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(3)

 彼が剣を振るう時に放つ気合と、がつがつと丸太を叩き割る音、石のタイルに切れ端が落ちる音が、絶え間なく響く。


 マルティーヌとオリヴィエは最初のうちは様子を見守っていたが、五分もしないうちにテーブルに戻った。


「殿下の動き、どう思う?」


 椅子に戻ったマルティーヌが、七個目のお菓子を頬張りながら兄にたずねる。


「あいかわらず身体強化の使い方がなってない。あれじゃ、すぐにへばるだろう」

「だよねぇ」


 全力で丸太幼獣に挑む姿勢は評価できる。

 しかし、肉体的にも魔力的にも力が入りすぎだ。

 攻撃に熱が入るのに比例して、全身から発散される魔力も増えてしまっている。

 さほど多くもない彼の魔力が、大量に無駄遣いされているのだ。


 ああ、もったいない。

 もっと、魔力をコントロールできれば、戦闘能力は格段に上がるのに——。


 歯がゆい思いをしながら見ていると、オリヴィエが「そろそろ行くか」と、テーブルの上の二本の瓶を手に立ち上がった。

 ヴィルジールの足元がもたつき始めており、硬い丸太に弾き返される場面も増えてきた。

 このまま続けると事故につながりかねない。


「そうね。セレス兄さまもいないから、もう、やめさせなきゃ危ないね」


 マルティーヌも席を立った。


 二人が近づいてくる気配に気づき、ヴィルジールが動きを止めた。

 丸太の小山を降りると、長剣を丸太に突き刺して手放し、両手を膝に置いて肩で荒い息をする。

 石のタイルのひび割れに、落ちた汗が染み込んでいく。


「はっ……は……、これは、想像以上、に……きつい……な」

「まだ全然、暖炉に入りそうにないじゃない?」

「はぁ……正直、なめて……たよ」


 ヴィルジールの息が整うのを待って、オリヴィエが小瓶を差し出した。


「どうぞ。回復薬です」

「二本……も?」


 さほど疲れていないとでも言いたいのだろうが、明らかに肉体的な消耗が激しい。

 身体強化術を使っていたから、魔力の消耗も著しいだろう。

 回復薬では魔力の回復はできないが、体力を回復することで自然と魔力も少し戻る。

 今の彼の様子では、わずかな魔力でも回復しておかなければならない。


「そうでないと、これ以上訓練は続けられません。本当は三本飲んでもいいくらいです」


 ラヴェラルタ騎士団長の有無を言わせぬ様子に、ヴィルジールは観念した様子で瓶をまず一本受け取った。


「一気に飲むといいわ。一滴も残さずにね!」


 マルティーヌが横から茶々を入れた。


 高貴な身分である彼には、戦地に赴く際には優秀な専属魔術師が同行するため、回復薬に頼ることはない。

 もしかすると、飲むのも初めてかもしれない。


 一般的に、回復薬は凄まじくマズいものとして有名だ。

 回復効果が高ければ高いほどマズいとされているから、この国最高峰の魔術師であるセレスタンの調合なら、その味は推して知るべしだ。


 ヴィルジールは警戒心たっぷりに一本目のコルク栓を開けた。

 王子のくせにお上品とは言えないが、瓶の口を鼻に近づけて臭いを確かめる。

 そして、無臭であることに少し安心し、意を決して瓶の中身を一気に煽った。


「それは殿下専用の特別ブレンドだそうですよ」


 小瓶の中の液体が王子の口に流れ込むと同時、おそらく、まだ舌がその味を感じる前にオリヴィエがしれっと言う。


「うっ!」


 人が口にしてはならない強烈な味を体が反射的に拒否し、ヴィルジールは慌てて両手で口を押さえた。

 手から落ちた小瓶が、足元に落ちて割れた。


「う……ぐっ! ぷ」


 彼の顔の美しい輪郭が左右に膨らみ、両膝が崩れた。

 小さく体を丸め必死に吐き気を堪える。


 がくがくと震える大きな背中を見下ろしながら、マルティーヌが笑いを堪えながら叱咤する。


「王子殿下が、口の中のものを吐き出すなんて、みっともない真似をしちゃダメよ! それ一本で、軍馬が一頭買えるほどの値がつく最高級品なんだから!」


 殿下専用の特別ブレンドなら、さらにもう一頭買えるかもしれない。

 回復効果の高さもマズさも、とんでもない代物なのだ。


 きっと、セレスタンは意図的に、ヴィルジールが回復薬を飲まざるを得ない状況を作り出したのだろう。

 それは、かわいい妹にちょっかいを出す気にくわない王子様を、合法的にいたぶる狡猾な罠——。


「く……ふっ。ぐ…………んっ」


 しばらく苦しんでいた彼の動きがぴたりと止まった。

 その後、盛大に咳き込み始める。


 ようやく、回復薬を飲みこんだらしい。


「え? すごい。本当に飲んだ! お水、持ってこようか?」


 マルティーヌが少しだけ気を使って言うと、彼は左手で胸元を押さえながら立ち上がり、右手の甲で口元をぐいと拭った。


 額には脂汗が滲み、顔は青白く、見開いた目は血走り、荒い息の合間に胃からこみ上げて来るものを必死に飲み下している。

 体力の回復と引き換えにした別のダメージは凄まじい。


 しかし彼は、マルティーヌではなくオリヴィエに向かって右手を伸ばした。


「いや……いい。もう一本……だ! う……ぷっ」

「そのご様子を見る限り、薬効も高いと思われます。一本だけで大丈夫でしょう」


 猛毒をくらったかのような壮絶な苦しみようを気の毒に思ったオリヴィエが、二本目を免除しようとする。


「いいから貸せ!」


 ヴィルジールはもう一本の瓶をオリヴィエの手からひったくった。

 コルク栓を抜くと、即座にその中身を煽る。


 しかし、体がその液体を拒否するのか、瓶を口に当てて上を向いたまま動けなくなった。

 その奇妙なポーズは、前衛的な作家が作った彫像のようだ。


「殿下も、相当な負けず嫌いよねぇ。もういいじゃない。吐き出せば?」


 あきれたマルティーヌが声をかけると、数十秒間、頑として動かなかった彼の喉仏が、突然大きく上下した。


「う……ぐっ……」


 慌てて両手で口を塞ぎ、体を折り曲げて吐き気に堪える。


 回復薬を飲まなければ、セレスタンに屈したことになる。

 だから、オリヴィエの同情を拒絶し、マルティーヌの煽りを勢いに変えて、性悪魔術師の悪意を飲み切った。


 それは、人間社会の頂点に立つ王族の矜持なのか、単純に彼の性格なのか分からない。

 新しい魔王が潜んでいるかもしれない『死の森』に挑む覚悟を、示したかったのかもしれない。


 目の前でえずく男の姿は、決してかっこいいとは言えなかったが、その根性は見上げたものだ。


 やっぱり彼なら、短期間で『死の森』の奥地まで踏破できるだけの実力を、身につけることだできるかも。


「はい。お水」


 水をなみなみと注いだグラスを手渡すと、彼は今度は素直に受け取り、中身を一気に飲み干した。

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