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思いがけない訪問者(1)

「あぁ、もう! 暇ぁーっ! なんでわたしにだけ声がかからないのよっ!」


 マルティーヌは腹立ち紛れに、胡桃がたっぷり入った焼き菓子にかじり付いた。

 今朝届いたばかりのその菓子は焼きたてだったらしく、まだほんのり温かい。


 あの衝撃の夜から、もう十日以上経った。


 ラヴェラルタ辺境伯家の者たちは領地に戻る許可が出ず、王都に留め置かれていた。

 二人の兄と騎士団の仲間たちは、ヴィルジールからの要請で、城外にまで逃げた魔獣の討伐に駆り出されている。

 しかし、騎士団一に腕の立つマルクが、召集されることはなかった。


 マルティーヌとしては、一度だけ事情聴取のために王城に呼び出されたが、そこにいたのはジョエルと見知らぬ武官だけだった。


 ご機嫌を取ろうとしているのか、屋敷には毎日のように様々なお菓子が届けられている。

 王城の菓子職人が作るお菓子たちは、悔しいけれど、すこぶる美味だ。


「もぉぉぉっ! ヴィルジール殿下はわたしを太らせたいの? 討伐には参加させてくれないし、甘いお菓子ばっかり送ってきて!」


 そう憤慨しながらも三個目のお菓子を頬張る。

 こちらは林檎の果肉がたくさん入っていて、少しアップルパイに似た味がした。


「そう、甘いお菓子ばっかり送ってきて……さ」


 あの夜以来、ヴィルジールと顔を合わせることはなかった。

 彼は事件の事後処理に忙殺されているのだと、兄たちからは聞いている。


「兄さまたちばっかり、ずるい……」


 そうぼやいた直後に「わたしだって、魔獣を狩りたいんだからっ!」と自分に言い訳した。


 第一王子と第三王子は投獄。

 第二王子は解毒の治療が始まったが、簡単に体調が回復することはない。

 唯一残った王子であるヴィルジールが、近々、立太子することになるだろう。


 もう、完全に雲の上の人だ。

 「ヴィル」などと気軽に呼べる相手ではない。

 彼と一緒に魔獣を討伐することも、二度とないだろう。


 王族とは決して関わるまいと子どもの時から心に決めていたんだから、もう会わない方がいい。

 彼はいずれ、この国の王となるのだから。


 彼が、わたしの能力を私利私欲で利用するとは思えないけど……。


 無意識に、林檎の入った方の焼き菓子に手が伸びる。

 シナモンの甘い香りが、胸の奥をきゅっと締め付けた。


「マルティーヌ! マティっ!」


 廊下のずっと向こうから名前が呼ぶ声が聞こえたと思ったら、すぐに大きな音を立てて扉が開いた。


 息を切らして部屋に駆け込んできたのは母親だった。

 彼女にしては珍しい慌てっぷりだ。


 彼女の後からは、焦った様子の侍女が数名ついてきていた。


「急いで着替え……なくてもいいわ! このままでいきましょう!」


 淡い水色のシンプルなドレスを纏い、長い髪を緩く編んだカツラをかぶった清楚な娘の姿を見て、母親が何かを判断する。


「お母さま。どうしたの、血相を変えて」


 マルティーヌは女たちのただならぬ様子に、手にしていた食べかけのお菓子を皿に置いた。


「さ、お化粧だけでもさせて頂戴!」

「な、な、なに。急に、どうしたの?」


 ぐいと迫ってきた母親の迫力に、思わず椅子を立つと後ずさる。


「殿下がいらっしゃったのよ!」

「殿下?」


 その敬称はヴィルジールを思い起こさせるから、一瞬、胸が躍った。


「そうよ。サーヴァ皇子殿下がいらっしゃたのよ!」

「は? サーヴァ殿下?」


 ふわりと熱を帯びた頬から、一気に血の気が引いていく。


「な……なんで、サーヴァ殿下がうちに?」

「知らないわよ! 帰国の前に立ち寄ったとおっしゃっていたけど、先触れが来たと思った数分後に到着されたから、もうてんやわんやよ」

「先触れの意味は……?」

「いいから、早くなさい。殿下がマルティーヌをお呼びなのよ! すでに応接室でお待ちなの! さぁ、早くっ!」

「嘘だぁーっ!」


 もう、嫌な予感しかなかった。


 あの晩、カツラが吹っ飛んでしまったせいで、マルティーヌとマルクが同一人物だということは完全にばれた。

 そんなアクシデントがなくても、彼の目の前であれだけの大立ち回りをしてしまったのだから、最終的には白状せざるを得なかっただろうが。


 マルティーヌの正体を知った彼は、妙に楽しげだった。

 珍しい魔獣を前に、どう攻略すべきか考えているように見えた。

 獲物に襲い掛からんとするような彼の黒い瞳を思い出すと、背筋がぞくりとする。


 先触れとほぼ同時に到着したのも、わたしを逃がさないようにする策かも……?

 いやだ、会いたくないぃぃ〜!


「ねぇ、マルティーヌ嬢は体調を崩して臥せっていることに……」

「できるわけないでしょ! 皇子殿下はあなたの正体をご存知なんですから」

「……ですよね」


 駄々をこねている間に、侍女たちが手早くマルティーヌの顔を仕上げていく。

 最後に、小さな唇に淡いなピンクの紅を引き、無骨な手を隠すレースの長手袋を身につけて完成だ。

 鏡の前の少女は、シンプルなドレスと相まってすこぶる上品な令嬢に見える。


「さ、早く!」

「……やだ、やだやだ」

「そんな我儘が通る状況じゃないでしょ! ほら早く!」


 母親に手を引かれ、侍女には背中を押されて、重い足どりで応接間に向かう。

 事情をよく知る二人の兄は、今日も魔獣の駆除に駆り出されており不在。

 サーヴァの相手は父親がしているはずだ。


 もう、どうしたらいいの?

 マルクじゃなくてわざわざマルティーヌを呼び出すなんて、殿下もどういうつもり?

 全部知ってる彼に、どんな顔をして会えばいいのよぉ。


 心の準備が全くできないまま、応接室の扉が開かれた。

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