(3)
マルティーヌがバスチアンの店の裏に駆けつけると、すでに鞍の着けられた二頭の馬が引き出されていた。
彼が体躯の良い黒馬の手綱を渡す。
「お嬢。うちで一番体力と度胸のある馬だ」
「うん、いい馬だね。よく走りそう」
マルティーヌは満足げに、馬の鼻面を撫でた。
「剣は俺のを使ってくれ」
続いて手渡された長剣は、長身でがっしりとした体格の男の私物らしく、幅が広く長い。
重量もかなりのものだ。
華奢な少女の手にはあまる得物だが、彼女は平然と受け取り、手慣れた様子で腰に下げた。
そして、ひらりと馬に飛び乗った。
「ちょっと様子を見てくる。先に行くからバスチアンも追って来て!」
馬上からそう言うなり、マルティーヌは「はっ!」と馬の腹を蹴った。
馬はあっという間に加速し、裏道から奥へと消えていった。
「お嬢は、相変わらずだなぁ。さて、俺も準備しないとな」
バスチアンは一度店舗に戻ると、鉄製の胸当てと魔獣の皮で作られた分厚い手袋を身につけた。
魔法薬や傷薬、包帯などを背嚢にめいいっぱい詰めて担ぐ。
そして「どうせ、こいつはいらねぇんだろうけど」と呟きながら、予備の長剣を下げた。
さっきの暴れ馬たちには、さほど疲れた様子は見られなかった。
何かが起きたであろう現場は、そう遠くないはずだ。
「お前には頑張ってもらうよ。俺の力を貸すからさ」
マルティーヌは右手だけで器用に手綱を操りながら、左の掌を馬の背にあてがった。
馬はみるみる速度を上げて行く。
あっという間に町を抜け、収穫を終えたばかりの小麦畑が左右に広がる街道へと出た。
その先には、街道を飲み込むように雑木林が広がっており、林を抜けたところが、隣国との国境だ。
「この道は安全なはずなんだけどな」
目の前の林は『死の森』の裾野にあたるが、魔獣が出現するほど深くはない。
さらに、隣国との交易や交流を守るため、国の魔導師たちによって厳重な魔獣除けの結界が張られている。
だから、魔獣の仕業とは考えづらいのだが。
「でも、魔獣としか思えない」
そう訝りながらも、馬を限界まで急がせていると、林に入ってしばらくしたところで馬の速度ががくりと落ちた。
動物の勘なのか、掌を置いた馬の背から明らかな緊張感が伝わってくる。
「大丈夫だ。俺がついてる。もうちょっと頑張ってくれ!」
馬を奮い立たせるために首筋を叩いたり、手綱を握る手に力を込めたものの、やがて馬は完全に止まってしまった。
もう、意地でも動きそうにない。
道は少し先で大きく右に曲がっており、その先に何があるかは見えない。
けれど、ひどく嫌な気配を感じた。
ざわざわと木の葉を揺らす風が、微かな獣と血の臭いを運んでくると、馬が怯えた声を上げた。
やはり魔獣か——。
「分かった。あんたはここでいい子にしてな」
マルティーヌは馬から素早く降りて脇の小木に手綱を繋ぐと、駆け出した。
カーブの手前まで来ると、獰猛な魔獣の唸り声と、獣に必死に応戦する数人の男たちの声が聞こえてきた。
「ずいぶん多そうだ。魔跳犬……いや、もっと大きい。魔狼……か」
急いで道を曲がると、二人の青年の背中が見えた。
「な……っ!」