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(6)

「始めてくれ」


 彼の声が急に真剣なものに変わったから、マルティーヌも少し落ち着いた。


「実際は、全てを瞬時にやるんだけど、今は順を追ってゆっくり制御してみせるから、感覚を掴んで」


 彼は目を閉じると、「分かった」と頷いた。


 長剣全体を折れない程度に強化しつつ、下の刃に最大限の強化を加える。

 同様に、防御のために全身を身体強化し、剣を振り下ろす腕や、地面を踏みしめる脚、重心を取るための腰などに重点的に強化を施していく。


 うん。いい感じ。


 今、彼の体表からは、一切魔力が漏れ出していないはずだ。

 彼の持つ魔力をギリギリまで使い、手にした武器にも肉体にも、丸太を切るための最適のバランスで強化がなされている。


 これなら、さっきの兄さま以上の動きができる。

 ただし、一振りだけだけど。


「どう? 自分の中で魔力がどう動いたか、どう配分されてるか分かった?」

「ああ」

「じゃあ、そのまま剣を振り下ろして!」


 マルティーヌが手を離すと、彼はかっと目を見開いた。

 言われるままに丸太の上に添えてあった長剣を、真下に振り下ろす。

 鋭く空を切る音だけでも、以前の彼と全く違うことははっきりと分かった。


 しかし彼は、剣を振り切ると同時に情けない声を上げた。


「う……わっ!」


 あまりの手応えのなさに、彼は一瞬、空振りしたかと思った。

 そのせいで、勢い余って頭から石のタイルにつっこみそうになったが、しっかり強化された足腰が踏みとどまらせた。


 丸太の切れ端はごとりと重い音を立てて石のタイルに落ち、少し転がって止まった。

 切断した時に自分の腕に伝わってきた感覚と、足元に転がる丸太の重量感が全く一致しない。


「すごいな。これが君の……勇者の力か」


 ヴィルジールが放心したように言う。

 自分の身体が、別の何かに作り変えられたような気がしていた。


「何言ってるの。わたしの魔力はほとんど加えてないわ。わたしは殿下の魔力を、最大限の効果が出るように制御しただけ。だから、今の一撃は殿下の力よ」

「え……?」

「そう。殿下には、今の攻撃ができるだけの潜在能力があるの」

「あれが、私の能力ちから……? 本当に、そうなのか」


 『死の森』に同行する道筋がはっきり見えた気がして、ヴィルジールが大きく息をついた。


「でも、魔力制御を身につけなきゃ、宝の持ち腐れなんだからね! ベレニスの剣だって使いこなせないのよ」

「ああ、分かってる。君のおかげで感覚はつかめたと思う。感謝するよ」


 ヴィルジールそう言いながら歩み寄ってきた。

 軽く腰をかがめて手を伸ばしてくるから、マルティーヌも反射的に右手を差し出そうとした。

 そして、目に入った自分の右手にぎょっとした。


「嫌っ! やめてっ!」


 マルティーヌは彼の手が触れる寸前で、手を引いて叫んだ。


 実践不足ながら貴族令嬢としての教育は受けていたため、どれほど超絶に嫌だと思っていても、王子様の手の甲へのキスを拒んだことはなかった。

 ヴィルジールは彼女に嫌がられていることを分かっていながら、あえて過剰に儀礼をつくし反応を楽しんでいた。

 だから、これほど激しく拒絶するのも、されるのも初めてだった。


 彼の驚いた顔に、マルティーヌは自分の失態に気づく。


 やっちゃった。

 彼はこの国の王子だったのに……。


「えっ。あの、ごめんなさいっ。わたし、すごく失礼なことを……」


 彼女は慌てて弁明しながら、レースの長手袋で覆われた左手で、素手の右手をぎゅっと握った。

 その仕草は、何かを隠しているようにも、痛みをこらえているようにも見える。


「その手、怪我でもしたのか?」

「え? そ、そんなことないわ。ほら」


 マルティーヌは手を解いて両手をひらひらと振って見せたが、足は逃げるように一歩遠のく。

 言葉にも動揺が現れており、明らかに怪しい。


「私のせいで何か問題が起きたのだったら申し訳ない。ほら、見せてごらん」

「なんでもないっ。怪我なんかしてないわ」


 彼が近づくほどマルティーヌは後ずさり、身体を捻って手を隠した。


 剣を振るう手——特に右手は、剣だこやマメができ、関節も少し節くれ立っている。

 騎士団の副団長の姿でいるときは、そんな素手を晒しても全く気にならなかったし、むしろ歴戦の騎士の誇りでもあった。

 逆に、色が白く滑らかな、女性っぽい手の甲の方が恥ずかしいくらいだった。


 しかし、ドレス姿でいるときは「令嬢らしくない手を見せてはなりません」と母親に強く言われるし、病弱だという設定にも矛盾するから、人前では必ず長手袋をつけるようにしていた。


 殿下は、わたしがマルクと同一人物だって知っている。

 病弱でないことも分かっているんだから、素手ぐらい見られたって今さら構わないじゃない。


 そう思うのに、自分がドレス姿だったことに気づいてしまったら、無防備で無骨な素手の右手が恥ずかしくて仕方がなかった。


 もおーっ!

 全部お母さまのせいよ。

 あんなに口うるさく言うから、気になるじゃないの!


 母親の言いつけを守るためだと自分に言い訳しながら、外した手袋を探してきょろきょろすると、オリヴィエの上着のふくらんだポケットからレースがのぞいて見えた。


「兄さま、手袋を……」


 兄に駆け寄ろうとしたが、その前にヴィルジールに捕らえられた。

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