国境の異変(1)
目の前は死屍累々。
いや、誰も死んではいないが、悲惨な状況には違いなかった。
不良王子が王都に帰り、ひらひらしたドレスから解放され、五日ぶりに鍛錬場に立ったマルティーヌはオリヴィエと軽く手合わせした後、その場にいた団員たち全員を目の前に集めた。
そして訓練と称して、ものの数分で、三十人ほどいた全員を叩きのめしたのだ。
秋が近くなった空は高く青く、汗ばんだ額にあたる乾いた風が心地よい。
やはり自分には、ドレスや化粧などより剣が合っている。
「あー! すっきり! まるで生き返った気分」
マルティーヌは大きく伸びをした。
けれど、憂さ晴らしに付き合わされた団員たちはたまったものじゃない。
「くっそぉ、マルク!」
まだ気を失っていなかった黒髪の少年が、わずかに残った気力だけで立ち上がり、背後から切りかかってきた。
彼は騎士団に入団してまだ二年の十七歳だが、剣のセンスが良く、魔力も高い。
「ロラン。今日も最後は君か」
マルティーヌはにっこり笑って攻撃を受け流すと、彼の腕を取ってあっさりと地面に転がした。
ロランはもう、それ以上動かなかった。
マルティーヌは騎士団内ではマルク・ペサールと名乗っている。
ペサール家はマルティーヌの母親の生家だ。
髪を切り男装をして性別を偽っても、顔立ちは母親ジョルジーヌ、兄セレスタンによく似ていたから、赤の他人とするには無理があった。
そこで、母親の弟であるコンスタン・ペサールの婚外子ということにしたのだ。
つまり、マルクはラヴェラルタ家の親戚の少年で、オリヴィエやセレスタンからみて従兄弟ということになる。
この設定では、マルクはラヴェラルタ家と直接の血の繋がりがないが、ペサール家も元は冒険者の家系。
過去にはラヴェラルタ騎士団に所属していた者もいたため、マルクの戦闘能力が高くとも不自然ではなかった。
マルティーヌがベレニスの生まれ変わりであることは、家族の他は一部の使用人と騎士団の上層部しか知らない極秘事項だ。
彼女が灰翼蜥蜴について「知っていた」と口走ったことについては、予知夢を見たという言い訳を通した。
三年以上前から騎士団に所属していた団員たちは、マルクがラヴェラルタ家の令嬢であることを知っているが、その秘密を口外することを固く禁じられ、マルクを全く別人の少年として扱うように徹底された。
おかげで、ここ数年以内に入った若い団員は、マルクの秘密を全く知らなかった。
以前からいる団員たちも、ほとんどマルクとしか接する機会しかないため、この少年がラヴェラルタ家の令嬢であることなど、すっかり失念しているようだ。
自分を偽って生きたくないと騎士団に入団したものの、結局や出自や性別を偽ることとなったが、マルティーヌはマルクという別の人間として、思う存分腕を振るえる日々に満足していた。
マルクは現在、騎士団の副団長を務めている。
ラヴェラルタ家とは親戚という設定と、団長のオリヴィエすら敵わない戦闘力、魔獣についての豊富な知識と討伐技術で、団員たちから一目置かれていた。
そして、若くてチビのくせに恐ろしく強く、容赦ない指導ぶりで恐れられており、皮肉にも『ラヴェラルタの魔王』と呼ばれていた。




