(7)
「や、やめて。大丈夫だって言ってるじゃない」
「いや、そうは見えない。怪我をしたのなら、早く手当てをしないといけない」
「だからっ! 違うってば!」
彼は本気で心配してくれているようだ。
逃すまいと手首をしっかりと握ったまま、もう一方の手の指先で、マルティーヌの右手の表裏に触れる。
そしてすぐに、若い女性の手とは思えない硬い凹凸に気づいた。
「まさかこれは、さっき……?」
「ち、違うわよ! タコもマメも最初からあるの! 魔獣討伐をしてるんだから、当たり前じゃない!」
ヴィルジールの目の前にいるのは、月光色のドレスを纏った金の髪を優雅にまとめた麗しい令嬢。
彼女がこの国最強の、ラヴェラルタ騎士団副団長であることを完全に失念していた。
きっと睨みつけた彼女の青い瞳が、篝火の炎を映して揺れて見える。
「あ……あぁ、そうか……すまない。無神経なことを言ってしまった。マルティーヌ嬢は、そんなにその手を気にしていたのか」
「そんなこと、全然気にしてない。本当に気にしてなんか、ないわよ!」
二度も繰り返して強調するほど、本当は気にしているのだ。
彼はこれまで様々な女性と浮名を流してきたが、このような手をした令嬢に会ったのは初めてだった。
細い指の関節こそ少し太いものの、華奢な手の甲は手入れが行き届いており、白く滑らかだ。
反面、掌は荒れ、四本の指の根元や親指の内側が硬く盛り上がっている。
なんとも彼女らしい手に、ヴィルジールはふっと微笑んだ。
「フォークと扇しか持つことのない細くて折れそうな手より、君の生き様が見えるこの手はよほど魅力的で好ましい。それにこの手が、私を導いてくれたんだ。私にとっては女神の御手だよ」
ヴィルジールは開かせた彼女の掌に唇を落とした。
何もまとうもののない掌のマメの上に、そっと触れた柔らかな熱。
「え……まって、まって! あ、の……」
彼は唇の触れた場所を隠すようにそっと手を重ねて、マルティーヌを見上げた。
こんな時にいつも見せる、軽薄で手慣れた雰囲気は一切ない。
真摯でまっすぐな緑の瞳の中に、戸惑いを隠せない自分の姿が映っている。
「わ……たし、もう、帰らなきゃ。あ、明日も早いものっ」
彼の手の間から右手を引き抜こうとすると、彼の大きな両手は名残惜しそうに少し追ってきたものの、すぐに解放してくれた。
マルティーヌはドレスの裾を翻して駆け出した。
そして、蔓薔薇のアーチがあった場所までたどり着くとくるりと振り向く。
「ヴィルジール殿下っ!」
この場所なら、篝火の明かりが届かない。
リーヴィ兄さまも殿下も、暗視術は使えないはず。
負けっぱなしじゃ帰れない。
私の方が立場が上なんだから、最後に何か言ってやる!
「今日はこれ以上、魔力を使うのは禁止よ! でないと、魔力切れでぶっ倒れても知らないんだから。回復薬はあと二本、必ず飲むこと! いい? 分かった?」
どんな顔色をしていても、どんな表情でいても、相手からは見えないのをいいことに、高飛車な言葉を投げつけた。
そうでもしないと、みっともない動揺が隠せなかった。
実際には、全く隠せていなかったのだが。
「分かったよ。愛しいマティ。良い夢を」
ヴィルジールからは穏やかな声が返ってきた。
篝火の逆光となった黒い影が、軽く右手を挙げた。
もう!
相変わらずすぎて、ほんとムカつく。
普通なら見えない彼の表情が気になって、つい、暗視術と遠視術を使ってしまう。
あ……。
何かを噛みしめるような、少し照れたように笑う彼に、胸の奥がぎゅっと掴まれたような気がした。
——見なきゃよかった。
もう、一刻も早くこの場所から逃げるしかなかった。




