(2)
「私は彼女を守れなかった。いや、私の婚約者になったからこそ、彼女は命を落としたのだ。だから私は、特定の相手を作らないことにした。自分のために、これ以上人が死ぬのは耐えられない」
やはり、そうだったか……と、オリヴィエは思う。
彼は自ら、権力者の道から降りたのだ。
騎士学校時代、二つ年下のヴィルジールは文武に優れた孤高の王子だった。
護衛のジョエル以外には取り巻きもおらず、王族とお近づきになりたい貴族令嬢は、例外なく冷たくあしらわれていた。
婚約者を亡くした後、別人のように軽薄で女にだらしない男に変貌したが、授業で剣を交える時の彼は、以前と変わらない意志の強い真剣な眼差しを向けてくる。
だから、彼の本質はきっと変わっていないと思っていた。
学生時代にヴィルジールと接点がなかったセレスタンは、彼を「女ったらし」と嫌悪するし、世間では同様の評価をする者も多い。
それでも、第二王子が体を壊し、第三王子は魔術研究にのめり込んでしまったこともあり、第四王子の実質的な王位継承順位は変わらなかった。
第四王子派だった貴族の中には、今でも彼に一縷の望みを持っている者もいるという。
それが、王太子を苛立たせることになったのかもしれない。
「大国のザウレン皇国まで行けば、ドゥラメトリア王国の影響は及ばない。婚姻を結ぶ相手も権力の座から遠い第三皇女だから、王国が皇国と事を構えるようなことさえなければ、穏やかに暮らしていけるだろう」
「殿下はまた、囚われの身となるのですか」
前世では『死の森』の奥地に何百年も囚われていた彼が、今世では隣国に人質として囚われるのだ。
玉座をも狙える有能な第四王子が、爪も牙もすべて隠し、大人しく隣国の檻の中に入る。
そんな人生を甘んじて受け入れようとするのは、前世の記憶と後悔も影響しているのかもしれない。
「だが、魔王よりはましだろう? いいんだよ。これで誰も傷つけることはない」
ヴィルジールは、オリヴィエの言葉の意味を察して薄く笑った。
そして言葉を続ける。
「留学までの最後の期間は、特に何も成すべきこともなく、無為に過ぎて行くはずだった。だが今は、この半年の間にどうしてもやりたいことができた」
それは、『死の森』への遠征に同行し、魔王が四百年前にこの世に放った魔獣を一頭でも多く自らの手で討伐すること。
新しい魔王が存在するのなら、その正体を突き止め倒すことだ。
それが達成できたなら、彼の精神を縛る魔王の記憶を断ち切ることができるだろう。
そして、今後人質として、死んだように生きることが強いられる彼の、自由意志で生きた証にもなるのだろう。
昨日は明かされなかったヴィルジールのもう一つの重い事情に、オリヴィエは黙り込んだ。
「こんな話をしたからといって、君に忖度は求めない。厳正に判断して欲しい。私では力不足というのなら、その目標は信頼している君たちに潔く託す。だが、今は精一杯足掻きたいんだ」
彼はそう言うと、グラスに少し残っていたワインを飲み干した。
「今宵は君とじっくり話せてよかったよ」
そう言って席を立とうとするヴィルジールを、オリヴィエは「これをお忘れです」と呼び止めた。
テーブルの端に置かれていた小瓶を三本、ぐいと彼の目の前に押し出す。
ワインの余韻が残る口内に、この世のものとは思えないすさまじい味が蘇ってきて、ヴィルジールが顔をしかめた。
「一本多くないか? マルティーヌ嬢は二本と言っていただろう」
「ええ。二本は妹が言ったように今晩飲んでからお休みください。もう一本は私からの差し入れです。明日の訓練前にお飲みになると、討伐成果が上がるでしょう」
「……そうか。騎士団長殿の気遣いに感謝する」
ヴィルジールは痩せ我慢の笑顔を返して、三本の禍々しい小瓶を手に取ると中庭を後にした。




