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(3)

「灰翼蜥蜴の巣があるのは、あの滝のはず」


 マルティーヌは『死の森』西側にある大きな滝を目指していた。


 長い年月が経とうとも、大きな天変地異が起こらない限り、地形は極端には変わらない。

 ラヴェラルタ家から普通に馬を飛ばせば半日以上かかる距離だが、自分の力があれば深夜過ぎにはたどり着けるとふんでいた。


 夜もふけ、厚く垂れ込めた黒い雲のせいで、視界は真っ黒に塗りつぶされたようだ。

 普通なら明かりなしでは道を見出すことは難しい。

 しかし、マルティーヌはその気になれば、暗闇でも活動に不自由しない程度に夜目がきく。

 父親の愛馬の首筋に左手を置き、右手だけで馬を操りながら、正確に道を選び取っていった。


 やがて『死の森』に入ったが、強い雨風のせいなのか、夜行性の魔獣が出没することはなかった。

 既に全身ずぶ濡れで、強風に煽られても、体に張り付いた長い髪やドレスの裾はなびくことはない。

 人馬がぴったりと一体となり、荒野を森を全速力で駆け抜けていく。


 一刻ほど走っただろうか。

 怒りに任せて飛び出してきたマルティーヌだったが、ようやく落ち着いてくる。


 これで良かったのだろうか——。


 灰翼蜥蜴の生態を知っていることを暴露してしまった時点で、後には引けなくなった。

 それに、あれだけの被害を目の当たりにして、これ以上、じっとしていることはできなかった。

 自分には家族や、騎士団の団員たちを守るだけの力があるのに、それを保身のために、ひた隠しにしていたのだから——。


 ふいに、少し先の木の枝が大きく揺れた。

 雨風のせいではない、不自然な動きの正体が何かを確認することができないまま、勢いづいた馬はあっという間に距離を詰めた。


 グ、グググ、グ……。


 唸り声をあげて跳びかかってきた黒い影は二つ。

 しかし次の瞬間、影は短い悲鳴を上げた。

 直後、雨にぬかるんだ土に、重い物が落ちた音が複数聞こえた。

 独特の獣臭と血の匂いが一瞬鼻をかすめたが、すぐに後方へと消えていく。


「え?」


 ふと気づくと、マルティーヌの右手には長剣が握られていた。

 反射的に剣を抜き、二頭の魔獣を叩き斬っていたのだ。


「あ……は……はははは……」


 この体で剣を振るったのは初めてだったが、魂は何をするべきなのかを覚えていた。

 ほぼ無意識ながら確実に敵を捉え、一撃で命を奪えるほどに——。


 マルティーヌはひとしきり笑った後、一人頷いた。


「きっとわたしは、こんな生き方しかできないんだわ」


 マルティーヌはそう呟き、自分の行動を肯定した。




 物心つくころには、意味がよくわからない断片的な記憶と、自分の内部を巡る膨大な魔力の存在を自覚していた。

 それらが、何に由来するのかをはっきりと理解したのは、理解力がついてきた八歳ごろだ。


 途切れ途切れだった記憶のようなものをかきあつめて時系列に並べると、一人の女性の人生を形作った。

 彼女の人生は、幼い頃からよく聞かされてきた有名な物語と一部は重なっていたものの、大部分は乖離していた。


 その乖離した物語こそが、誰も知らない真実。

 この国の守り神として崇め奉られている、勇者ベレニスの真の姿だった。


 そしてそれは、マルティーヌの魂に刻み込まれていた、四百年前の昔に彼女がベレニスであった記憶だったのだ。


 魔王を討ち取った英雄として、『死の森』周辺の国々に名を馳せるベレニスの人生は、魔王討伐後、苦悩に満ちたおぞましいものになっていった。

 その悲惨で壮絶な日々の記憶は、幼いマルティーヌにとっては、悪夢でしかなかった。

 だから、自分がベレニスの生まれ変わりであることを、誰にも打ち明けられずにいた。


 ベレニスの記憶とともに、膨大な魔力を行使する術も思い出したが、他の魔力保持者と違い、体外に一切魔力が漏れ出ることがない特異な体質だったため、「魔力なし」として振る舞い続けることにした。

 勇者の持つ大きすぎる力は、自分の身体と精神の自由を奪うだけでなく、周囲の人々を苦しめることになるのだから——。


 マルティーヌは、ひらひらとしたドレスに身を包み、貴族令嬢としての教養や所作も身につけ、勇者とは別の平穏な人生を歩む努力をした。


 そんな自分を、家族は愛してくれた。

 魔力を一切持たない、か弱い少女として守ってくれていた。


 でも。


「わたしが、ベレニスの生まれ変わりだと知ったら……?」


 家族は間違いなく驚くだろう。


 けれど。


 伝説の勇者の生まれ変わりだったことを理由に、よそよそしくなったりするだろうか?

 四百年前と変わらない勇者の能力を、かつての為政者のように利用しようとするだろうか?

 血塗られた勇者の真の姿を知って、蔑んだりするだろうか?


「そんなはずがない!」


 優しい両親と、自分を溺愛する二人の兄の顔を思い出しながら即座に否定する。


 彼らはきっと、自分が何者であってもこれまで通り愛してくれる。

 守ってくれる。


 そんな自信があった。


「だったら、もう迷わない」


 マルティーヌは疾走する馬上で剣を腰に収めると、きっと顔を上げた。

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