(5)
「マルティーヌ嬢……いや、マルク副団長と呼ぶべきか?」
「マルティーヌにございます」
毅然と名乗ると、セレスタンを押しのけるようにして一歩前に出た。
すっと背筋を伸ばして相手をまっすぐに見つめる。
「そうか。マルティーヌ嬢、貴女のおかげで命拾いをしたよ。礼を言う」
「もったいないお言葉でございます」
礼を言ったにしては、高圧的で冷え冷えとした声色だった。
マルティーヌはどす黒い魔鳥の返り血を浴びた空色のドレスの裾をつまんで、自分にできる限りの優雅な礼をとる。
「これでいろいろと合点がいった。貴女に助けられたのはこれで、二度目だね?」
一度目が何を指すかは分かるが、自供したくはない。
マルティーヌは顔を伏せたまま、肯定も否定もせずに唇を結ぶ。
「あの街道で巨躯魔狼から我々を救ったのも、貴女だったのだろう?」
しかし、そう単刀直入に聞かれては、答えないわけにはいかなかった。
「…………はい。そうでございます」
「なぜそれを、今まで隠していた。私が彼女を探していたことは知っていただろう」
「それ……は」
厳密に言えば、あの娘が自分であることを隠したかった訳ではない。
桁外れの戦闘能力を持つ娘が、勇者ベレニスと関連づけて考えられることを避けたかったのだ。
助けた相手が王子であったからなおさらだ。
しかし、適当な言い訳を見つけられず返答に困っていると、父親がすっと前に出た。
「恐れながら殿下、娘のマルティーヌは魔力も戦闘能力もずば抜けて高く、我が騎士団に……いえ、この国を魔獣の脅威から守るために必要な得難い人材でございます。しかしながら、貴族令嬢が魔獣討伐をしていることを知られれば、娘の将来に障ります。ですから……」
「それが露見しないよう、巨躯魔狼を倒した娘について口をつぐんだのか。マルクという少年を仕立て上げたのも同じ理由か」
「左様にございます」
グラシアンは胸に右手を当てて頭を下げた。
さすが、お父さま!
騎士や魔術師として優秀で、見目も良い二人の息子ですら、魔獣討伐に携わっているために、社交界では肩身の狭い思いをしているのだ。
それが娘であれば、どんな誹りを受けるか分からない。
だから娘の能力を隠したかった……という理由は、完璧なように思える。
マルティーヌや兄たちは少しほっととしながら、同じように礼をとって王子の反応を待った。
しかし、王子はくいと顎を上げると目を細め、居丈高に言う。
「それはおかしな話だな。娘の将来を憂うのなら、病弱だなどと言って引きこもらせず、社交界に出せば良かったのではないか」
彼は、マルティーヌが病弱でないことを知っているのだ。
娘のためというのなら、社交界に引っ張り出して顔を売り、より良い嫁ぎ先を探すべきだ。
それは貴族の娘として生まれた者の責務でもある。
「そ……それは、娘は人見知りが激しくて……」
もはや『病弱』という言い訳ができず、グラシアンは口ごもる。
「人見知りねぇ。果たして、本当にそれが理由なのだろうか。貴殿らは、まだ何かを隠しているように見える」
「えっ? ……まさか、そんなめっそうもございません」
グラシアンが膝をついて頭を下げると、ヴィルジールは「そうか」とつぶやき、この面々でいちばん与し易いと判断したマルティーヌに視線を向けた。
「どうなのだ、マルティーヌ嬢。君は私に、他にも何かを隠していまいか」
「か、隠し事なんて……これ以上、ありません、わ」
「君は病弱ではない。そうだな?」
「はい」
「君は、街道で私を助けた娘のことを知らないと言った。それは嘘だな?」
「……はい」
「素性も性別も偽り、騎士団の副団長を務めていた。そうだな?」
「はい。でも……それは、騎士団の多くの者に対しても、偽っていたことです」
「他には?」
「ご、ござい……ません」
声が震える。
他に隠していることはただ一つ。
それがいちばん重要で、王族には決して知られてはならないことだ。
「君は嘘と虚構でできている。何を信じて良いか分からない!」
彼はきっぱりと言い放つと、ゆっくりと腕を組んだ。
「では、こうしよう。私はマルティーヌ嬢に二度も命を救われた。その多大な貢献に対し、ドゥラメトリア王国から何かしらの褒賞を与えよう」
それはつまり、ラヴェラルタ辺境伯の娘が、巨躯魔狼と『魔王の目』を一人で倒し、第四王子を救ったという事実が、王国に知られるということに他ならない。
その後、マルティーヌが王家に取り込まれる可能性を考えると、むしろ懲罰ではないだろうか。
「待って、待って! やめて! わたしはそんなものいらない!」
先日のお茶会で、王家に近づく危険性を警告してくれた彼なのに、どうしてそんなことを言い出すのか。
辺境伯ごときに欺かれ、それほどご立腹だということか。
「王子の命を救ったのだから、遠慮は無用だ。報奨金でも、勲章でも、爵位でも領土でも、何でも望むがいい」
彼の言葉からは、命を救われた感謝の気持ちなど一切感じられなかった。
並べ立てられた金も名誉も、王族らしい傲慢さからくる脅しでしかない。
「そんなもの……」
激しい怒りに、握りしめた両手がわなわなと震えた。




