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「死の森」での死闘(1)

 三年前の秋。


 十四歳を少し過ぎたその日まで、マルティーヌは普通の貴族令嬢として育てられた。

 幼少からかなりのおてんばであったことと、貴族や王族を毛嫌いし社交界デビューを極端に嫌がったこと以外は、ごく普通の少女だった。

 もちろん、剣を握ったことすらなかった。


「お父さまたち、まだ帰ってこないのかしら?」


 母親と一緒に夕食後のお茶を楽しんでいたマルティーヌが席を立った。


 豊かな長い金色の髪に、鈴蘭を模した魔獣細工の髪飾り。

 普段は気の強そうな青い瞳が少し陰り、水色の清楚なドレスが妙に似合っていた。


 窓の外は激しい雨風が吹き荒れ、厚い雲が月や星を覆い隠して真っ暗だ。

 時折、『死の森』のあたりから聞こえてくる雷鳴が不安を掻き立てる。


「五日間の予定の遠征だから、まだでしょう。ここ数日、お天気が良くないから、思うように討伐も進んでいないかもしれないわね」


 愛しい人びとを待つことについては百戦錬磨の母親のジョルジーヌも、心配そうにため息をついた。


 父親が団長を務める騎士団は、三日前に魔獣の討伐に出立した。

 副団長は長男のオリヴィエ。

 魔術学校を卒業したばかりの次男、セレスタンも同行していた。


 今回の標的は、『死の森』にある切り立った崖に巣を作る灰翼蜥蜴シニスラチェルタ

 トカゲの姿をしているが、背中にあるコウモリに似た翼で自由に空を飛ぶことができ、長い尾の先の棘に毒を持つ手強い相手だ。

 彼らはここ数年、徐々に繁殖数を増やして縄張りを広げていたため、極力数を減らす計画だった。


「待つのは嫌だわ」


 窓ガラスを伝う雨の跡を指先でなぞりながら、マルティーヌが呟く。

 安全な場所に匿われ、不安に苛まれながら待つくらいなら、共に行って戦いたい。


 けれど、それができないことがもどかしかった。

 特に今回の遠征には不安を感じていたから、なおさらだ。


 何度目かわからないため息をついた時。


「奥様!」


 いつもは物静かな執事が血相を変えて部屋に飛び込んできた。


「どうしたの?」

「だ、旦那様が大けがを……」

「なんですって!」

「ええっ! お父さまが?」


 母親が慌てて椅子から立ち上がり、マルティーヌは執事の元に駆け寄った。

 娘から遅れて執事に詰め寄った母親の顔は真っ青だ。


「……そんな。グラシアンはどこなの」

「旦那様は団の講堂に運び込まれました。他にも負傷者が多くて……」


 執事は答えながら、母娘を誘導するために踵を返す。


「リーヴィとセレスは? あの子たちは無事なの?」

「はい、ぼっちゃま達は無事です」


 騎士団の遠征には、団員の負傷に備えて、回復や治癒術が使える魔術師が必ず同行する。

 今回も見習い以外は全員同行していたはずだ。

 なのに、撤退を余儀なくされたとは、それだけ深刻な被害を被ったのか。


「どうして、お父さまが……」


 マルティーヌはそう言いかけて、口をつぐんだ。


 父親のグラシアンは団長で、騎士団の中でいちばん優秀な魔術師は息子のセレスタンだ。

 その立場なら、グラシアンは誰より優先的に治療されて当然なのだが、きっと彼はそうさせない。

 自分の身より、部下たちを優先する人なのだ。


 騎士団が大きな被害に遭ったという知らせは屋敷中に伝わったらしく、マルティーヌらの後ろからは次々と屋敷の使用人達が続いた。

 一行は、土砂降りの裏庭を横切り、屋敷の後方に広がる鍛錬場に急いだ。

 その一角に騎士らが寝泊まりする宿舎と講堂が建てられている。

 講堂の前には三台の荷馬車がひしめき合うように止められており、たくさんの馬も繋がれている。

 建物の入り口は大きく開かれ、切迫した様子が外にも伝わってきた。


「早く水を持ってきてくれ。薬も! 早くっ!」


 聞こえてきたのは、その場を仕切っていたオリヴィエの声だった。

 彼の言葉にマルティーヌは顔を歪めた。

 魔術師が治癒術を使えるのであれば、水も薬も必要がない。

 一般的な治療をせざるとえないということは、すでに魔術師たちの魔力を使い切ってしまったのだ。


「あなたっ!」

「お父さま!」


 妻と娘が講堂に飛び込むと、入り口近くの中央に横たわるグラシアンの姿が見えた。


「大丈夫だ。心配ない」


 二人の声に気づいた彼は、ゆっくりと顔を向けてぎこちない笑顔を作り、右手を上げた。

 彼の手前には床に這いつくばって嗚咽を漏らす青年の姿があった。


「僕に……っ。僕にもっと力、が、あったら……こんな……」


 力の入らない拳で、弱々しく床を打っていたのは次男のセレスタンだった。

 父親を救い切ることができない無念だけで、かろうじて意識を保っているようだが、明らかに限界だった。


 横たわる父親の右足は血の滲んだ白い布が巻かれ、その上から居残り組だった見習い魔術師が二、人掛かりで懸命に処置を施していた。

 しかし容体は一向に良くならない。

 彼らの魔力も底をつきかけていた。


「あなたっ。どうしてこんなことに」


 妻は見習い魔術師の隣にかがみこみ、夫の手を取った。


「ははっ。灰翼蜥蜴も群れになるとなかなか手強いもんだな。甘く見たつもりはなかったのだが、奴らにあんな知能があったとは予想外だった」


 そう言いながら、グラシアンはゆっくりと上半身を起こした。


「だめよ。横になっていて」

「大丈夫だ。右足以外は、もうセレスが治してくれたんだ。セレス、よくやってくれたな」


 そう言って隣に転がる次男の髪を撫でたが、もう彼の意識はなかった。

 母親の隣に長男のオリヴィエも屈み込んだ。


「父さんは俺をかばって、岩の下敷きになったんだ。俺のせいで……」


 彼もまた目に涙をこらえ唇を噛んだ。


 灰翼蜥蜴は崖下に集まった騎士団目掛けて、意図的に崖崩れを起こしたのだという。

 そのため、一度に大勢の負傷者が出た。

 負傷者や逃げ遅れた者達は灰翼蜥蜴からの直接の攻撃にも遭い、さらなる怪我や毒を負うこととなった。

 重傷を負った団長のグラシアンは、自分より団員達の救助と回復を優先させるように息子達に命じた。

 そして、同行した魔術師達の魔力と医療品が尽き、撤退を余儀なくされた。


「いや、お前のせいじゃない。私の経験不足だったんだよ。すまなかったな」


 そう言って父親は、今度は俯く長男の肩に手を置いた。


「ち……がう」


 マルティーヌの口から呻きにも似た声が漏れた。

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