(3)
「ヴィルジール殿下。あなたは連れていけない」
「なぜだ!」
ヴィルジールもテーブルを強く叩いて立ち上がり、マルティーヌと真正面から睨み合う。
「自分の実力は分かっているはずよ。しかもあなたはこの国の王子。あなたを連れていけば、わたしたちはあなたの身の安全を最優先に考えなきゃならなくなる。それでは目的は果たせないわ」
「つまり、私は足手まといだと言いたいのか」
「そうよ」
マルティーヌはきっぱりと言い切った。
『魔王城』周辺には大型魔獣が多く生息する。
ベレニスの記憶を持つマルティーヌ以外は誰も見たことがない、伝説級と呼ばれる大型魔獣も潜んでいるだろう。
ラヴェラルタ騎士団の精鋭部隊でも苦戦するであろう、恐ろしい魔境なのだ。
そんな場所に、実力の足りない者は連れていけない。
この国の王子であればなおさらだ。
「だが私には、あの森全体を俯瞰で見た記憶がある。どこに何があるか、どんな地形なのかがすべて頭に入っているし、『魔王城』までの道筋だって分かる。魔王の記憶は新しい魔王に立ち向かう時にも、きっと役に立つはずだ」
「それならば、遠征に出るまでに詳細な地図を書いてもらえれば助かる。魔王の情報も、事前に思いつく限り話してくれれば十分だ。王子殿下の身の危険と引き換えにはできない」
冷静に反論するマルティーヌの口調や声のトーンは、いつの間にかマルクに変わっていた。
今は、ラヴェラルタ騎士団副団長として第四王子と対峙する。
「私の中にある魔王の記憶には、ベレニスと様々な巨大魔獣との戦闘の記録がはっきりと刻み込まれている。その記憶もきっと役に立つはずだ。それに、マルティーヌ嬢……いや、マルク。君はベレニスの生まれ変わりだとしても、体格が違いすぎるから、小柄で華奢な体格を生かしたスピードを重視した戦い方をする。戦闘スタイルはベレニスとはかなり違う」
「それがどうかしたのか」
「私の体格は君よりベレニスに近い。私の魔術討伐剣術の師匠は、勇者ベレニスだ」
「ええっ?」
彼は以前「とある剣士の戦い方に魅了にされた」と言っていた。
見よう見まねだけで、素人があれだけの技を身につけたのだから、よほどの手練れを手本としたのだろうと推測したが。
「なるほどね。ベレニスだったんだ……」
マルティーヌはベレニスの記憶から、彼女がどんな戦い方をしていたのか感覚では分かる。
けれど、自分で自分の姿を見ることはできないのだから、戦闘中の彼女自身の動きを客観的には知らない。
彼の剣を初めて見たとき、ラヴェラルタ騎士団と同じ戦闘スタイルだと気付いたものの、ベレニスの動きをなぞったものだと思いもしなかったのはそのせいだった。
「私は幼少の頃から魔王の記憶の中の勇者に憧れ、密かに鍛錬してきたんだ。もちろん、実力は彼女の足元にも及ばないが、彼女の剣を忠実に再現できる」
しかし、彼がいくら勇者の動きを完璧に真似できても、巨大魔獣とは戦えない。
「だとしても無理だ。ベレニスは俺と同じで魔力量が桁違いに多かったんだ。いくら見た目を再現できても、殿下にはその動きに釣り合うだけの魔力がない。今の殿下の剣では、巨大魔獣に傷一つ負わせられない。実際、巨躯魔狼相手に全く歯が立たなかったじゃないか」
彼は、街道で遭遇した巨躯魔狼には、手も足も出なかった。
その巨躯魔狼を実質二手で仕留めたのが、変装していたマルティーヌだった。
あのとき、ヴィルジールを鋭い爪から救う必要がなければ、一撃でも倒すこともできた。
二人の戦闘力に圧倒的な差をつけているのは、魔力量だ。
こればかりは、生まれついての才能であるから、どうにもならない。
「だったら、効果的な魔力の使い方を教えてくれ! 先ほどセレスタンが言っていたが、私の魔力はラヴェラルタ騎士団の平均はあるのだろう? だったら私の魔力もうまく使えば、巨躯魔狼に一撃を喰らわせることはできるはずだ」
必死な王子を前に、マルティーヌはじっと考え込む。
確かに彼は、素質的には兄のオリヴィエ以上だろう。
魔力の制御を学び、数年間鍛錬と経験を積めば、部隊長ぐらいにはなれそうだ。
けれど、今すぐは無理だ。
時間がなさすぎる。
「やはり……」
駄目だと言いかけたところを、言葉を被せるように遮られる。
「たのむ! 新しい魔王が出現したのなら、自分の目で正体を突き止めたい。それ以上に、自分の手で、魔獣を一頭でもこの世から葬り去りたい。それが彼の記憶を持って生まれた私の責務だと思う。魔獣をこの世界に解き放ってしまった彼の罪を、彼にはどうすることもできなかった悔いと悲しみを、少しでもこの手で軽くしたいんだ!」
その必死の言葉にマルティーヌははっとした。
そうだ。
彼は、自分と同じ境遇なのだ。
「……ずるい。そんな風に言われたら、拒否できないじゃないか!」
マルティーヌは、戦の手駒にされ大勢の人々を殺めたベレニスの罪を、魔獣討伐に身を投じることで少しでも償いたいと思ってきた。
勇者の、伝説とは全く違う血塗られた壮絶な人生の記憶は、一種の呪いだ。
他人の記憶だからと、自分から切り離してしまうには重すぎるのだ。
ヴィルジールもまた、同じような重苦しい記憶を背負ってきた一人だ。
彼にとって『死の森』を支配する魔獣は、明確な形と命を持つ魔王の呪いそのものだろう。
新たな魔王の出現にすら、責任を感じてもおかしくない。
勇者の、魔王の記憶はすでに人格の一部となっている。
彼らの罪を自らの手で贖いたいと願うのは自然なことだ。
それが唯一の、呪縛から解き放たれる手段なのだから——。
「分かった。合同訓練はあと残り五日。俺は、他の団員の訓練もあるからつきっきりという訳にはいかないが、極力時間を作って殿下の指導に当たろう。殿下を『魔王城』に連れて行くかどうかは、五日後に判断する」
彼の腕とベレニスの戦闘を客観的に見た記憶があれば、魔力の制御方法を身につけることで戦闘能力は格段に上がるだろう。
五日間という期間はあまりにも短いが、彼の覚悟と努力次第では、巨大魔獣と戦える実力が身につくかもしれない。
いや、そうでなければ、遠征に同行する資格はない。
だから、チャンスだけは与える。
「ありがとう。よろしく頼む。マルク副団長殿」
握手を求めて差し出された右手を、ドレス姿で長髪のマルクがぱしりと払いのける。
「まだ早い。五日間でものにならなかったら、躊躇なく切るんだからな!」
「ああ。そんなことにはならない。安心してくれ」
そう言って彼は、払いのけられた右手を固く握り、その拳で左の肩口を打った。




