揺れる草木の音。その中に、小さくだが、せせらぎの音を確かに聞いた。
「川っ! 近いじゃない!」
そこから数分。と言っても長い距離ではない。数歩進んでは枝を切り、草木をわけ、また進む。繰り返し繰り返し、ようやく着いたそこは、立派な河川であった。
川幅は広すぎず、対岸までは数メートル。深さもある程度あるし、底にある石が目視出来るほどに澄んでいる。川の中では魚が数匹の群れを成して泳いでおり、川の流れが緩やかであった。
これ以上ないほどの綺麗な川である。今回の目的を達成したミヤビは、その光景を見て――
「……ちょっとお花摘み」
――あろうことか尿意をもよおした。
本当は便座に座って済ませたいが、ここは仕方なく男という部分をいかすべきだと、ミヤビは考えた。有体に言えば立小便である。
清流に向かって……というのは気が引けたため、近くの木の根のあたりにすることに。
ジッパーを開け、放尿を開始するとともに、ミヤビは驚愕した。
「な、なによこれぇぇ!」
放たれた尿の色は、鮮やかな緑色だった。
汚くですんません